十三
“今、見に行こうと思ってた所だ”と、職員室へ鍵を返しに行った時、開口一番、こう言われた。
遅くなった理由を、転んだせいだと、その場は取り繕い、早々に立ち去ろうとしたら、出し抜けに担任が、“何時も授業中、何処でサボっているのか”と、長曾我部の事を聞いてきた。
その様な事を聞かれても、無論、元就が知る筈もない。
だが、何時もは分からないが、今日はあのまま、屋上に居たのではないかと思い、そう伝えると、“屋上は鍵が掛けられていて、入れないぞ”と返された。
「え?」
そう言われてみると、長曾我部を置いて、階段を下りていた時、大分時間も経っていたのに、誰一人として、屋上へと上がって来る生徒を見なかった事を思い出す。
『でも、扉は開いていた…』
元就は、滅多に校舎など廻らないので、屋上が解放されていない事は、知らなかった。
訝しがっている元就の事など、お構い無しに、担任は、“あいつ、俺の授業だけ出ないんだよ”と、暫く愚痴を吐き、最後に…。
“お前と付き合う様になって、少しは真面目になるかと思ったんだがなぁ…”
と、溜め息混じりにぼやかれた。
職員室を後にして、早足で階段を下って行く。やはり担任は、長曾我部と自分が付き合っていると前提して、最初に居場所を聞いてきたのだ。
教師にまでそう思われている事に、少しばかり動揺していた。何処まで、この虚構が浸透しているのか。その時、ふと、長曾我部が放った言葉が脳裏をよぎる。
“味方が居ないって辛ぇだろ?”
正しく、その通りであった。自分には、近しい者が一人も居ないのだ。
「何、普通に帰ろうとしてんだよ」
一階の踊り場で、不意に声を掛けられる。俯いていた顔を僅かに上げると、長曾我部が、自分の惨めさを飽きる程突き付けてくる男の姿が、目に入った。
「ったく、油断も隙もねぇな」
と、呆れ顔を向けられる。あわよくば、と考えていたが、そう都合良く、事が運ぶ訳もない。
「まあ、良いや。鞄、持ってきたぜ」
そう言ったが、鞄を元就に渡さずに、片脇に抱え込むと、空いた手を元就の手に絡めてきた。
前に振り払われた事と、先の元就が取った行動を鑑みて警戒したのか、手の甲に指が食い込む程、強く握られて痛い。そして、そこに相変わらずの不快感が加わる。
堪らず、抗議の言葉を口にするが、無視をされ、そのまま引っ張られて行った。
正門を通り、自分の家とは逆方向へと曲がる。
『此方の道は、あまり通った事がないな…』
これから、自分の身に起こる行為を思うと、気鬱になり、上手く思考が働かず、元就は取り留めの無い事を考えていた。
その足取りは、鉛の様に重い。
そして、先程確信した事が、更に足取りを重くさせていた。
『此奴、あの時代の記憶を持っておる…』
これ迄、時折向けられていた悪意。あの様な態度を取られる何かをした覚えなど、現在の元就には無い。
知らぬ内に、恨みを買ったのか、とも考えていたが、今日、担任の話を聞いて、その可能性は捨てた。
“俺の授業だけ出ない”
そう、確かに言っていた。
元就達の、クラス担任の教科は…―――
―――日本史だ。
自分への悪意、そして、意図的に受けない授業の教科。記憶があるという事実を、疑う余地は無い。
道中、一方的な雑談を聞かされていたが、長曾我部の声は、元就の耳を素通りしていくだけであった。
トップへ