笑って荊を踏む様に。B【孔花】



あらかじめ手引きしていた内通者によって、陰ってきた月の暗闇も手助けとなり、他に人に出会うこともなく城内から抜け出した。
あらかじめ雇っていたという傭兵二人と顔を合わせると、すぐに荷車に自分達を覆うように布を被せ、乗り込む。
どこかで見たことのあるようなその二人は、花の顔を見ると躊躇うように口をつぐんで、話しかけては来なかった。



「…明かりが」
ガラガラと馬を走らせる音が響く中、先程抜け出した城内のあちこちから明かりが灯るのを、遠目に見た。
拡がる明かりが、やがて列をなして一部が市街の方まで広がっていく。
「君がいない事に気付いて、探してるんだろうね。…怖い?」
未だ闇の中を、山の山頂めがけて走る。
何も見えない中で響くその声は、花の真意を聴き漏らさぬよう静かに問いかけた。
「…怖くは、ないです。ただ、長い夢だなって…」
握り合った手から伝わる温度はあたたかいのに、どこか現実的ではない。
師の声も、顔も、透明な板ガラスを挟んだ向こう側のように感じる。
「ーー君にとって、どこからが夢なんだろうね」
どうしたら、君の夢を覚ましてあげる事ができるだろう。そう呟いた孔明の声は震えていた。
(でも、幸せな夢です。少なくとも、今日の夢は…)
そう言いたくて、口を開いたものの、何も言えない。
言葉にすると、夢は覚めてしまうものだから。
「…まだ目的地は遠いから、眠りな」
暗闇の中で、お互いの指先が触れる。
遠慮がちに引かれそうになった指を追いかけて絡めると、静かにまた握り返された。
安心すると同時に、強烈な眠気が体を襲う。
(やだ、まだーー夢なら覚めないで。もう少し、だけ)
そう思いながら、眠りたく無いとゆるゆると首をふる。
「ーー夢からさめるまで、ずっとそばにいるから。…おやすみ」
「……」
ああ、だめだ。
体が鉛のように重い。抗えない強烈な眠気に、花はだんだんと重くなる瞼を閉じた。



※※※



「…夜明けか」
途中で馬を変え、馬車を変えて夜通し走り続けてきた。さすがにずっと馬車に揺られていると、体がギシギシとかたまっている。
途中の大きな街で晏而達と別れた後、いわゆる歓楽街ーー連れ込み宿の一室を借りて、ようやく息をついた。
(……長い夜だったな)
薄っすらと白んできた空の色と鳥の鳴き声に、孔明は隣同士座り込んだまま指を離さない彼女の肩から触れる体温を感じていた。

ーーーとく、とく、とく。
指先から伝わる鼓動と、規則的なあたたかい音。筋力のなくなった、細く弱々しい四肢。絡めた指は、離そうと力を入れると壊れてしまいそうで、孔明は夜中ずっと動けなかった。
(…一年近くあの状態だったんだ…無理もない。これからは徐々に陽の下で、体力を取り戻させていかないと…)
伸びた花の顔を明るくなった光の下で見ると、目の下にはクマが出来ている。
手入れの行き届いた光沢のある髪や、柔らかく滑らかな肌は貴族の姫君のようなのに、その差に彼女の言葉に出来ない抵抗を見て取れた。
(…君を絶対に、帰してあげるから)
平和で、安全な家族のいる世界へ。
彼女と話した会話は、全て覚えている。傷つけられることの無い優しい世界へ、帰してあげたい。
(その為には、僕はどんなことでも、出来る。…出来て、しまった)
自分のした事、そしてこれから犯す罪の大きさに孔明は意識せずとも震えた。
そして、ゆらりと揺れる目の光が闇に溶けるように消える。


ーーはじめは、彼女が望んで曹孟徳の元にいるのなら。
孔明は現在の主君を裏切り、仕事を捨て、彼の軍下にくだろうとさえ考えた。
それも全て、彼女が帰るまでのほんの少しの間だけでも、そばにいられればというささやかな欲求を満たすためだけに。
(この世界の戦いは止められる。…僕は、君の選んだ選択なら、それを信じてる…)
花の様子は、定期的に晏而や雇い入れた女官を通じて聞いていた。
いつも不安そうにしていたのが気にかかるものの、曹孟徳は彼女を大切にしていると判断した。

ーーだから、油断してしまった。
そして、知ってしまった。
小鳥の風切羽が手折られ、奥深い鳥籠に閉じ込められた事を。

(…どんなに怖い想いをしたのか)

命より大切な人。
長きの想い人が、傷つけられて静かにこの世界に消えていく様。
知りたくなかった事実に、報告を受けた時はただただ胃の中のものを吐き出したのは覚えている。


ーーーそして、自分に嫌気がさした。



(…どこか羨ましい、なんて。…自分の君に対する気持ちが狂気じみてるとは思ってたけど)
顔を歪めて、手のひらで覆う。
太陽の下では、とても見せられない顔をしていると思った。
(君に鎖をつないで、閉じ込めたいと本気で思っているわけじゃない。だから、君の自由を尊重すると、そう幼い頃から自分に言い聞かせて…自分ならそう出来ると、思っていたのに)
触れ合っている指先を、離したくない。
柔らかな絹糸を結って、優しく束縛したまま誰の手も届かない場所に、2人だけで。

「…僕は、狂ってる」


ーー君は僕の光。僕の全て。
君を誰より幸せにしたいのに。



つぅ、と孔明の頬を涙がつたう。
それを拭うこともせず、孔明は静かに目を閉じた。


続く



どうしようパート3
ラストを何も考えず書き進めてしまっています。
そして師匠がダークになっている。
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