バカップル | ナノ


泣きたくなってきた。跡部が遠すぎて。

跡部のファンクラブというのは意外と律儀な方々で、私と跡部が付き合ってからはアプローチに関しては一線引いてくれている。邪魔されることなんてないし、漫画みたいに苛められるだなんて事実はどこにもない。あんなもの想像する方が被害妄想だったとひどく反省させられたのはまだ記憶に新しい。しかしそんな彼女たちもバレンタインとなれば話は別らしい。今日ばかり貴女に対しての無礼講をお許しくださいという丁寧なお断りを、いつも良くしてもらってるわたしが断る理由がないのだ。故に私は跡部に近づけない。いくら日本のバレンタインが菓子メーカーの戦略の上に成り立っていると知っていても、私はその策略に踊りたい。跡部に何かちょっとしたものでもいいからプレゼントを渡したい。しかし学園1のモて男と言われて誰もがその名を挙げる私の彼氏にはやっぱり近付けそうもない。日頃の鬱憤を晴らすかのような彼女たちの顔はどこまでも清々しいのだから。


「はぁ…」
「なまえ大丈夫?」
「…ジロちゃん」
「アトベもってもてだCー。なまえがいるのに」
「去年もこんなだった」
「…ポッキーたべる?」
「…いる」


ジロちゃんから甘酸っぱい苺のムースポッキーを一本分けてもらってもう一度あの人混みを眺める。100歩譲って彼女たちからチョコレートやプレゼントを受け取るのは黙認しよう。それでも跡部には笑顔でありがとうと言ってチョコレートを受け取って欲しくない。私のものだけを受け取って欲しい。跡部何かモテなきゃいいのにばーか。
少しでも跡部の声が聞きたいなぁと携帯に電話を掛けてみるが、彼の携帯は少し離れた机の中で振動してなんだか泣けてきた。いつもは俺の側にいろとかわけわかんないことばっか言ってるのに居て欲しいときはいっつも隣にいないんだから。


「…ジロちゃん」
「んー?」
「ガトーショコラとか好き?」
「おいCーよね。好き」
「じゃあ食べていいよ。はい」


跡部に渡す予定だったけど丁度今、ガトーショコラというワードがあの人の群の中から聞こえてきたから私が跡部にあげなくたって彼はガトーショコラにありつける。お世辞にも料理が得意と言えない私が作った物よりも何倍も美味しいことだけは確かだ。跡部に向けたメッセージカードを適当に外してからガトーショコラの入った小さな箱を取り出す。少し歪なガトーショコラをジロちゃんと一緒に口に運べばほろ苦い甘さが口いっぱいに広がった。ここまでたどり着くのに暫く時間が掛かったが、初めて作ったわりには美味しいと思う。跡部が甘いのそんなに好きじゃないとか言うから甘さ控えめにして作ったのに。でも本当に幸せそうに食べるジロちゃんの顔が見れただけでもいいか。


「まじまじうめー!」
「ありがとー」
「もっと食べてもEー?」
「どうぞ」
「駄目に決まってんだろが」
「跡部…!」
「なまえはおれにくれたのー!」
「元はと言えば俺様のだ」
「元はと言えばアトベがあんな子たちを相手してるからおれに回ってきたんだ!」
「…ったく。ほらよ」


跡部は大きな溜め息を一つ付いてから女の子たちに貰ったプレゼントの山々を適当に放置してから、箱から一つガトーショコラを取り出してジロちゃんの口に押し込んだ。後は俺の分だと言わんばかりに一つを自らの口に運んだ。ジロちゃんはまた幸せそうな表情を浮かべたが、跡部は先程から表情ひとつ変えない。そりゃあ一流ショコラティエの美味しいデザートばかり食べてる跡部には美味しくないだろうさ。すいませんね。料理下手で。


「お前が作ったのか」
「下手くそで悪かったわね」
「いや」
「え?」
「お前が作ったなら俺にとっては何でも美味い」


俺様のために作ったんだろ?と思った以上に柔らかい笑みを浮かべる跡部に此方の顔が赤くなってしまう。跡部になんかあげないつもりだったのに。いつでも彼は素で私の喜ばせ方を熟知している。ずるい、と小さく口にすれば跡部は聞こえないな、と意地悪そうに笑ってから私の口を塞いだ。
跡部の口からはさっきのガトーショコラの味がする。唇を離した跡部も同じようにガトーショコラだと呟いた。同じ味を互いの口から共有するって、なんか、エロい。


「真っ赤だぞ」
「うるさい」
「なまえ」
「なに?」
「愛してる」


これじゃあ今まで拗ねてた私が馬鹿みたいじゃないか。でも仕方がないからあのプレゼントの山から高級チョコレートを少し分けてくれるなら許してあげる。ね。