わかりきっていたことだけど、やっぱり次の日の寝覚めは最悪だった。頭痛はひどいわ吐き気はするわで、ああこれが二日酔いかと苦々しい気持ちになる。これほどになるくらいまで酒を飲んだのだ、できれば昨日のことをさっぱり忘れたかった。だか、これまた最悪なことに、あの忌まわしき出来事の記憶は俺の頭の中にしっかり残っていた。

「……最悪だ」

一緒にいたのが門田でよかった。別の誰か、ましてや臨也を目の前にこの想いを自覚していたら、余計に状況がややこしくなっていただろう。
俺は時計を見る。時間というものは無情で、俺が布団の中で頭を悩ませているうちにどんどん過ぎていってしまう。気づけばもう出勤時刻に近づいていて、俺は慌てて身支度を整え始めた。
顔を洗い終えて洗面所から出ると、トムさんからメールがきていた。開いてみれば、「今日は休め」と短くある。門田が気をきかせてトムさんに連絡をしてくれたのだろうか。それならばその優しさに甘えて、今日は一日休ませてもらおう。

なんたって俺は、この酷い二日酔いよりも面倒な事項と向き合わなければならないのだから。宿敵と言えるほどの男に恋慕しているという、とてつもなく厄介な事柄と。






高校の頃から、臨也と仲良くできたためしはない。初対面から現在に至るまで、優しくされるどころか危害しか与えられなかったような気がする。それなのにどうしてあの男を好きになってしまったのかとか、あの男のどこが好きなのかとか、そういうことはこの際思考の隅に追いやることにしよう。きっかけも理由もわからないけど、俺が臨也をどうしようもないほど好いているということは純然たる事実なのだから。
ただ、前に一度、好意とも嫌悪とも判別できないことがあったことを覚えている。確か、高校二年の時のことだったと思う。
いつもと変わらず大勢の刺客を差し向けられ、それを蹴散らした後はその黒幕と派手な追いかけっこをした。そうしてまるで死屍累々のような光景が広がる校庭で、力尽きた俺と臨也はしばらくの間黙って座り込んでいた。

「シズちゃん、ほんと、早く死んでよ。最近、シズちゃんを襲ってくれる不良を探すの大変なんだよね。君が軒並みに大抵の不良を潰しちゃったからみんな怯えちゃってさ。ああ、かわいそうに」
「うっせえ、てめえが死ねばかわいそうな不良はもう生まれねえんだよ」

その時はふたりともひどく疲弊していたから、ぽつりぽつりと他愛ない話を始めても再び喧嘩へと発展しなかった。互いに悪態を吐きながらも、驚くほど会話が成立したものだ。

「しっかし、暑いねえ。何か飲み物を買ってこようかな」

シズちゃん何か飲む? と臨也は珍しく聞いてきたが、俺は当たり前のようにそれを撥ね付けた。敵に塩を送るという素晴らしい心掛けを臨也が持っているとはちっとも思わなかったのだ。どうせ何か薬でも盛られるに違いない。
少しして、臨也は校内の自動販売機で買ったミネラルウォーターを口にしながら戻ってきた。
水を煽り、汗が滴る白い首筋が顕になる。そのひどく色っぽい光景に、臨也が女にモテるわけだとぼんやりと思った。

「なに見てるの?」

臨也にそう問われ、俺はなんとなくきまりが悪くなる。水を飲む臨也の姿に少しでも見とれたことが、なんだかひどく浅ましいことのように思えたのだ。だから、「喉渇いたんだよ」と投げ捨てるように言った。
すると臨也は意外にもペットボトルをこちらに投げて寄越してきた。ひやりと心地よい感触を手にして呆然としていると、臨也はふわりとなんの嫌味のない笑顔を浮かべて、言った。

「素直な子は嫌いじゃないよ」

じゃあ、また明日ね。

そう言って立ち去る臨也の背中を見ながら、俺はその言葉は俺との関わり合いを未来永劫許してくれるひどく優しいものだなんて馬鹿げたことを思った。
また明日。そうやって次の日の俺を肯定してくれること。皮肉なことに、俺は俺に殺意を抱く彼に自分の未来を認めてもらったのだ。






今となってはもう朧気な思い出。それでもなお俺の記憶の片隅に残っているそれは、確かに俺に大きな影響を与えたのだろう。
いくら怪我を負わせようと悪態吐こうと、臨也はしぶとく俺の目の前に現れた。そこに存在した理由はきっと優しいものではない。だって、彼は本気で俺に殺意を抱いていたのだから。
臨也は夢にも思わなかっただろう。ひたすら謀略を向けてきた相手に好意を向けられることになるなんて。「これだから、シズちゃんは嫌いなんだ」と、想像通りにいかない俺を皮肉る姿が脳裏に浮かんだ。

そんなことを言われたって、俺は別にお前を謀ろうとしたわけではない。むしろ俺を嵌めたのはお前の方じゃないか。

やりきれない。叶わぬ思いに身を焦がすだなんて、うまく言ったものだ。
俺はため息を吐き、煙草を手にしてベランダへと向かう。穏やかな風が心地よい。暖かな日差しに目を細めながら煙草を一本くわえる。そうしてライターで火をつけようとした、その時のことだ。

「二日酔いに煙草だなんて、不健康な生活を送っているね」

カツン、と乾いた音がする。多分、それはライターが地面に落下した音だろう。薄く開いた口からは煙草がポロリと落ち、俺は頭のどこかでもったいないと思った。
俺の住んでいるアパートの前に、臨也が立っている。いつもと変わらぬ格好をして、お得意の嘲笑を顔に浮かべて。
気づかれたのだろうか。俺の気持ちを知って、それを散々に貶しにきたのだろうか。それなら、いっそそうしてもらった方がいいかもしれない。そうやってひどく傷つけられれば、俺は本当に臨也を嫌えるだろうから。

だが、臨也がとった行動は、俺が予想だにしなかったものだった。

彼は手にしているコンビニの袋を思いっきり投げてきた。反射的にそれを受け止めると、手になにか固い感触が感じられる。それは俺が昨日の帰りに買ったもので、今の今まで存在を忘れていたものだ。俺が呆けた顔をして臨也を見れば、彼は肩を竦めてこちらを見た。

「本当にさあ、次の日のためにわざわざコンビニに寄ってそれを買ったところまでは褒めてあげるよ? あんなに酔っ払っていたのになかなか見上げたものだ。けど、ちゃんと家に持って帰って飲まなきゃ本末転倒だろ」

そんな抜けてるところは実にシズちゃんらしいね。臨也はそう言って、またあの日のように綺麗に微笑んだ。
俺は、そんな彼がどうしようもなく好きだと思った。





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