ひかり瞳ばらばら

熱心に本を読みふけっていると、自室に差し込む日がずいぶんと傾いてきたことに気付いた。時刻はまだ18時を過ぎた頃だと言うのに、太陽はオレンジ色を滲ませて西の山へと隠れようとしている。しかし、開けっ放していた窓から吹き荒ぶ風はまだ湿気と熱気を纏っていて、未だ今年の夏の暑さを感じさせるようだった。少しだけ窓を閉じようと手をかけた時、コンコンと響いたノックの音に気を取られる。ドアを開けた先にいた人物の顔を見て、私は思わず面食らうこととなった。


「……歌姫?」
「ただいま、名前」
「…………どうして?」


咄嗟に脳内で思い浮かべた今日の日付と高専の夏休みが終わる日付まで一週間ほど間が空いている。だから言わずにはいられなかった。どうしてこんなに早く帰ってきたの?と。状況が掴めず、ただただ目を見開くばかりの私の手を歌姫が取った。にやりと口角をあげ、自分勝手に繋がれた私の手を思いっきり引っ張る。どこに行くにも億劫で、夏休みの間中引きこもっていた自室からあっさりと一歩が外に出ていた。


「ずいぶん辛気臭い顔してんじゃないの!行くわよ!」
「え?え!?ちょ、歌姫!?どこに!?どこに行くの!?」


一歩。一歩。また一歩。段々と速度を上げていく歌姫の足に、時折もつれそうになりながら何とかついて行く。ぐいぐいと強引に引っ張られ、たどり着いた先は高専の体育館裏だった。


「名前さん、遅いですよ〜」


慢性的な体力不足が仇となり、情けなく膝に手を着こうとすると、歌姫に握られた手とは反対の腕にぎゅうっと誰かの腕が絡みついた。泣き黒子が印象的な目元と視線が重なる。


「……硝子ちゃん、」
「遅刻ですね、名前先輩」
「…………夏油くんも」


今度は声がした方に目をやると、夏油くんが手に持った携帯をユラユラと揺らしながら立っていた。切れ長の目と綺麗に整った眉毛が八の字に垂れ下がる。


「先輩、私が連絡しても全然出てくれないから。悲しくなっちゃいましたよ」
「とーぜん、着拒ですよね」
「ち……、違うよ!ちょ、ちょっと携帯の電源切ってて。え、え?みんなどうしてここにいるの?まだ夏休みは――――」
「終わってねぇ、だろ?」


パサリと頭上で音がして、頭の上にほんの少しだけ重みが加わる。生憎両手が塞がっていたので、視線だけをそっと上にあげると、色とりどりなパッケージに目がチカチカと瞬いた。


「……花、火?」


頭の上のそれにでかでかと描かれている文字を読むと、上から逆さまの五条くんの顔が降ってくる。


「やるでしょ!花火!」


ニィッと口角をあげた五条くんのサングラスの縁に光が踊った。



赤、青、緑、黄色。色々な光が瞬いては消えていく。手持ち花火を六本も持った五条くんと夏油くんが急に戦い出したり、その足元に硝子ちゃんがネズミ花火を散らしたことによって、二人が大変なことになりかけたり。些細なことが何だかひどく面白く思えて、何でもないことでみんなで顔を見合せて笑った。一年生がどんちゃん派手に騒ぐ中、隣に並んだ歌姫は落ち着いた様子で口を開いた。


「五条から突然連絡が来たの」
「五条くんから?」


早めに帰ってみんなで花火をしよう、という提案はどうやら五条くんが発案者らしい。


「何で五条と花火なんか、って思ったけど…。アイツ、名前に"早めに帰る"って約束したって言うのよ。それでどうせならって私たちに声を掛けたみたい」


夏休みに入ったばかりの頃、五条くんと交わしたやり取りがすぅっと頭に蘇って、ハッと息を飲み込んだ。そして頭を抱えた。


「私が冗談で余計なこと言っちゃったから…。気を使わせちゃったのかな」
「……どうでしょうね。まあでも――」


俯いていた顔を上げると、歌姫は真っ直ぐ前を見据えていた。歌姫の瞳に映る光が色を変えては、奥へ、奥へと溶けていく。柔らかく下がった目尻に呼応して、瞳の中の光もくしゃりと形を変えた。


「あの子たちも、アンタも楽しそうだから。それでいいわよ」


見据える先へ視線を動かすと、それぞれが花火を持ちながらもみくちゃになって笑う三人が見えた。その光景に不思議と涙がこぼれそうになって、私は唇を噛み締める。いつの間にか歌姫はこちらを向いていて、顔を突き合わせた私たちは同じように笑った。


「うん、」


温かくて、楽しくて、優しくて、でもどこか胸が苦しくなるような切なさがある。今度は彼らが、この学び舎で真っ青な春を体現し、体感していくのだろう。


「…そうだね。歌姫」


彼らの歩む未来が、できる限り輝かしいものであるように。心から願わずにはいられなかった。



手に持った線香花火がぷっくりと膨れた頃。視界の端に入り込んだ足先を追いかけて、視線を上げる。


「五条くん、」
「センパイ、火ちょうだい」


同じようにしゃがみ込んだ五条くんの手元には、やはり同じように線香花火が握られていて、火が落ちないよう、なるべく慎重に五条くんの近くへと手を伸ばした。火花を散らし始めた私の線香花火を未だ火のついていない先端が掠め取っていく。


「勝負な。先に落ちた方が負け」


五条くんの線香花火が小さな火の玉を作る。並んだ二つの影が小さな光に照らされて薄ぼんやり地面へと浮かんだ。


「...あのね、五条くん」
「...何。集中しなくていーの?負けたらコーラ一本奢りだけど」
「あ、...うん。......その...、ありがとう」
「……」


パチパチと火花が弾ける小さな音でさえ、静寂の中では響き渡る。先程の賑やかしさが嘘のようだ。


「……歌姫がさ」
「うん」
「普段俺の連絡なんてほとんど取らないくせに名前センパイが、って言ったらすぐ乗ってきやがって。マージでイラついたわ」
「っはは、本当?…きっと最後に思い出作りしてくれたんだね。卒業前に歌姫と、みんなと、こんなに素敵な思い出ができたのも、全部五条くんのおかげだよ」


ジジッという音を立てて、火の玉が縮んでいく。あぁ、この玉がずっと落ちずにいればいいのに。


「大袈裟すぎ。別に術師続けてりゃ高専で会うこともあるだろ。そん時また……」
「ううん」


ポトリという悲しい音と共に、地面へと落下した私のものとは対照的に五条くんの線香花火は未だぱちぱちと元気に火花を弾けさせている。赤く色付いていた玉が徐々にその色を失くして行くのを見送ったあと、私はゆっくりとまぶたを閉じた。


「ここを卒業したら、歌姫にも、みんなにも、きっともう会えないと思う」
「何それ。どういう――」


「……卒業したらね。辞めるの、呪術師」
「――――は?」


一瞬でも今のままみんなと共にあり続けたいと願った自分の浅ましさに絶望した。歩みを止めるのは、唯一私だけ。今という永遠に縋りついている間に、もう既に隣に並ぶ人間などいなくなっていると、私はとっくに知っていたはずだったのに。


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