小さい頃二人で親に連れられ水族館に行ったことがある。ガラス張りの向こうには大きなサカナたちが優雅に泳いでいて、幼かった俺でも深い衝撃を与えた出来事であった。

「わたし おさかな になる。」
「 おれも!」

ゆらゆらゆら、二人で一番大きなサカナにお願いした。俺達が大きくなったらこの水族館で一緒に泳いで下さい、と。子供特有のカッコいいものに憧れて将来はそれになろうとする気持ち。軽はずみな言動、数日たったらサカナになろうとしてたなんて忘れてしまったけど。


○。


「私やっとサカナになれるの!」

彼女の目はあの日水族館でサカナを見た時と同じくらい輝いていた。


彼女と俺は幼少期からの延長線上で小学校中学ともそれは仲が良かった。家族、と表現しても良いぐらいだ。誰とでも仲良くなれる性格で天真爛漫な笑顔、憧れを抱いてしまうときもあった。よく俺にだけ悩みを打ち明けてくれたり、俺だって相談を持ちかけたこともある。腹を割って話せる仲だと思っていた。
そんな彼女がパッタリと学校に来なくなった。学校が楽しい、といつも言っていた彼女なのにどうもおかしい。そう思い俺は何度も彼女の家に足繁く通った。それなのにいつも彼女の母親が首を横に振って彼女と喋らせてはくれなかった。誰とも会いたくない、との一点張りらしい。メールも電話も無視で彼女が俺を拒否している、そう必然的に感じてしまった。いつからか俺も彼女の家に行く頻度が低くなり、とうとう行かなくなってしまった。彼女と笑いあったのはいつだったっけ?そんな風に思い返すのもだんだんなくなっていったのも事実であった。


彼女が死んだと聞かされたのは俺がもう彼女を思い出さなくなった時だった。死因は拒食症による栄養失調。あまりに衝撃的で一瞬動作が止まった、それと同時に懐かしい彼女との思い出が全身に蘇った。どうして、どうして、拒食症なんかに。昔とはいえど身内に近かった存在の朗報、悲しくならないはずがない。久しぶりに見た彼女の顔や体は骨が浮き出ていてとても人間には見えなかった。だけど、穏やかな顔で眠ってるようにも見えた。


「いちろうた、一郎太!」
「 っ、おまえ、」
「久しぶり、どうした元気ないね。」

当り前だろ、お前死んだんじゃないのか!そう思っても口に出すことは出来なかった。パクパクと無様に口を開いて閉じることしか出来なかった。俺は目の前にいる彼女の葬儀が終わり就寝していたはずだ。まさか、と思い目を何度も擦る。消えない、頼む消えてくれ!俺の悲願は叶いそうもない。そういえば…、最期に見た彼女とは少し違う。痩せこけていた顔や体は普通の健康体になっている、それが逆に俺の恐怖心を煽った。


「私やっとサカナになれるの!」

彼女の目はあの日水族館でサカナを見た時と同じくらい輝いていた。一体どうした、それを俺に告げる為にここに来たのか?

「ほら、一緒にお願いした大きなサカナいるでしょ?」
「あ、あぁ…。」
「私そのサカナに言われたの、お前が食事を断ち切ったのなら一緒に泳いでやろうって。」

ゾッとした。サカナが喋るなんてあるはずがない、それはお前の想像だよ。自分の想像の言葉を鵜呑みにし食事を断つなんて。嬉しそうに語る彼女が酷く恐ろしかった。

「私ね聞いたの、サカナに。一郎太は?って。」
「 なんて言ってたんだ。」
「私の手で一郎太を殺せって、それなら二人揃って泳いでも良いって。私ね最初は一郎太のこと殺せないって思ったけど今となっては一郎太もサカナになりたいって言ってたし…良いよね?」

良くない!そう言い終える前にガッと首を掴まれた。尋常じゃない力、これが女の力じゃないってことはすぐに分かった。俺の首に纏わりついた手を取り外そうとするとスカッと宙を切るだけだった、どうして手を掴めないんだ!彼女は俺の首を掴めるのに俺は彼女の手を掴めない、体を捩ってもどう足掻いても意味はなく体力の無駄だった。くるしい、くるしい、くるしい!段々涙目になり視界がぼやける。何で、笑ってるんだ、よ。


○゜


目を覚ますと俺は水中の中だった、酸素が無いはずなのに呼吸が出来る。目の前に広がるのはテレビで見たことがある綺麗な海のようだった。ここは、どこだ?まだ完全に覚醒しない頭を奮い立たせる。辺りを見回すとサカナ、サカナ、サカナ!あの大きなサカナがゆらゆらと泳いでる、その横には彼女。


「ねえ、一郎太。」

彼女は悠々と喋り始める。俺がどれだけ喋ろうと口を開いても声は出ず声帯が仕事を放棄していた。どうして俺だけ喋れないんだ、言いたいことがたくさんあるのに話せないもどかしさと悔しさ。

「私達があの場所でサカナを見てる時はサカナ達が水槽に閉じ込められてるように見えたけど今じゃあニンゲン達が閉じ込められてるように見えるね。」

あっちの場所を教えるように指を指した、指した方向には子供二人。その子供二人はお祈りしているように見えた、目をこらして顔を見るとあれは昔の俺達の顔ソックリ、いや紛れもない幼い俺と彼女。…あれは俺達?昔の俺達があそこにいるというのなら今俺は水族館のサカナになっているのか?ドクドクと心臓が跳ねる、じゃあ俺は死んでサカナになったのか。過去に戻って今俺がサカナとして存在することも、大きなサカナが不敵な笑みを浮かべてるのも、彼女がおかしくなったのも、全部軽はずみに願ったせいなのか?激しく後悔する。やめろ!願うな、願ったらだめだ!俺がどれだけ昔の俺にそう念を送っても無情にも届いた様子はなかった。





「一郎太、泳ごう。」

サカナになった俺はもう彼女が差し出す手を握ることしかできなかった。


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