み ず か
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12ヶ月の恋模様


だから世界は今日も泣く [8/9]

 お昼を少し過ぎ、いつもなら帰宅して昼食を済ませる頃だった。
部屋のドアをノックする音がして、少ししてからドアの開く音がした。

「ご飯、いらない?」

 美佳子さんの声だった。
普段は仕事に行っている時間帯なのにと体を起こすと、心配そうに僕を見つめる瞳と目が合った。

「ごめんね、勝手に入っちゃって」
「……仕事は?」
「休んじゃった。隣、座ってもいい?」

 一瞬迷ったけれど、それでも僕が小さく頷いたので、美佳子さんは安心した表情でベッドに腰掛けた。

「何があったか聞いてもいい? 言いたくなかったらいいんだけど」
「……美佳子さんは、なんで父さんと結婚したの?」

 思ってもいないことを聞かれて戸惑うかと思ったのに、美佳子さんは「そうねぇ」と驚く様子もなく話し始めた。

「朔太郎くんの名前って、お父さんがつけたんでしょ」
「そうだけど。なんで?」
「お父さんの好きな作家の名前なのよ。高校時代、さんざんその人の話を聞かされたからよく覚えてる」
「高校時代?」
「そうよ。お父さんは、私が高校生のときの国語の先生だったの」

 驚いた僕が「そんなの初耳だけど」と聞き返すと、美佳子さんは「だって初めて言ったもの」と小さく笑った。

「高校生のときからずっと片思いだったの。でもそのときにはもう結婚してて、朔太郎くんも生まれてた。卒業式に思い切って告白したらきっぱり振られて、でもずっと好きで。
それから十年近くなって、同窓会があったの。そこからかな、もう一回頑張ろうって思ったのは」
「他に好きな人が出来たりしなかったの?」
「それがね、全然出来なかったのよ。誰を見ても先生と比べちゃうの。周りからは『もったいない』『病気だ』とか言われてた」

 美佳子さんは思い出に浸るように穏やかに笑い、「でも今は幸せだからいいの」と言った。

「辛くなかった?」
「辛くないって言ったら嘘になるけど、私よりもお父さんの方が辛かったと思うわ」
「どうして?」

 僕の言葉に、美佳子さんは切なげに目を伏せた。

「自分のことを世界で一番愛してくれて、自分も愛してた人が、急にいなくなっちゃうのよ。もう二度と会えないの。想像するだけでも苦しくなるわ」
「でも、今の父さんには美佳子さんがいるから、きっと大丈夫だよ」
「……そうだといいな」

 彼女はそう言って顔を上げ、真っ直ぐな瞳で遠くを見つめた。
このとき僕は初めて、美佳子さんが本当に父さんのことを想っているのだと確信した。

 真っ直ぐなその瞳は、菜摘が太一を見つめる瞳と同じだった。
傷つくことを恐れずに、ただ真っ直ぐに心から相手を想う瞳。
辛いことから逃げてばかりの僕とは全然違う。

「それで、ご飯はどうするの?」

 気持ちをすっかり切り替えたように、いつもの笑顔で美佳子さんは言った。

「食べるよ。それで教習行ってくる」

 一足先に立ち上がった美佳子さんを追いかけるように腰を上げると、少しだけ世界が歪んで見えた。
でも不思議と、いつものように胸が苦しくはならなかった。



 それから二週間、僕はいつも通り教習所に通い続けたけれど、梓さんの姿を見ることは一度もなかった。
暇さえあれば教習所内を探したり、あの公園で待ち続けたりもしたけれど、それも全て無駄に終わった。

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