四
慌てて押し退けようとするが、相手はぴくりとも動かない。それどころか、後頭部に回された手に押され、更に口付けが深くなる。
「んっ…ふ…」
余りにも、隙間無く唇を合わせられているせいで、上手く呼吸が出来ない。徐々に元就は息苦しくなっていき、意識が朦朧としてくる。
それでも、何とかして逃れようと、長曾我部の唇に噛み付こうとしたその時、ガラリと引き戸の開く音がした。続いて複数の足音が聞こえる。
そして、一瞬その音が止んだ。
それと同時に、唇が離される。
漸く息苦しさから解放された元就だが、心中は、今の呼吸より乱れていた。
“見られた”
事も有ろうに、こんな所を。と、羞恥で振り向く事が出来ない。
だが、目の前の男は、俯いている元就をその腕に抱き、照れ笑いを浮かべて、“見られちまったか”と、あっけらかんと言ってのけた。
その言い方に、元就は憤りを感じたが、長曾我部の友人であろう者達が返した言葉に、一驚する。
“仲直りしたのか”
と、確かにそう言った。
意味が分からない。
仲直りなど…。大体、喧嘩をした覚えすらない上に、そこまで親しくもないのに。
「まあ、何とかな」
当人である元就を置いて、勝手に話が進んでいく。現状は、さっぱり理解出来ないが、居た堪れなくなって、鞄を取り走って教室を後にした。
後方から男子生徒数名の声と、長曾我部の声が聞こえる。
その内容は、“早く追い掛けろ”という事と、“邪魔してゴメンって、彼女に言っといて”という事だった。
『彼女…?どちらの意味だ?』
遠くにその会話を聞きながら、元就は思案する。
女性である自分を指した言葉なのか、それとも…。
その、もう一つの意味に思い至る事を拒否する様に、頭を振った時、二の腕をキツく掴まれた。
「やっと、追い付いた」
弾み気味な声で、そう言葉を掛けてきた男を見上げるが、黄昏刻で表情がよく分からない。
「…どう云うつもりだ」
出来るだけ冷静に、元就は先程の行為について尋ねてみた。
「何が?」
だが、長曾我部は意に介する事もなく、変わらず弾んだ声で応えてくる。
その顔は、嘲笑で歪んでいるのか、単に笑っているのか、やはり分からない。
「だから、先程のアレは何の…」
「仲直りだろ?」
元就の言葉に被せる様に、まるで鋭い刃物の如く、スッパリと言い切られた。
「ふざ…けるな!」
悪怯れもせず答えたその態度に腹を立てて、元就は思い切り腕を振り、長曾我部の手を無理矢理剥がした。
そして、矢庭に走り去る。
又追い掛けて来るかと思ったが、足音は聞こえてこない。
確認の為、一瞬だけ振り返る。
すると、見えたのは、立っているだけで、追い掛けようという素振りは全くない長曾我部の姿。
しかし、元就は即座に目線を前に戻し、疾く、走り去った。
暗がりの中に佇む男の姿が、仄暗い闇を纏った幽鬼が如く不気味に映ったからである。
誰彼刻、男の表情は、結局最後まで分からず、元就の中には、言い知れぬ不安感だけが残った。
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