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2014/03/15



ラピスラズリとローズクォーツを合わせると「愛とはいったい何という意味を気づかせてくれる」という意味になるそうです。




初恋は、隣りに住んでいた大学生のお兄さんだった。
当時まだ小学生だった俺はよく彼に手を引かれ、公園で遊んでもらっていた。
キャッチボールをしたり虫を捕まえたりブランコで背中を押してもらったり、お兄さんは嫌な顔ひとつせず俺のくだらない遊びに付き合ってくれた。優しい人だった。
何かお返しがしたくて、近所を駆け回って見つけた花を手折って短い腕を一生懸命伸ばして彼へと捧げたのを薄っすらと覚えている。
ありがとう、と彼が笑えば飛び跳ねるくらいには嬉しくて、擦り切った頬もぶつけた膝も気にはならなかった。
中学に上がる前に引っ越してしまったその人の名前すら俺にはもう思い出せないが、彼の笑顔だけは瞼を閉じれば今でも思い返せる。
淡い、柔らかな思い出の話だ。
その頃はそれが可笑しなことなど知るはずもなく、また許されないことだとも、知らなかった。

中学に入学した俺はなんとなく面白そうだからといたって単純な理由でバスケットボールを手に取った。
ドリブルもシュートも上手く出来なかったが、リングにボールが入り込むときの爽快感が、なんともいえず好きだった。
あっという間に夢中になり部活にのめり込む中、同じように毎日きらきらと瞬く瞳でボールを追いかける同級生がいた。
話してみると気があって、すぐに親しくなった。二人して、バスケに心酔してた。一緒に走り込みやあれこれとバスケのことについて語れば日が暮れていたなどしょっちゅうであった。
俺達ってバスケ馬鹿だよな、でもやめられねーとふざけては、笑った。楽しくて堪らなかった。世界は鮮明だった。
ある日、いつものようにふざけあった帰り道、そいつはお前のシュート面白いけど好きだぜと照れ臭そうに笑った。
瞬間、胸にじわりと湧き上がるものがあった。
苦しくてTシャツを握り締めると大丈夫か?とそいつが俺の顔を覗き込んできた。
熱い、とぼんやりと霞んだ頭で思った。
それは昔、隣りのお兄さんに抱いた熱さと同じものであった。

その頃の俺は芽吹いた気持ちをそのままにすることなんて出来なくて、募る想いに背中を押され、すぐに気持ちを伝える決心をした。
部活の後にそいつを裏庭に呼び出して、校庭の裏で摘んできた花を差し出した。
怪訝そうに手元で揺れる花弁を見つめるそいつに好きだと、純粋なままの想いを告げた。
そこに後ろめたい気持ちなどひとつもなかった。ただこの暖かなほんわりと身体を満たすような気持ちを、知ってもらいたかっただけだった。
ただ、同じ気持ちで笑って欲しかった。
早まる鼓動を抑えつけて、花を受け取るのを今か今かと待っていると、そいつは眉間に皺を寄せて、ひくりを口元を歪ませた。
どうしたんだろうと首を傾げているとバチンという音と共に手の甲に鋭い痛みを感じて思わず目を瞑った。
叩き落とされた花を踏み躙り、そいつは気持ち悪い、と吐き捨てた。
ぐしゃりと靴底で千切られた花弁が、俺を嘲笑っているようだった。
「二度と、近寄らないでくれ」
その言葉を置き去りにして、足早に去って行く彼を俺は呆然と見つめるしかなかった。
何か、彼の気に障るようなことをしただろうか、悪いことを、言ってしまったのだろうか。
明日謝らなければ、そう考えてやっと鉛のように重くなった足を引きずるようにして帰路についた。
じんと赤く腫れる手の甲が、沈み込むような痛みを知って、震えた。

次の日から、俺の生活は一変した。
登校してきた俺を一瞥しては目を逸らすクラスメイト達。けれど、その口元は可笑しそうに三日月を描いていた。刺さるような空気を余所に、俺は瞳をある一点から外せなかった。
いつもなら綺麗に清掃されて大人しく授業の時間を待っているはずの黒板。そこには「森山由孝はホモ野郎」と、荒々しい字が一面を覆い尽くしていた。
「なんだよ、これ」
声が裏返って、上手く呼吸ができない。
ホモってなんだよ、俺はただ、あいつのことが好きなだけなのに。
くすくす、女子達の軽い笑い声が耳へと滑り込んでくる。いつもなら心地いいはずのそれが、今は背筋を冷たくさせる。
「うわっ、こいつに触ったらホモになるんじゃね」
「近寄るなよ」
昨日までは普通に話していたはずの男子が俺を避けるようにして通り過ぎる。
その目は汚物を見るように濁り、冷え切っていた。
嗚呼、そうか。
同性を好きになることって、可笑しなことなんだ。
馬鹿な俺が気づくのが遅すぎて、既に事態は手遅れだった。
その日から、俺はクラスの端でひたすら陰口に耐えるだけの中学時代を送ることになった。
男好き、気色悪いなど散々な言葉を浴びせられ、いつも人の輪から外れされた。けれどもどんなに望んでも俺の性癖が変わるわけでもなく、ただ惨めさに耐えるだけの、最低な青春時代だった。
俺はふと気を抜けば溢れ出しそうな思いを掻き消すようにバスケに打ち込んだ。
何度も繰り返し、ただボールを追いかけた。そうして掴んだのは有名校への推薦。
今度こそは、間違えないようにしなければ。
もう二度と、男の人に恋をしてはいけない。恋をしても、それを誰かに告げてはならない。
もう一度、好きな奴にあんな瞳を向けられたら、俺はもう耐えれそうにない。
軋む心臓を無視して、唇を噛んだ。

けれども世界は俺には優しくなかった。
中学時代を過ごした東京から離れ、入学した神奈川のスポーツ有名校。
そこでまた、神様は俺に恋をさせた。
「森山!何ぼさっとしてんだよ、置いてくぞ」
高校に入り無事に二年生に進級した俺を、男にしては少し高い、でも逞しい声が呼ぶ。
振り返れば短く切られた硬い黒髪に、整えられていない凛々しい眉、幼いものの力強く光る丸い瞳が目に飛び込む。
それらの持ち主である笠松幸男は同じ二年で同じクラス、そして同じバスケ部だ。
「ごめん笠松、ちょっと考えごとしてたわ」
教室の入り口で急かす彼に慌てて荷物を鞄の中に放り込み駆け寄ると笠松は少し大股で歩きだす。
俺はこの笠松と出会い、また同じ過ちを犯した。
最初はなんだこの熱血真面目君といった印象が、意外と面白い性格をしてるなに変わり、一緒に居て楽しい奴だ、気が楽だ、もっと一緒に居たい……好きだ。
という風に単純にもまた俺は抱いてはいけない感情を芽吹かせてしまった。
(けど、今度は間違えないさ)
この気持ちを、伝えるつもりはない。
笠松に拒絶されたら、そう考えただけでも怖くて溜まらなくなる。
隣りのお兄さんより、中学のあいつより、笠松への感情はもっと熱くて深かった。
大丈夫、一年隠していられたのだ、もう二年くらいわけないさ。
そう言い聞かせ、いつものように彼の隣りに並んで体育館への道を歩いていると、ふと廊下の端で話し込んでいる男子グループを見つけた。
その中の一人に目を留めたとき――呼吸が止まった。
「森山?」
笠松が怪訝そうに俺を見るが、俺は今目の前の事実を受け入れるのに精一杯で何も言い返せない。
なんで、なんであいつが、この学校にいるんだ。
どうして俺と同じ制服を着て、平然とこの校内を歩いているんだ。
(いや、中学の同級生の一人や二人、この学校に居ても可笑しくはない)
……気付かなかった。
海常高校は一学年の人数が多く、クラスもGクラスまである。
入学式の時もあまりの人の波に酔ったほどだ。
そんな中、そいつが紛れ込んでいても気づくわけがない。
同じクラスにでもならない限り、お互いに分かるはずがなかった。
(……けど、)
選手として優秀だったあいつがなぜバスケ部に入らなかったのだろう。
俺にみたいな奴がやっていたスポーツのことは嫌いになってしまったのだろうか。
もし俺に気付いたら、あいつは俺の秘密をバラすのだろうか。
どうしよう、もし、あいつに出会ってしまったら。
ぐるぐると思考が回って、吐き気がこみ上げて来る。
どうしよう、どうすれば、
「おい、部活遅れるってば」
笠松が俺の腕を掴み、俺は引き摺られるようにしてその場を去った。

それからはそいつに出会わないようにそいつのいるクラスには近づかないなど細心の注意を払ったし、向こうも俺に気付く様子はなかった。
まあ今の俺は虐められてもいないし、高校に入ってから身長も伸びたし筋肉もついた。
ちょっと見かけたくらいでは、もう分からないのかもしれない。
少しずつ滲んで消えていく恐怖に、俺は絆されて緩やかに新しい生活を受け入れていった。
大丈夫、今だって笠松にはこの気持ちはバレていない。
大丈夫、きっとこのまま、隠し通せる。
俺さえヘマをしなければ、きっと。

三年に進級して、キセキの世代が入部するらしいと噂が出始めた頃、俺と笠松は入学式の部活オリエンテーションで披露するパフォーマンスを考える為に二人で部室に残っていた。
ああだこうだと話し合っているうちに日は陰り、街灯がつき始める時間になっていた。
「もうこんな時間か……」
「結構話し込んじゃったな」
「ああ、そろそろ帰るか」
身支度を始めたときコンコンと、控え目に部室の扉を叩く音が聞こえた。
「……?」
二人して顔を合わせて、とりあえずどうぞ、と言うとゆっくりと扉が開き、どうもと言う声が聞こえた。
その声は、中学のときに何度も聞いた、耳にこびり付いて離れなかったあの声だった。
「よう、久しぶりだな森山」
絶句している俺を余所にそう軽く手を上げて挨拶にする彼の姿が、揺らめいて見えた。
「な、んで…………お前が」
「森山、知り合いか?」
「あ、あんたが笠松さん?俺さ、こいつの中学の同級生なんだけど」
にやにやと、気色悪い笑みを浮かべたそいつは笠松へと近づくと俺を指さしてこう言った。
「こいつさ、俺のこと好きだったんだよね」
世界が、割れる音がした。
「……は?」
「いや、だからさぁ、こいつ中学ン時仲良かったんだけどさ、何を勘違いしたのか俺に告白してきてきやがって、しかも花なんか持って!気持ち悪くねぇ?」
つらつらと、俺の過去を吐きだしていくそいつにやめろと思わず叫んでいた。これじゃあ肯定しているようなものじゃないか。笠松が、丸い瞳で俺を見つめている。
笠松ばかりを見ていたそいつは俺をちらりと見やると、目を細めて笑った。あの時と同じ、濁った瞳で。
瞬間、理解してしまった。
嗚呼、こいつは、俺が高校の生活になれて、過去の過ちを忘れて、これから先に色めき立つ様々な中学では味わえなかった青春へと胸を踊らせて舞い上がったその瞬間に叩き落そうとしてたんだ。
わざわざ俺に気付かれない為にバスケ部にも入部せず、俺を避けて生活しながら、この日を待ちわびていたんだ。俺が気を緩ませたその隙を狙って俺を潰して、二度と起き上がれないくらい、ぐちゃぐちゃにする日を。
なんだ、少し考えれば分かることじゃないか、馬鹿だな俺。
こんな、こんな男好きの気持ち悪い奴が、幸せになれるわけないじゃないか。
もう何も見たくなくて、逃げるように瞼を閉じた。

ドカッとか、バキッとかよりも、もっと鈍い音が響いた。
閉じかけた世界を開くと、笠松の拳があいつの顔に埋っていた。
その拳が離れるのと同時に、そいつの身体が傾き、地面に叩きつけられていくのが笠松の背中越しに見えた。
仰向けに横たわるそいつはぴくりとも動かず、その顔に赤が付着しているのを見つけた途端、背筋が凍った。
「……笠松っ!!」
泣き叫ぶような声が口から出て、次には笠松の元へ走り出していた。
「やめろ!やめてくれ!」
もう一度向かって振り上げていた腕を両手で必死に抑える。
「笠松……なあ、頼む、やめてくれ」
「……森山、」
「もういい、いいんだ、ありがとう……笠松はこんなことしたら駄目だ」
我ながら、情けない声だと思う。
いつの間にか笠松の右腕を捕まえていた両腕は彼に縋るように指先を引っ掛けていた。
「頼む……」
笠松は黙って、俺の髪を撫でた、
先程とは違う柔らかな手つきに、ほっと息を吐く。
あいつは顔を抑えつつ片手で起き上がるとよろめきながらも部室から走って逃げ出してった。
「あ、」
「大丈夫だろ、言いふらしたりはしないだろ……多分な」
冷静になったのかそう呟く笠松の声は落ち着いた音色だ。
「ごめん、笠松。こんなことさせて……ごめん」
「なんでお前が謝るんだよ、悪いのは十割向こうのほうだろ」
「それでも、お前に人殴らせた」
「……いいよ、俺だって自分のダチ悪く言われて黙ってられるほど大人じゃねぇよ」
笠松はふぅ、と息を吐いて俺の肩へと両手を置いた。
「笠松……?」
「お前が誰を好きでも、俺はお前のダチだ」
そう、二カッと笑った。
真っ直ぐな、笠松らしい言葉。その言葉が胸へと突き刺さる。
唇が上手く動かない。
俺も笑って、ありがとうって言わなきゃいけないのに。
「ごめん、」
つい、口から零れてしまった。
ごめん笠松、俺、お前を裏切ってる。
ごめん、お前ずっとダチだって言ってくれたのに、お前のこと好きになってごめん。お前のこと裏切ってごめん。
最低だ、人を好きになるって、こんなに罪なことだったんだ。
やっとすべてを理解した俺はもうまともに笠松を見ることもできなくて、その場にしゃがみ込む。
涙が落ちてしまわぬように必死で堪えていると、俺よりも少しだけ大きな、ごつごつとした手が頬を包む。
そのまま上を向かされてみっともない顔を笠松に晒せば、笠松もまた、苦しそうに眉を潜めていた。
「かさま、」
「泣くな」
俺の言葉を遮るように笠松が俺の前髪を掻き分け、あろうことか、額に笠松の唇が押し付けられた。
「っえ……?」
あまりの衝撃に呆然と笠松を見つめていると笠松は可笑しそうに笑った。
「悪いな、前言撤回だ」
「は、」
「なあ、俺もお前と同じだって言ったら、気持ち悪いか?」
その言葉に俺はついに涙を堪えきれなくて、たまらずに目の前の身体にしがみついた。

ラピスラズリの瞬き、ローズクォーツの夢
(愛とは何という意味か、貴方が気づかせてくれた)



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