ドアノブに手を着けてまた離す。
この動作をもう何度繰り返しただろうか。
彼が夕時になっても起きてこないのだ。心配なのはそうなのだが景吾自身が入るなと言った寝室だ。勝手に入って良いものかと少し躊躇ってしまう。
一週間。一週間だ。丸眼鏡の男の話を聞いた後の一人きりの一週間というのは決して短いものではなかった。枯れるの意味はわからないが彼に良くないことであることくらいは容易に理解できる。
もうこんなところで迷っていたって仕方がない。意を決して寝室に押し入ったがそこはあまりにも殺風景な部屋だった。
ベッドが一つ。机が一つ。ただそれだけ。彼の私物は机の上に置いてある写真立てだけらしい。もぞもぞとベッドで揺れ動く彼に近付けばとても驚いた顔をして掠れた声で出ていけと漏らした。
「体調悪いんですか?」
「…今は真昼だ」
「…そうかもしれませんけど痩せすぎてませんか?」
シャツの間から垣間見る首もとは青白く手首なんて私より細く感じた。何故かこの時ばかりは私の頭の回転は早く、これがあの丸眼鏡の男の言っていた枯れるということに間違いはないのだと結論を出した。
「吸血鬼は…」
「…」
「忌み嫌われる。…死んじまった方が互いに幸せになれる」
「意味、分からないです…」
「吸血鬼は死なないんだ」
「あなたは死にかけてる…」
「…ガキの頃。町で原因不明の大病にかかったガキがいた。…俺は吸血鬼でありながら、純真無垢に笑う人間のその娘に恋をした。…俺はその両親にこう告げた。"娘を助ける代わりに俺が死ぬとき彼女を傍におきたい。"俺とその両親はそう約束して…俺は彼女を助けるために有限の命になった。」
「それって…」
私ですか?と小さく問えば彼は何も言わずに微笑んで私の頬をなでた。
私は昔彼に会っていた。昔すぎて覚えていないけど身体は彼への感謝で溢れていた。景吾に二度目に会ったとき、私の口から自然に漏れたあの感謝の言葉は本能が告げたのだろう。バラバラになっていた私の頭の中のピースが彼の言葉の糸で紡がれていく。
「約束、だ。俺はもうじき死ぬ。だから、後少しだけ。ここにいて…少しだけ笑ってくれねぇか。」
「けいっ…ご」
「そうしたら門を開け放つ。…お前は自由だ」
私の純真無垢な笑顔が好きだといった吸血鬼。誰もが恐れる吸血鬼。なのに彼の考えていることはどれも汚れ一つ無い純粋で幼い少年のようだった。
どんどん虚ろになっていく彼の目。
こんな彼をここで死なせてはいけない。なぜそう思ったのかはわからないがたとえサブリミナル効果であってもかまわない。
私の純真無垢な笑顔に恋した純真無垢な考えをもつ彼に私は今ここで恋をしたのだ。
私は近くにあったナイフで中指の先を深く切りつけ彼の唇に当てた。
「死んじゃ駄目です…」
「名前…」
「死ななくていいです」
「名前」
「たとえ吸血鬼が忌み嫌われる存在でも」
私はあなたに恋しました。
涙でぼやけた視界の先で彼が笑ったような気がした。幸せそうに。