壱
夜明け前。
毛利元就は、瀬戸海が見渡せる高台に一人立っていた。
もう少しで、日が生まれ変わる東雲の空の下。清涼(ショウリョウ)な空気が辺りを包む。
己が纏っている鎧にも、その清らかな空気が染み込んでくる様だ。
瞳を閉じ、穏やかに響く波の音を聞く。
後、数刻で豊臣軍との戦が始まる。
「よう、こんなトコで考え事か?」
突如現れた、声と足音が、元就の知情意の調和を乱す。
その不躾な者の顔を見やり、また、東雲の空を仰ぐ。
「ああ、お天道さん拝みに来たのか。」
元就の態度を気にするでもなく、突如現れた男、長曾我部元親は、元就が日輪信仰者だという事を思い出したらしく、合点がいったと、一人納得していた。
暫しの沈黙。
そして、徐に元親が問う。
「今度の戦の勝敗…、アンタはどう見てる?」
夜が明けてから始まる戦は、毛利軍と長曾我部軍が共闘して、豊臣軍を迎え撃つ。
瀬戸内を守る為中四国は、一時の同盟を結んだ。
「……。我が軍と其方の軍を併せて、五分。」
視線を向ける事なく、元就は機械的に言葉を紡ぐ。
「厳しいなぁ…。」
銀糸の頭を掻きながら元親は、ぼやきに近い呟きを洩らした。
二度目の沈黙。
「つーかよう、五分ってな…。バカ正直に言わなくてもいいだろ?」
それを再び破ったのは、元親だった。
「…言葉を飾り立てても、状況は変わらぬ。」
元就は、相変わらず無感情に、言葉を放つ。
「士気は上がるだろ?」
「ならば、兵達の前で言う。其方だけに言っても意味はない。」
「あー、そうかよ。」
何故か元親はふて腐れてしまい、元就の隣に腰を下ろす。
元々気性が合わない者同士なので、会話が決裂しても元就は大して気にもせず、静かに空を眺めていた。
「……。」
三度目の沈黙。
五分か…。と、小さく囁いて、
「今だから言うけどよ…。」
元親が三度の沈黙を破り、
「俺、アンタの事好きだったんだぜ。」
そして、突然の告白。
「…そうか、初耳だ。」
それでも、元就の表情が崩れる事はなかった。
「まあ、初めて言ったからな。」
その態度を見て、やや不満気な面持ちをしながら、元親は立ち上がる。
「士気を上げるか…、ふむ。」
元就は、微かに呟いた後、強引に元親の胸ぐらを掴んだ。
元親は一瞬、何が起こったのか分からなかった。
元就の顔が近いな…。と、思ったら、唇に何か柔らかいものが当たっている…。
元就の長い睫毛が自分の目尻に触れたところで、漸く口付けされているという事に気付いた。
「!」
一瞬怯んだが、元親は元就の後頭部を掴んで、更に口付けを深くした。
互いの舌を絡め合い、混ざった唾液が口の端から流れ落ちる。
存分に味わい、唇を離す。
そして元就は、濡れた唇を拭い…。
「これを手向けにするか、始まりにするかは其方次第ぞ?長曾我部。」
と、微笑みながら言った。
「…。」
「昇陽ぞ。」
元親が言葉を紡ぐ前に元就は、曙の空を見上げ、その不変の存在に祈りを捧げる。
その姿を見て元親は、終わらせるのは勿体無いな…。
と、単純に思った。
澄み渡る青空、清爽な空気。
「良い風だ。」
出陣する船上で、成る程、士気は上がったな。と、長曾我部軍の船隊を遠くに見ながら、元就は自分の単純さに小さく笑った。
終
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