深夜、月の下で。


※死ネタ、年齢操作+2くらい。


「綺麗に死にたい」

 ぽつり、猪々子ちゃんは呟いた。綺麗な満月を亜子ちゃんと猪々子ちゃんの部屋の前の廊下で二人で眺めてる時だった。
 猪々子ちゃんは、綺麗なもの、美しいものにいつもこだわる。何故なのかは知らないが綺麗な彼女だからといつもは流していたけど、まさかそんなところまでこだわると思わなくて私は酷く動揺してしまった。
 彼女になにか言おうと思ったけど、掛ける言葉が見つからなくて開いた口を閉じる。
 私が何も言わないのに猪々子ちゃんはごめんなさいね、と少し悲しげに笑みを作った。

「死ぬときだって、綺麗でいたい。たった一度の人生だもの。醜くなるなんて嫌。貴女もそうでしょ?」
「……そうだね」
「でも、このままじゃ私にはそれが叶わない」

 月を見上げる猪々子ちゃんの目には涙が浮かび、涙は頬に伝っていく。猪々子ちゃんは行儀見習いではなく、くノ一志望で学園に来た。くノ一になるのだとしたら、彼女の願う綺麗な死に様は無理に等しい。

「……猪々子ちゃん」
「ごめんなさい。名前さんにこんな話をしてしまって」
「ううん。良いの」

 普段は、弱音とか愚痴とか負のことは口にしない彼女だから、私なんかに吐き出してくれて嬉しかった。
 猪々子ちゃんは立ち上がってお茶淹れるわね、と部屋の中に入っていく。そう言えば彼女の同室である亜子ちゃんがいないけど、どうしたんだろうか。私は、障子の向こうでお茶を淹れてる猪々子ちゃんに声をかける。

「亜子ちゃんは?」
「卯子と恵々子の部屋に行ったわ。恋バナでもしてるんでしょ」

 かちゃかちゃと物音をたてながら猪々子ちゃんはどうでも良さげに言う。ああ、だから猪々子ちゃんは先ほどの話を言えたのか。亜子ちゃんや、他の子がいる前では決して言わないから。
 すっ、と障子が開き、美味しそうなお茶を渡される。なにか、お茶菓子と一緒に頂きたかったけどこんな時間じゃ無理かな。
 猪々子ちゃんは再び私の横に座りお茶を静かに啜る。そして満月を見上げる。その目は眩しいものを見るような目だった。

「月が綺麗ね」
「満月だもんね」
「満月じゃなくたって綺麗だわ。欠けてたって、月はどんな時も美しいわ」
「うん」
「羨ましい。私も月になりたい。ねえ、名前さん」

 彼女の言葉に、私はお茶を飲もうとする手を止める。
 猪々子ちゃんがやんわりと、私の腕を掴んだ。

「名前さん、私ね、やっぱり綺麗に死にたい」

 縋るような目と共に紡ぎ出され、私は彼女が何をして欲しいのか理解した。

 猪々子ちゃんは綺麗なものが好きだ。現に、彼女の持ち物は綺麗なもので溢れかえっている。整った顔、丁寧に手入れされてる艶やかな髪、白い絹のようにきめ細かい肌、綺麗で気高い友人……数え始めたらキリがない。
 そんななか、綺麗とは言えない私を彼女の隣に置いてくれたのを前から疑問に思っていたけど、もしかしたらこの為なのだったかもしれない。だって、こんなこと、美しい猪々子ちゃんの友人に任せられないもんね。自分でも出来ないもんね。こんな、汚くなってしまうことを。
 
 次の日、くノ一教室はとても騒がしかった。猪々子ちゃんが裏山で死んでいたらしい。
 死因は不明だけど、彼女の死体は傷一つなく綺麗だったそうだ。猪々子ちゃんが死んだのは、初めての戦場での危険な実習の日だった。
 猪々子ちゃん、友人になってくれた理由があんなことでも、私ね、とても嬉しかったよ。だって、猪々子ちゃんのこと大好きだもの。
 私は昨日、彼女と月を見た廊下でとっくのとうに冷めているお茶を口に含みながら心の中で呟いた。嗚呼、冷めても猪々子ちゃんが淹れたお茶は美味しいなあ。


12/05/20