12ヶ月の恋模様 だから世界は今日も泣く [7/9] 気付いていていたのに、知らないふりをしていた。 梓さんと出会って二週間、僕の脳裏からは以前よりも菜摘の姿が消えつつある。 二年間の片思いが、たった二週間、ほんの数時間の会話に負けつつあるのだ。 忘れていくことを喜べばいいのだろうか。 いや、そんな簡単な想いじゃなかったはずだ。 だからこそ二回も告白したんだろう。 でも報われなかった、断られた。 もう二度と、あんな辛い思いはしたくない。 拒まれるのはもうたくさんだ。 このもどかしい想いを何と呼べばいいのか、僕には知る由もない。 それでも、その日も放課後の数時間を使って教習所に向かった。 菜摘のことを忘れたいから梓さんに会いに行くのか、梓さんに会いたいから行くのか。 自分の気持ちを知るのが怖い僕は、何の答えも探そうとしないまま送迎バスに乗っていた。 「朔太郎くんて、高校生にしては落ち着いてるよね」 「そうかな」 「うん。大人っぽいっていうか、なんか淡々としてる」 初めて僕のブレザー姿を見た梓さんは、いつもの公園でそんな話をし始めた。 辺りはもう薄暗くなり始めていて、ブランコから見上げる空には灰色の雲が浮かんでいた。 「でもこうやって教習さぼってるし、全然大人じゃないよ」 「いいんだよたまには。大人だってさぼりたいときくらいあるんじゃないの」 梓さんは隣のブランコに座ったまま、立ちこぎしている僕を見上げた。 薄暗くても光って見える彼女の瞳が、まるで僕の心の奥まで見透かしているかのように笑う。 「何かあったの?」 彼女の言葉を合図に、僕はブランコをこぐ足に思い切り力を入れた。 ギィギィと錆び付いた音が辺りに響く。 しばらくそうしてこいだ後、僕は子供の頃やったように勢いよくブランコから飛び降りた。 乗り手を失ったブランコの寂しげな音に混じって、小さな拍手が聞こえた。 「梓さんは、自分で自分のことがわかんなくなるときってある?」 振り向きざまに尋ねると、彼女は大きく頷いた。 「そんなのしょっちゅう。ついでに言うと、今もよくわかんない」 「今も?」 「うん」 規則正しく揺れていたブランコが、急に止められて寂しげな音を出す。 ブランコから降りた梓さんはその場に立って僕を見据えた。 「朔太郎くん、さっき泣きそうな顔してた」 心臓が大きく跳ねて、ぐらりと目の前が揺れた。 それはまるで水の中にいるような、あのぼやけた世界。 「だからさぼろうって言ったの。心配だったから」 それ以上聞きたくなくて、僕は「もういい」と首を振った。 視界が歪んで見えるのは、世界が泣いているからじゃない。 まぶたを覆った手のひらに、生温い水滴が伝う。 期待をするのが怖かった。 優しい言葉をかけられて、その気になって、でも拒まれる。 そんな苦しくて情けない経験を繰り返すのが怖かった。 菜摘を好きでい続けるのは楽だ。 報われはしないけれど、向こうは自分の気持ちを知っているから、気を遣って優しくしてくれる。 一線を置いた付き合いは、発展もしないが傷つくこともない。 菜摘を忘れていくことに戸惑っていたのは、また誰かに恋をして傷つくのが怖かったからだ。 でも僕は今、目の前で優しい言葉をかけてくれる人に惹かれつつある。 自覚した想いが辛い記憶を思い出させ、胸の奥を黒く染めていった。 「もう、梓さんとは会わない」 声が震えて、ちゃんとそう伝えられたのかどうかはわからない。 でも少しの沈黙の後、自分のものではない足音が傍らを通り過ぎ、消えていった。 僕はその場に立ち尽くしたまま、自分の弱さに声を殺して泣き続けた。 その翌日、僕は学校を休んだ。 前の晩に真っ赤な目をして帰宅した僕を気遣って、美佳子さんが登校時間の少し前に「今日は休んどく?」と父さんにばれないようにこっそり尋ねにきてくれたのだ。 僕は布団のすきまから「お願いします」とだけ言って、そのままベッドの上で寝転んでいた。 昨夜から一睡もしていないのに、眠気は全くなかった。 [*prev] | [next#] [bookmark] BACK |