どうしてぶつの?
「先輩、鉋って何処にあるんですかぁ?」
用具倉庫の中、委員会で用具の整備を行っていた。
慌ただしい中富松が唐突に質問をしたので、言葉より先に手が出てしまった。
「その棚の二列目に金具、って書いてあ…」
ぱしん。
「あ、」
手を伸ばす途中、一緒に釘の錆を落としてくれていた喜三太の頬を叩いてしまう。
喜三太が俺に磨いだ釘を渡そうと真後ろに立った、偶然の瞬間だった。
派手な音が鳴った後、叩かれた方向にされるがまま首を傾け、彼は一瞬何が起きたか解らない、といった顔をした。
しかし、みるみるその惚けた顔は歪んでいく。
「ひっ…」
いけねぇ。自分が不注意だった。
その思いで、焦って詫びを入れる。
「わっ、悪い、山村。手が当たった。痛かったか?」
俺の優しい声を聞いたが為か、喜三太は逆に何かが吹っ切れたように泣き声を上げ出した。
「うああーーーん!」
まるで小さな子供がするように、口を大きく開けて顔を真っ赤にさせている。
いかん。
いかん。いかん。
「悪かった!山村、泣くな、泣くな!まったく…」
叩いた頬を擦って、必死にあやすが喜三太は収まらず、わんわんと倉庫に声を響かせる。
困る。非常に困る。
お前が泣くと…
「釘が又錆びるだろうが!」
「わぁーーーっ!!」
逆効果だった。
喜三太はどうやら、怒られた事よりも、俺にぶたれた事がショックだったらしい。
その後、喜三太をあやしつけたのは、俺と、自分にも責任があると踏んだのか富松、泣きじゃくる背中をなぜて保健室に行こうかと優しく話しかけるしんべエ。気の効いた平太は、俺に怯えながらも喜三太から釘を受けとり、俺と喜三太の為に影で一生懸命錆びない様に拭いてくれていた。
彼が泣き止んだ頃には、とっぷり日の漬かり既に解散する時間を過ぎてしまっていた。
泣きつかれてくたくたになった喜三太を背負い、一年の長屋へ連れていくことにする。
皆の気力も喜三太のあやしによって疲れていたので、そのまま流れ解散することにした。
喜三太を部屋に担ぎ込むと、同室の金吾がぎょっとした顔をしたが、すぐに布団を出して対応してくれた。後は任せてください、という言葉に甘え、おぶっていた身体を布団に移し、悪いな、と詫び部屋を後にした。
「ふぅ、」
肩の荷が降りため息を漏らすが、それでも気が重い。委員会を解散させてしまった為、今日までに確認しなくてはいけない管理表を、一人でやらなくてはいけなくなった。
解散させておいてもう一度収集させるのも変だ。
仕方なく一人、用具倉庫に向かう。
今日までに数え合わせないと―…
「おい、ヘタレ用具委員長。」
こいつが来るからだ。
「誰が、ヘタレだ。」
「お前だ、バカタレ。用具の管理表はどうした?今日までにまとめて、渡して貰う約束だ。」
会計委員の部屋の光が逆光となり彼を影に落とすが、この腕を組んだ身ぶりと口ぶりは、その委員長、潮江文次郎に違いない。
先日、俺は予算を必要な用具分上げて貰う事を頼んだのだ。初めは、渋い顔をして反論ばかり言われたが、今日までに今ある用具の管理表を提出することを条件に交渉することになった。
予定ではもう終わっている筈だったのだが、喜三太とのごたごたで、残りの分は空白だ。
俺はそれに対しての焦りと疲労で、半場苛ついていた。
「訳あってまだ終わってない。あと何時間かしたら渡しに来る。」
苛つく感情を押さえ、淡々と述べてその場を離れようとした。が、「何ぃ…」と文次郎の唸る声がそれを阻む。
「ちょっと待て、うちの委員会も、お前んとこの仕事が終わるまで解散させてやれないんだ、解るか!?」
こいつとかかわると必ず喧嘩になる。苛ついているのに、仕事があるのに。余計に火に油を注がれたくない。
「だから今、やろうとしてんだろ!」
いや、注がせたくない、に近い。今回は俺が原因で色々支障をきたしてしまったのだ。鍛練バカの率いる可愛そうな会計委員にも面目ない。
だからすぐ終わらして、表を提出してやりたかった。
それに、この苛立ちを、冷たい用具倉庫で用具を静かに数えながら、はやく納めてしまいたかった。
俺は用具倉庫に向かう為、踵を返して歩く。
「おいっ!」
まだ文句を言い足りない様で、文次郎は腕を伸ばし俺の袖を掴んだ。
とっさに、(悪い癖だ)俺はそれを振り払おうと腕を振った。
ぱしん。
「…。」
その腕、もとい、俺の手の甲は、文次郎の頬を叩いてしまっていた。
苛立ちから早く解放されたかったのか、思ったより強く叩いたらしく、文次郎の片頬はみるみる赤くなっていった。
「わっ、悪い」
反射的に謝り、さっと文次郎の頬に手を翳し擦る。彼の肌は思ったより柔らかく、文次郎は叩かれたショックと怒りで固まったままでいる。手の平で頬を包むが、赤みは益々増していった。
(そんなに強く叩いたのか?)
と思っていると、文次郎は俺の手からさっと顔を背け、数歩後ずさった。
「…!」
そうされてから、やっと気が付いたのだった。
…何て事をしているんだ、俺は?
さっき喜三太にそうしたように、たまたま又叩いてしまった文次郎にも、俺は同じように頬を擦ってしまっていたのだ。
相手は同学年の潮江だ。もう子供のような扱いを受けることなど無くなって居たのだろう。彼はその為、
逆光で顔を隠しては居るが、酷く動揺しているのが解った。
それを悟られないためか、文次郎は早く行け、と俺に言い放つ。
「あ、ああ。」
そう言われると立ち退く他ない。
改めて踵を返し、作業場へ向かう。
しかし途中思い立って、俺は駆け足のままくるりと振り向いた。
「悪かったな!」
振り向いた時も文次郎はさっきのままの場所に立ちすくんでいて、謝った瞬間困ったような顔をしたのが、逆光から少し逸れて合間見えた。
俺はそのままその場を後にした。
気にかかったのは、動揺した文次郎の反応では無く、奴の叩いてない筈の頬が、赤みを帯びていたことだった。
おわり
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お風呂にて
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