ひとりふたり彩り

『こちらの地区で、お盆に花火大会が開かれるようです。ぜひ一緒に行きませんか』


そう書かれたメールへ


『今年も実家には帰らないことにししました。せっかくお誘い頂いたのにすみません。またそちらへ帰った時にご連絡します』


と返事を送り、携帯を折り畳んだ。夏の夕暮れ時。淡い光を取り込んだ、だだっ広い談話室の隅へポツリと置かれたソファへと沈み込む。胸元へ抱えた携帯がまた震えたけれど、もうその内容を見る気にはなれなかった。


高専に引きこもってばかりいると、まるで討ち落とされる直前、往生際悪く籠城した武士のような気持ちになる。ここにいる間は何も考えなくて良い。友人にも恵まれて、私をこき下ろす人間などいない。ここにいる間だけは唯一平和なのだ。ここに来るまで経験したことがない、頭の中で思い描いていたものがそのまま実現したようなこのぬるま湯がひどく心地良くて、底へと沈んでずっと居座ってしまいたくなる。例え、息が続かなくなったとしても。


一年生と濃く関わるようになって、私の学生生活はさらに賑やかに色付いた。以前はところ構わず聞こえていたあの


『役立たず』


という幻聴も最近はほとんど聞かなくなった。全てがいい方向へ向かっているように見えるが、決してそうではない。花畑の先へ底なし沼が広がっているのを知っている。そこへ向けて歩き出すと決めたのは自分だ。今はただ、たまたま通りがかった綺麗な景色を眺めているだけなのだ。



"いつになったら本当の自分に向き合うの?"



突如として胸を襲った虚無感、脱力感に全てを委ねて、いよいよ私は体の全てをソファへと預けてしまった。ずいぶんとはしたない格好だけれど、昨日夏休みを迎えた高専には、ほとんど人など残っていないのだから、きっと誰にも見られることはないだろう。


呪霊が多く発生する今のような時期は、例え夏休みであろうと、青春を謳歌する学生であろうと、関係なく任務に駆り出されるのだが、今年は異例と言えるほど呪霊の数が少なかったのだ。せめてこんな時くらいはみんなが思うように、各々ゆっくりと休みを過ごせることを心の奥底から祈った。


一人で考え事ばかりしていると、どうしても瞼が重くなってしまう。目元へ腕を押し付けて、暗闇へと己を沈めると、とろりと眠気に誘惑された。あぁ、そうだ。しばらくこのまま眠ってしまおう。そう思い、私はゆっくりと瞼を落とした。



閉じた瞼の奥にぼんやりと映像が浮かぶ。仄暗い水の底へ一人でゆっくり沈んでいく夢。回りには何もなく、ただただ広い空間が広がっているだけ。そこにたった一人。流した涙も、発した声もすべて水が吸い込んで、私は誰にも気付かれずどんどんと奥底へと沈んでいく。


――センパイ?


呼びかけられたような気がして、声のする方へと、視線を送る。その先に見えた僅かに射し込む光へと、本能的に手を伸ばす。次の瞬間、勢い良く腕が引っ張り上げられ、それと同時に意識が急激に浮上した。ヒュウと喉の奥が鳴る。目をぱちぱちと瞬かせると、目の前の青色もまた、同じようにぱちぱちと目を瞬かせた。


「……五条くん?」


そう声をかけると、目を見開いたまま固まっていた五条くんは握っていた私の腕を乱雑に放った。腕に引きずられて半分ほどソファから浮いていた体もその勢いのまま、ソファに再び逆戻り。体制も立て直せないままギュッとソファの端っこへと押しやられて、その隣に五条くんが腰掛けた。長い脚を遠くへ投げやって、背もたれへと肘をひっかけた彼が頬杖を付きながら、じいっとこちらを見つめる。先程から終始無言なのはなぜなのだろう。言いようのない居心地の悪さを感じた私は、キュッと体を縮ませて膝の上で握った手へと視線を落とす。


「センパイさぁ…」


そう声をかけられて恐る恐る視線を上げると、思ったよりずっと近い距離に五条くんの険しい顔が見えてさらに冷や汗をかくはめになった。


「は、はい?」


不自然に裏返った声に自分をぶん殴りたくなった。出会った当初から比べるとずいぶんと打ち解けたように思っていたけれど、もしかしたら気の所為なのかもしれない。思えば私は常に五条くんの次の動作に怯えている気がする。五条くんの口が開く。


「寮に残んのが自分だけで、急に寂しくなって泣いてた!ファイナルアンサー!!!」
「えっ」


五条くんがビシッと指さした先にある私の頬を擦ると確かに指先へ雫が触れた。五条くんがニンマリと意地の悪い笑みを浮かべる。


「アタリでしょ」
「な、泣いてなんか...」
「ハイ、うそ〜〜」


五条くんの人差し指が私の肩を軽く弾く。そういえば、と先程見ていた夢を思い返して胸がざわついた。ギュッと胸の辺りの洋服を掴む。


「夢を見てたの」
「フーン。泣くほど怖い夢?」
「……やっぱりひとりぼっちが寂しいのかも」


私の言葉を五条くんは、ハッと鼻で笑って蹴飛ばした。


「いい年こいて恥ずかしくねーのかよ」
「ふふ、冗談だよ」


私もおどけて笑ってみせる。五条くんにも一緒になって笑ってほしかったのに、私の顔を見やった五条くんは先程のいじめっ子のような笑顔をすんっと奥へと引っ込めてしまった。彼に笑ってもらうにはまだまだスキルが足りていないらしい。


「そういえば、五条くんは実家に帰らないの?」
「いや?昨日で終わるはずだった任務が無駄に長引いただけ。これから準備して帰る」
「そう…大変だったね。せっかくだもの。ご家族とゆっくりしてきてね」


目を伏せて口角をあげる。沈みかけた夕陽が瞼に反射してチカチカと目の周りに光が回った。へこんでいた隣のソファが、主を失って元の形に戻っていく。立ち上がった五条くんはポケットに手を突っ込んで談話室の入口へと体を向けた。


「まぁ、」


顔を上げると、青い瞳と視線が交差した。五条くんの髪とおんなじ色をした睫毛が、夕焼け色に染まっている。


「早めに帰ってきてやってもいーよ。桃鉄99年付き合ってくれんなら」


じわじわじわじわ。五条くんが発した言葉の温もりが冷えかけていた心を溶かしていく。へにゃりと緩んだ顔を隠そうともせず、私は心が赴くままめいっぱい笑ってみせた。


「ありがとう、五条くん」


夕陽の光に照らされた五条くんの笑顔はひどくまばゆくて、私の瞼の裏へ、そして心へ、奥底まで色濃く焼き付いた。


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