土方 | ナノ


いつだったか。初めて近藤さんに付き添い参加した幕府官僚の集まる会食は、まだ若かった俺にとって、えらく退屈で陳腐なものに思えて仕方がなかった。つらつらと薄っぺらいおべっかばかりが飛び交う会場の隅の方で、敵対心剥き出しで目を爛々とさせ辺りを睨みつけている俺に話を掛ける大人なんて居なかったし、俺自身もその方が気楽だった。色々な人に囲まれていた近藤さんは、いつの間にか人波に消えていた。
そんなトゲトゲとした俺に唯一声をかけた奴がいた。とっつぁんとは別の意味でちゃらんぽらんな雰囲気を漂わせたその男は、血になるタンパク質ばかりを皿に盛って俺に差し出した。どこか愉快犯のような表情を浮かべているその男は、いつも黒いワイシャツに黒のネクタイをしていた。スーツを適当に着て、ネクタイも弛んでいて、とても幕府官僚の重鎮であるとは思えなかった。体中に染み着いている煙草の匂いに思わず眉を潜めれば、男はからからと笑って俺の頭をグシャグシャにした。

「お前は損な性格をしているな。勘違いばっかされんだろ」
「なんだ、お前」
「そんなに目をぎらぎらさせてりゃ、誰も寄ってくるわけねぇよな」
「関係ねえだろ」
「まぁ、野生では疑うことを知らねぇ近藤よりは正しい行動だ。お前は頭が良い」
「なんなんだよ」
「お前、嫌いじゃねえ。気に入った」

初めは変なおっさんだと思った。しかし全てを知り尽くしているような、近藤さんやとっつぁんとは違う、何とも言えないその男に俺は俗に言う、そう、懐いてしまったのだろう。俺を否定することで認めてくれるあの男は、やはり天才だと謡われていたようだ。いつも赤皮の煙草入れを左の胸ポケットに入れ込んでいたあの男は、霞がかる程紫煙をくゆらせながら俺の名前を呼ぶ。
俺はどこかであの男に憧憬の念を抱いていたのだろう。俺が吸い始めた煙草は、どういう訳か、気が付いたらあの男と同じ物だった。あの男が娘を気遣って吸い始めた煙の少ない銘柄。


「昨夜、違法薬物を所持していたとして幕府官僚数名が逮捕されました。また、宇宙海賊・春雨とも何らかの癒着があったとして、警察は幕府官僚の事情聴取にあたり、慎重に捜査を進めていく方針です。次のニュースです」



* * *
酷い雨だ。
怪我をした近藤さんの代わりに、とっつぁんの元へ向かった帰り予期せぬ雨に遭ってしまった。先程まで雲一つない快晴だったのに、と火の消えてしまった煙草をその辺に投げ捨てた。水を染み込んでいく煙草はその重さで水溜まりの浅い底に沈んだ。

昨日のあの事件は真選組にとって、まさに手柄だと呼べるものであったが、その代わりに此方が受けた被害も多少なりはあった。近藤さんのことは勿論、死人こそは出なかったが、最後の乱闘により怪我をした隊士がいることもまた事実。そして、事件に関与すらしていない政府官僚までもが連行されていったという専らの噂である。とっつぁんは大丈夫だったようだが。どうしたものか、と思い浮かべる一人の男の姿を確認することが出来なかった。もしかして巻き込まれてしまったのではないか、という罪悪感と呼ぶには大きすぎる感情が渦巻いていた。

重く張られた鉛板のように重たくくすんだ空は、ひたすらに俺の体を濡らしていく。スカーフの奥まで濡らし、鎖骨辺りにべったりと張り付きすこぶる気持ちが悪かった。近道にと選んだ廃ビルの隙間を縫って歩けば、建物の陰に隠れた人間達の殺気だった視線。このあたりは攘夷浪士や前科持ちが住み着くような場所である為、この真選組の漆黒の隊服が疎ましいのだろう。突然の雨とその視線が相俟って、苛立ちは最高潮に達していた。

「渋沢国防省長官、奴に娘がいるらしい」
「あんな奴の娘、斬ってしまえばいいだろ」
「幕府のゴミだ」

それだからか、そんなセリフが飛んできて、思わず刀を抜いてしまった。目が充血する程頭に血が上り、視界が白んできた。数分後、アドレナリンが減少した頃には一人は首筋が裂け、血みどろになっていた。もう一人も切りつけてしまった右腕はもう再起しそうになさそうだ。ぶらりとただ、そこにしがみつくかのように無惨にぶら下がっているだけの状態になっていた。此方を恐怖の色をありありと出してぼんやりと見つめる浪士達に、やってしまったという通常の感情が遅れてやってくる。怒りという衝動で人を殺してしまったことがぞわりぞわりと押し寄せるかのように襲ってきて背筋が凍るようだ。

「…話を聞かせろ。助けてやる」
「っ、…貴様等真選組が護衛していた蛙と同じように、あの国防省長官も麻薬の密売に関与していたんだ。天人に良い顔をしなかったあの男は少なからず認めてはいたが、今回の一件で奴は敵を増やしただろうな」
「あのおっさんが?ふざけたこといってんじゃねぇぞ」
「嘘だと思うならお前の上司に聞けばいい」

薄ら笑いを浮かべた攘夷浪士は、満足だと言わんばかりに死体となってしまった同士を引きずりながら廃ビルの海へと消えていった。

あの男は国防省の長官で、その役職から来るものなのか、今や絶対的な力を掌握し、江戸を闊歩している天人を余りよく思っておらず、自分の身を案じない歯に衣着せぬ発言を繰り返していた。決して白こそ良しとする考えの持ち主ではなかったが、絶対の黒を目の敵といわんばかりに否定したあの男が、天人などと手を組み、己が私利私欲を満たす為の軽率な行動をするような人間でないことくらい、あの男の傍にいた俺には良く分かる。
真面目な人間ではない。しかししっかりとした太い自分という芯を持ったあの男だからこそ、俺は慕ってきたんだ。
いきなり入り込んできた一つの大きな衝撃と、それらを根底から否定する俺の過去の記憶とが、上手く混ざり合ってくれない。

「どういうことだよ、おっさん」

頬に付いた返り血を拭い、もと来た道をそれこそ心臓も肺も全てが跳びだしてしまうくらいのスピードで走り出した。
遠くで不如帰が鳴いている。奴は戻るべき所に帰れなくなってしまった魂の姿形が変わったものであると、何かで聞いた気がする。


* * *
「よう、土方」
「…なんでてめぇが此処にいんだ」

拘置所に居ようが居まいが、あの男はあの男以上でも以下でもなかった。飄々とした態度で偉そうに椅子に座る様子は長官であったときの奴と何ら変わらないのだから。
煙草が吸いたいと繰り返す男に、少し声を荒げれば、男は眉間の皺を深くして何時になく真面目な顔をして、肘を付きながら両手を手の前で組んだ。目はあくまでこちらをじろりと写している。

「俺が此処にいるこたぁどうでもいい。待ってたぜ、お前に頼みがあんだよ」
「密売、してたんじゃねえだろうな」
「阿呆か。俺は稼いでる。俺の家にお前んとこの沖田くらいの年端の娘がいる。保護してやってくれ」
「は?」
「今、攘夷浪士共は嫌に浮き足立っている。俺の娘は馬鹿な考えを持った浪士共には絶好の獲物だ」
「別に構わねえが、あんたはどうする」
「あ?それはテロ専門のお前らの仕事じゃない。松平の仕事だ」

頼むぞ、と言ったおっさんが不適に笑ったところで面会時間が終了してしまった。寄れて皺になってしまっている馴染みの黒いワイシャツが、何時になくだらしなく見えた。

これが奴の娘を預かることになった大まかな経緯である。