九
天下分け目の大合戦の火蓋が何時切られるのかと、辺り一面緊迫した空気で包まれていた。
この戦で豊臣か徳川か、どちらが覇権を握るのかが決まる。
稀代の智将と称される毛利元就の出した結論は、
『天下は徳川に微笑むであろう…。』
との見解であった。
だが、自分は今西軍に陣取っている。東軍、つまりは家康の敵方だ。
秀吉がまだ健在だった頃、富国強兵を掲げ破竹の勢いで西国を手中に治めていった。
勿論、元就の治める中国も例外ではなく、戦を仕掛けられて抵抗虚しく力でもぎ取られ、豊臣の配下に置かれた。
戦を仕掛けられた時、元就にはまだ勝算があった。同盟を組んでいた長曾我部軍と共闘すれば追い返す事位は出来た筈である。
だが…
裏切られた。
長曾我部に…。
豊臣に膝を折った時、あの男はこう言った。
“天下はいずれ、豊臣が取る。”
『そういえば、何度もそう言っておったな…。』
“アンタがどう抵抗しても無駄なだけだ…。”
『我は守ろうとしただけだ。』
“死なせたくないんだ、こんな事で…。”
『我の存在意義を否定するのか。』
“だからよぅ、アンタを助ける為に同盟切ったんだ…。”
『誰が頼んだ…。貴様の独り善がりではないか…!』
“…無事でよかった。元就…。”
名を呼ばれた時、言い様の無い嫌悪感が元就を襲った。
そして今、こうして西軍として此処に居る。
『沈むだけの泥船に無理矢理乗せられたか…。』
元就は自嘲気味に笑う。が、その心中は凪いでいた。
この戦が始まる前、秘密裏に徳川に使者を出し、裏切りの旨を伝えていた。
“戦が始まっても毛利は一切動かず。”と。
そして、この戦が終わったら自国の兵と己の一族の擁護を申し出た。
己の首と引き換えに。
情が厚いと言われる徳川は案の定渋ったらしいが、これが武士のけじめだと言えば渋々了承したそうだ。
『一族の為に死ぬるか…。本望よ。』
そう穏やかに笑んでいたら…
バキッ!
突然の破壊音に陣中が総毛立つ。
「何事か!?」
その問い掛けに部下が告げたのは…
「ちょ…長曾我部殿が…!」
一番聞きたくない名前だった。
音のした方へ顔を向ける。破れた陣幕の隙間にソレを見付けた。
「…何用か…長曾我………?」
あまりにも急な事で、自分の身に何が起こったのか分からなかった。
「うっ…ごほっ!」
言葉を紡ごうとするのだが、元就の口から出るのは赤い液体ばかり。
ここで、やっと自分の胸が長曾我部の長槍に貫かれたのだと理解した。
『何故…?』
朦朧とする意識を必死に繋ぎ止め、もう殆ど掠れて見えない目で長曾我部を睨み付ける。
「何でって顔してるな…。」
やけに、はっきり声が聞こえる。どうやら抱き抱えられている様だ。
「この戦、西軍は負けるぜ…。」
分かっている。
「だからな、家康に頼んだんだ…」
家康…そういえば懇意にしていると言っておったな…。
「元就の奴を見逃してくれって…。」
!!
「そしたらな…“駄目だ”って言われちまった…。」
それは我と盟約を交わしたからだ!
「誰かに殺される位なら、いっそ俺が…この手で…。」
部下達の声が遠くに聞こえる。移動しているのか?
「アンタ、寂しがり家だから…。独りは嫌だろ?」
何を言っている?
「大丈夫だ。俺も一緒に往くから…。」
何を言っている!
「…もう聞こえねぇかな…。」
聞こえておるわ!
「来世ってのがあったら、又、巡り逢いてぇな…。」
黙れ…。
「なぁ、元就…。」
黙れ黙れ黙れ黙れ!
何故貴様ごときに死に場所を奪われなくてはならん!
何故こんな…!
「一緒に海に還ろうな…。」
無意味な最期を迎えなければならぬのだ…。
トップへ