一
空が近く、太陽が厭と云う程その存在を主張している。
兄に伴い、この外海が見渡せる地に訪れた松寿丸は、じわりと浮き出てくる汗を拭いながら、一息つく。
「すぐに屋敷の方へ案内を致します故、もう暫くご辛抱下さい」
松寿丸の所為を見てか、迎えに来た長曾我部家の家臣が、気遣わしげに声を掛けてきた。松寿丸は、それに障り無く応え、用意された馬に乗り今回、盟約を結ぶ場となる屋敷へと向かった。
「此方に御座います」
着いた先は、海が一望できるとある武家屋敷。その門扉をくぐると松寿丸は、兄達とは別の場所へと案内される。
松寿丸は、岩を打ち砕く様な波の音を遠くに感じながら歩いて行く。そして、見えてきたのは、木々に囲まれて鬱蒼とした中に佇む庵であった。
その庵が在る場所は、母屋からかなり離れており、ひっそりとしていた。
『まるで、隠されているみたいだな…』
そう思い、松寿丸はこの度この地に訪れた理由を思い返す。
“若君の相手をしてやってくれないか”
安芸を発つ数日前に兄にそう言われ、この地へと供する事になったのだ。歳が近いからと云う理由らしいが、正直松寿丸には荷が重い。
別に話し相手程度なら構わないのだが、憂いの原因は、“それともう一つ…”と、付け加えられた事柄であった。
庵の入り口に近付くと、微かにだが、何か聴こえてくる。
「お連れしました」
松寿丸を案内していた従者が、中に居る若君であろう人物に声を掛け、そして此方に一礼して去って行った。
松寿丸は引き戸を開け、中を見る。
最初に目に付いたのは、宙に舞う紅の御手玉。
『先程から聴こえていたのは童歌か…』
そして、それらを操っている人物に目を向ける…。
薄暗い室内で、其処だけ浮き出ているかの様に、仄かに明るい。
見事な銀糸を腰辺りまで伸ばし、患っているのか態となのか、顔の左側を前髪で隠している。身に纏った桑の実色の打ち掛けが、その白い肌を一層際立たせていた。
「…さいてさかせたしゅのはなをだいてちらせてしたたらせ…」
松寿丸が入って来た事など全く歯牙にも掛けず、長曾我部の若君は唄を口遊(くちずさ)み御手玉を巧みに投げ受ける。
そう、今、松寿丸の眼前に居るのは“若君”である。しかし、その姿、格好はどう見ても…。
「…其方が姫若子か」
松寿丸がそう呟いた瞬間、室内の物音が消えた。
しかしそれも一瞬の事で、若君が松寿丸の方に向き直る。
「…弥三郎ですよ、松寿丸さま」
そう言い、優しげな笑みを見せた。
『この若君を外に出す…か』
兄に言われた“もう一つ”の事、それは、“何でも良いから長曾我部の若君に外界に対して興味を持たせてやってくれ”という、少々厄介な事柄であった。
弥三郎の父が、一向に武芸を嗜もうとせず、日がな一日庵に閉じ籠っている我が子に懸念を感じ、今回の盟約のついでに、息子と歳が近い“弟”を連れて来てくれと、兄に頼んで来たらしい。
『…弟か』
松寿丸は“面倒だ”と、軽く溜め息を吐いた。
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