土方 | ナノ

 
おっさんから合い鍵を受け取り、向かった先にはそれなりの邸宅が周りの外観を壊すことなく佇んでいた。幸いだと思ったのはマスコミといった鬱陶しい存在が一人も存在しないことだろうか。今回の事件を騒ぎ立てると、攘夷浪士達を変に煽ってしまうと言うことで、天人の官僚らから事件が終息するまで、マスメディアなどでの報道は避けるようにと直々にお達しがあったそうだ。
洋風の屋敷の施錠を解き、長い廊下をなるべく足音を立てずにリビングに向かう。何度かこの家に訪れたことはあったが、その時おっさんの娘に遭遇したことはなかった。
電気の落ちたリビングは、いつもと変わらず綺麗に整頓され、あの男が存在していたはずの物が全てにおいて無くなっている気がして、途轍もなく大きな喪失感に見回れた。

「父のこと、調べてるんですか」
「お前は」
「例の、国防省長官の娘です」

あまりのショックから来るのか、彼女が後ろから迫ってきていたことに全く気が付かなかった。顔立ちの鋭いあの男とは対照的な、丸い印象を受ける顔立ちの女は、俺と同じ様な喪失感と若干の怒りを孕んだ目を此方に向けた。きっとこの娘は寡夫であるあの男にとって亡き妻の面影を所有した掛け替えのない存在であるのだということは、想像するに安かった。

「お前の親父に頼まれてきた」
「貴方は警察の方でしょう。天人嫌いの父は疎ましかったですか」
「馬鹿言うんじゃねえ。少なくとも俺はあのおっさんのことは信じてんだ」
「…父は、あの夜にアリバイがないから捕まったそうです。でもあの日、父は外務省の天人官僚と飲みに行ってました」
「それは、警察に言ったのか」
「聞き入れてすら、くれませんでしたが」

どうすればいいんですか、と呟いた娘はそれまでため込んでいた不満や不安、憤りなどを全て吐き出すかのように、顔を真っ青にして崩れた。たった一人しかいない肉親すらをも天人に奪われ掛けているこの状況は、俺が想像し得ないほど彼女にとってはストレスになっていたのだろう。もう少し早く来てやれば良かったと後悔の念を抱きつつ、とりあえず彼女の肩を支えるようにして屋敷を退出した。乗ってきたパトカーの後部座席を開けて彼女が乗り入れたのを確認すると、自分も運転席に乗り込み、屯所までの道のりを飛ばした。
本来の俺ならば、鬼の副長の名に恥じぬ叱咤をしていただろう。落ち込みから生まれるものは、取り留めのない悲しみと後悔だけであることは理解している。いくらなけなしの悲壮を振りかざしたところで、それは結果、虚しさに変わってしまう。
それを理解し、いくつもそうなっていく隊士らを見ていたというのに、慰めることすら出来ない自分は無力である。話にしか聞いたことのない彼女と俺の中には、きっと同じような感情が渦巻いているのだろう。

二つの憤り。
無実のはずのあの男に対する横暴としか言いようのない逮捕に対する怒りと、何もすることが出来ない自分に対しての怒りだ。


* * *
男は何時になく饒舌であった。アルコールが体中に回り快楽状態であることに加えて、今日は男の亡き妻の命日であったからだ。
深夜も1時を周り、俺はいい加減酒を受け付けない状態が出来上がったというのに、あの男は今日何本目になるか分からない焼酎の蓋を開けた。芋焼酎の独特のきつい香りにすら酔ってしまいそうだった。男は猪口に並々と注がれた酒をうっとりと虚ろぐような目で見ると、何の躊躇もなしに一気に胃に流し込んだ。いつもこうだ。娘が眠りについた遅い時間に、他の誰でもない俺を呼びだしては深酒をする。この日だけは酔うために酒を飲む。自傷行為にすら思えるその行動は、もはやこの日の恒例行事となっていた。そしてその酒の肴として、妻の話をする。名前は決して言わない。ただ「あいつ」という代名詞を用いて語られるその話だが、俺の中には雪のように白い肌に緑の黒髪。手弱女な美しい姿が浮かんでくるのだ。それほどに男の話の中身は濃かった。

「攘夷浪士ってのは馬鹿だ」
「ああ、そうだな」
「今更足掻いた所で社会のシステムが変わる訳じゃない。ただ、奴らは自らを示す刀を取られることに怯えてるんだ。それを天人のせいにしている部分が少なからずはある」
「ああ」
「天人が死ぬほど憎いのは、みんな同じだ。ただ、怒りにまかせてに戦うくらいなら俺は耐えるために戦うさ」
「…そうか」

男と妻は幸せの中にいた。決して安泰な世の中とは言い難かったが、幼い一人の娘の成長を見ることは何よりの幸福であったそうだ。しかし、そんな幸せは長くは続かない。攘夷戦争に巻き込まれ、妻は息を引き取ってしまったそう。
しかしこのおっさんの尊敬すべき点はその恨みが直接天人に行かなかったことだ。罪を憎んで人を恨まずの精神を持ち、男は国のシステム全てを変えてしまった。色々なことを天人相手に押し進め、国防省長官に上り詰めた。みんなが納得する形で少しずつ天人の肩身を狭くしていった。

「再婚しねぇのか」
「するか、斬るぞ」

その答えを聞いてどこか安心する。このおっさんがどこまでも自分であることに。