五郎八はまるでベールの向こうを生きているようだった。
彼女の容姿が儚さや嫋やかな雰囲気を漂わせているのも事実だが、それとはまた別に五郎八は人にある一定のラインから踏み入れさせないやんわりとした壁が感じて取れる。その証拠に桃太郎が彼女のことについて知っていることといえば、自分で育ててしまうほど水蜜桃が好きなことと、白澤にただならぬ思いを抱いていることくらいだ。彼女は朝は早くから夜は遅くまで働いているので、共有する時間も会話も充分なはずなのに、一つとして自分のことを語ろうとはしない。寧ろ聞き上手な五郎八に乗せられて桃太郎が自分のことを話すばかりであった。五郎八が鬼であるのか、亡者であるのか、はたまた元よりこの桃源郷に住む別の存在なのか。いつからこの極楽満月に勤めるようになったのか、何故ここに勤めたのか。疑問ばかりではあったが、桃太郎は相手が語らんとすることを無理に聞き出すほど野暮な人間ではなかった。しかし、少なくとも自分に厚意を向けてくれた人間が、あのまま辛い思いをしているのを放っておくことは出来ない人間でもある。それが余計なお世話でも構わないのだ。

「五郎八さんですか?」
「はい。俺、五郎八さんについて何も知らないんです。…こういうのって直接聞くべきなんでしょうけど」

桃太郎の八方塞がりであった質問の矢が向いたのは、泣く子も黙る地獄の文官であった。桃太郎はたまたま鬼灯に頼まれていた漢方を届けに地獄の閻魔殿を訪れていた。そこで鬼灯があの神獣とは打って変わって、五郎八とはとても友好的なことを思い出したのだ。夏と冬にはお中元とお歳暮が鬼灯から彼女名義で届くし、現世視察の度に律儀に土産を届けに来る。少なくとも1000年前程度から白澤のことを知っているのだ。共にいた五郎八のことを知っていてもおかしくなかった。鬼灯は懐から時計を取り出し暫く考え込んでから、桃太郎を昼食に誘い桃太郎もそれに頷いた。

「おや、木槿なんて頼みましたかね」
「ああ、それは今日ちょうど取れたからサービスだと五郎八さんが」
「そうですか。地獄は暑くて大抵腹下し系の病気が慢性的に流行しがちなので助かります」
「伝えておきます」

食堂は少し時間が遅かったせいか、既に獄卒たちな昼食を終えて食堂から去っていた。お陰で比較的暖色を身につけている桃太郎が浮くこともなく、特に目線も気にならなかった。鬼灯の勧める同じメニューを注文し、テレビがすぐ横に置かれた席に腰掛けた。どうやらここは鬼灯の指定席らしい。

「一応プライバシーもあるでしょうし、私の口から語れることも少ないですが、どうせ五郎八さんのことです。何も語りたがらないのでしょう」
「はい。あの、五郎八さんはいつからあそこにいるんですか?」
「確か明治晩期だったかと」
「じゃあ亡者ってことですか?」
「いえ、彼女は亡者ではありません」
「あの、」
「これ以上は申し上げられませんが、強いて言うなら哀れな方ですよ。彼女は」

鬼灯はそう発すると黙り込んで眉を寄せる。その表情は哀れみの他にも呆れに近いものを含んでいるようにも感じて、それ以上を桃太郎に質問することを許さなかった。丁度始まったテレビ番組では明るい笑みを浮かべたアナウンサーが、初夏を迎えて彼女の大好きな水蜜桃が旬を迎えていると伝えた。アナウンサー曰く、桃には防御された幸福という花言葉があるそうだ。願わくば、彼女の愛する水蜜桃が彼女にも幸福をもたらしてくれること。そんな思いを込めて桃太郎は静かに目を閉じるのだった。