綾→←滝


可愛いとは何ぞや?
私は皆が可愛いと言う花や小動物を見ても可愛いとは思わない。その生物がそこにいることを事務的に見て取ることはできるが、大した感情は湧かない。先輩が、同室の学園一忍者してる先輩を、あれで一応可愛いところもあるのだ、とかほざいてたけど全く意味がわからない。時たま私を可愛いという年上の同級生や豆腐好きの先輩もいるけど私は自分の容姿を可愛いと思ったことがないし言われても嬉しくない。くの一が黄色い声をあげて可愛いと言っていた髪飾りや余所行きの着物も、特に何も思わなかった。先生方が生徒を可愛いと言うのもわからない。私は子供を可愛いと思わない。男なら誰しも振り返ると言われる町娘も人気の女郎も、何も何とも思わない。
可愛いとは何ぞや?
 
「…そして私に訊くのか」
 
滝夜叉丸は呆れたように目を伏せて、小さく息をついた。
 
「うーむ…つまりお前が知りたいのは可愛さの概念か?それとも可愛いと思う者の心理か?」
 
「…んー……よくわかんない」
 
「はあぁ〜…」
 
盛大にため息をつかれた。思えば私はよく滝夜叉丸を呆れさせたりうなだれさせたり疲れさせたりする。何故だ。
 
「つまり…うーん…お前は何かを愛しいと思ったことはないか?」
 
「愛しい?」
 
「可愛いと思うことは、つまりその事物を愛しいと思うことだ」
 
「……愛しい…?」
 
頭の中で検索をかけても該当するものが見つかりそうにない単語だ。蛸壺は好きだが、あれは美しく穴を掘ることに意味があるわけで、愛しいとは違う気がする。愛しい?愛しいとは何だ?
これも訊いたら滝夜叉丸に見放されそうだから自分で考えるしかない。愛しい…愛しいねぇ…恋はおろか自分の好物すら危ういのにこれが理解できるのだろうか。寝たことのない人間に夢を説明させるようなものじゃないか。少し違うか。えぇ〜…愛しいって何だ。
 
暫く黙って視線を彷徨わせていると、視野に入った滝夜叉丸は手持ちぶさたな様子で頭巾を丁寧に畳んでいた。滝夜叉丸の前髪が頭巾を取った所為か少し乱れていたので、私は静かににじり寄って前髪に手をかけた。
 
「ん?えっなんっ…!?」
 
滝夜叉丸は俯いていたから急に目の前に現れた私に驚いていたが、私が前髪を直しているのだとわかると大人しくなった。直している間、滝夜叉丸は視線をどこにやっていいかわからないのか、居心地悪そうにもじもじしていた。それが面白かったから、私は少し手を遅くして直した。
 
「…うん、いつもの綺麗な滝夜叉丸になった」
 
少し体をずらして全体を見てそう言った。すると滝夜叉丸は少し目を見開き、頬を桃色に染めて、下を見ながら小さくありがとう、と言った。
 
いつもは傲慢で、自信過剰で、自慢することと自分を磨くことに余念のない滝夜叉丸。今だってきっと、「ごくろう」とか「私はいつも綺麗だ」とか、そんな返事が返ってくると思っていた。なのにこんな、殊勝な、清純そうな、態度、どうしたの。慣れないことするから耳も赤くなってきたよ。なんだか私まで…私まで……
 
 
その瞬間、私の中で何かが湧き上がった。胸の辺りがくすぐったいように痺れて、疼いて、切なくなって、気付いたら手を自制していて、だって我慢できないくらい、凄く、凄く、
 
 
抱き締めたいと、思った。
 
 
 
 
 
 
「…滝夜叉丸」
 
「な、なんだ」
 
私は滝夜叉丸の桃色の頬を両手で優しく挟んで、茶色の虹彩をしっかり捕らえながら、本日の難題の結論を言った。
 
 
「わかった、可愛いとは、お前のことだ」
 


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