聞こえてますか

「文次郎、ほら、食満が走るよ。応援してやれよ!」
 
七松はクラスで作ったTシャツを、首元をざっくり切って中の派手なタンクトップが見える様着ているのが洒落ていた。元気で健康的な七松には良く似合っている。しかし、それが半袖を捲し上げただけの潮江文次郎には何だか不愉快だった。自分は、上手く着飾るのは、苦手なのである。
 
 
「してるよ、心の中ではな」
 
陸上競技大会最終種目、学年別対抗リレーで、食満はアンカーを背負ってラウンドに立っていた。
その姿はいたって爽やかで、彼の事を応援する女子は五組だけでは至らなかった。
 
それも又、気に食わなかった。
 
走れば自分と大差無いくせして、やたらピンクい声援ばっかりうけて。やれ、食満く〜んだの、がんばってぇ〜、だの、何だ、あいつはアイドルか?くそっ、
 
俗に言う、嫉妬、というやつらしい。いや、俺は彼奴に走りでは負けないと嫉妬したのであって、決して…
 
そうこうしているうちに、前列の選手がバトンを渡そうと食満に向かって走り終えようとしていた。食満の体制が低くなり、やがて、助走をつけてからバトンを受け取る。
 
…それは、あっという間の瞬間だったが、食満がふと顔を前に向けたり、手を差し伸べたりする仕草が、文次郎には鮮明に目に焼き付いた。
 
観客の声援とは裏腹に、食満は音もなく走りだした。体制良く綺麗に足を運んでいて、地面を蹴って風に乗ってるようにも思えた。客席からでは遠くて、どんな顔をしているのか判らない。
 
音もなく、表情も読めず、相手からはただの観客≠ノしか見えていない。(だろう)その遠さが、ふと何かを思い起こさせる。
 
 
(これは)
 
(俺の)
 
(恋の位置だ)
 
 
「食満――――っガンバレ――――っっ!!」
 
フェンスから身を乗り出し、七松が文次郎に構わず声援を贈る。
食満は六番目から数人抜いた後、一学年下の後輩と競り合っていた。お互いが譲らず、譲らせないため、ぴったり息を合わせて走っている様だ。
 
コートのカーブを曲がりきり、ラストスパートに差し掛かった。
 
客席に双方の選手が近づいてくる。二人の表情が見えてくると、文次郎は自分が傍観者ではなくもっと二人が近い存在に思えた。
 
二人は自分と、お互いの姿にしか焦点が合っていなかった。観客など見えないようだ。
二人は苦しそうな表情を浮かべ、ただがむしゃらに走っていた。
 
 
(あいつ、悔しい、って顔してる)
 
俺は、俺の声が、周りの声援に溶けてしまうのがわかったのだが、
 
「食満ぁっ」
 
(あいつ、今頑張ってるんだ!)
 
届かなくてもなんでも、俺は叫んだ。
 
「もっと走れよっ!!!!!」
 
(俺は、俺は応援したいよ、食満。いや、しなくちゃ。お前の努力の通りに、してやりたいから!)


――食満!



「後輩に負けてんじゃねー!!!」

 
 
 
 
 
 
俺の声が届いたのか知らないが、走り抜けた後には風が残り、二人はほぼ同時にゴールした。
 
顔を見合せる審査員は、困った風に笑ってから、その名前を読み上げた。
 
 
 
 
 
――後に彼は、負けた理由をこう述べるのだ。
 
悔しがっている様な、照れている様な、情けない表情を浮かべて。
 
――「潮江の応援が、いかつかったから。」
 
 
 
 
 
 
可愛くなくて悪かったな!
 
 
 
 
 
 
聞こえてたのか。
はたまた奴の冗談なのか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
格好良かった、と、小さく小さく呟く声にも、
 
 
 
 
気付いてくれないか。
 
 
 
 
 


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