リラが咲く頃


※未来


 笹川京子が結婚した。綺麗な薄紅の桜が舞い踊る春のことだった。
 笹川京子という人物は「恋は盲目」な綱吉に言わせれば、ほのぼのとした春の陽射しを連想させる太陽のような女の子だ。にこりと微笑むそれは、花咲くようで。並盛中のマドンナの名を欲しいままにしていた可憐なあの子は、綱吉の初恋を見事に掻っ攫っていった。
 結婚式への招待状に映る、彼女の隣で寄り添う男性は綱吉とは違って頼りがいがありそうだったと記憶がある。思ったことをそのまま綱吉に零せば、失礼だなあ、なんて腑抜けた顔が更に酷くなっていたっけ。
 彼が笹川京子への恋心をすっぱり捨てると決意したのは、そう。高校を卒業してイタリアのボンゴレ本部へ移住して、本格的にボンゴレファミリー十代目ボスへの道を歩むと決めたと同時である。
 異国であるイタリアのボンゴレ本部の中庭にも、綱吉の意向で桜の木が存在する。なかなか日本には帰ることが難しい身であるから、リボーンも特に止めることはなかった。忘れたくないといつの日か綱吉は言った。異国に、別の世界に染まっても、生まれ育った日本の空気は忘れたくないと。着慣れてしまった黒スーツを身に纏い、私は中庭の桜を見上げる。まるでここだけ日本のようだ。
 今頃、笹川京子は幸せだろうか。このスーツとは正反対の純白のドレスを着て、血の匂いなど漂わせない彼と結ばれて。

「綱吉。行かなくていいの」
「欠席に丸をしたのは名前も見ただろ。というか、お前がお兄さんに出したんだから」
「まだ笹川さんのことお兄さんって呼んでいるの」
「仕方ないだろ。今更、変えられないし」
「ふぅん」

 執務室に行けば、予想通り。普段は嫌がる書類に綱吉は黙々と向かっていた。顔を上げた綱吉が私の顔を見て安堵したのは気のせいではないだろう。
 今日、いつもならば何かと理由をつけ執務室にいる守護者たちがいないのは気を使ってだろう。本来のダメツナの如くひっそりと静かに散った綱吉の初恋に。でも、綱吉はそんな腫れ物を触るかのような扱いは求めてはいない。彼ら守護者たちよりこの世界の綱吉と関わることできない私でも、一応幼馴染として綱吉の隣で生きてきたのだからそれくらいは分かる。
 頭を酷使しているだろう綱吉のために、砂糖とミルクを多めにコーヒーを淹れてやる。なのに仕事を放りだして私と話でもするつもりなのか、綱吉は礼を言って受け取れば向かい合わせのソファに移動する。なんとなく、察していたから私も特に何も言わず自分の分のコーヒーを持って綱吉の向かいに腰を下ろした。
 暫く沈黙が支配する。コーヒーの水面をじっと見つめる綱吉は少し痩せたようだった。年を重ねるほどに、細く引き締まっていく身体を見て男の子なんだなあと実感する。ふにふにと柔らかく私よりも小さな手は、いつのまにか骨ばっていて私の手を包みこめそうなまでに変化していた。しかし今回はそれを抜いても見るからに痩せていた。黙り込む綱吉に一つ息を吐いて、口火を切った。

「ちゃんと食べてる?」
「それなりに」
「嘘。いくら失恋したからって食欲減退とか思春期の女子か」
「手厳しいね。リボーンとは違う方向で攻めてくるところとか名前って怖い」
「男女の差かね。私はリボーンみたいに説得力のあること言えないわ。指摘しかできない」
「それでも怖いよ。あ、でも雲雀さんとかは二人を足して二で割った感じかも」
「そうなの? ……ともかく、ちゃんと食べてよ。体調管理だって秘書である私の仕事なんだから」
「ごめんごめん」

 へらりと笑ってコーヒーを啜る綱吉の目の下には濃い隈が浮かんでいた。

「ねえ、名前」

 綱吉は笑う。その優しげな柔らかい顔が歪むことはない。諦めの色を滲ませた微笑みを仮面にして過ごすようになったのはいつからだろうか。
 綱吉は高校を卒業してからイタリアに渡ることぎりぎりまで悩み考えていた。ボンゴレ十代目という未来を選択するということは、彼の望む平凡で楽しい日常を捨て去るということだから。守護者である山本や獄寺、その他大勢の人生を巻き込むということだから。優しいやさしい綱吉は苦しそうな表情で私に尋ねた。どうすれば良いのかと。いくら死ぬ気の炎で、リボーンの教えで心身共に強くなったとはいえ根本的なところは昔から変わらない。ダメツナのままである。そんな大事なことは人に訊いて決めるのでなくて自分の頭で考えろ、なんて私が突き放さなければ決断できなかった。
 綱吉は絶対に笹川京子をこの世界から遠ざけようとした。兄である笹川了平が守護者である以上、完全には無理だけれど。でもボンゴレのこと、マフィアのことも未来に渡ったときのあの一件がなければずっと秘密にしておくつもりだっただろう。彼女がマフィアの脅威に晒されないように細心の注意を払って、自分の恋心さえも捨てて笹川京子を守ろうとしたのだ。
 綱吉の考えは理解しているつもりだ。特に彼の弱さと強さ、この点に措いては。ボンゴレを選んだのも、自分の居場所を作るためだということも。
 だから理解している。

「結婚しよう」
「随分と急だね」
「急じゃないよ。名前がいないと俺は何もできないし、たくさん助けられているから。前からおもっていたんだ」
「そう」

 彼が私のことをどう思っているかも。自分の心を切り捨ててでも守った彼女とは違い、彼の隣に立つことを許されてプロポーズされている私の立ち位置くらい。
 でも。それでも私は満足だから。私だって綱吉と同じように何の力も持たないのに平穏な日常を捨ててこの世界に踏み込んだ。綱吉の隣で呼吸している。選択できる権利くらい私にだって持っていた。
 純白のドレスじゃなく、闇のように黒いスーツでも。常に死と隣り合わせの血生臭い彼でも良い。私にはもうこの手を取るしか残されていないのだ。

「良いよ」
「そっか。ありがとう」
「……京子、綺麗だろうね」
「絶対ね。やっぱり式に行けば良かったかな」

――――
14.06.15