願ってもかなわない呼吸

ジリジリとした空気が肌を焼くような夏。私はガラリと空いた教室で先生とただ二人、向き合っていた。


「……本当にここの教師は諦めるんだな」
「はい。私なんてこの界隈に残っても卒業して二年…良くて三年で死ぬのが関の山でしょうから。よくここまで生き残ってきたと自分でも感動しているくらいです」
「術式がないにしても、お前の呪力操作はかなり緻密で無駄がない。体術も座学も成績優秀だし、戦い方によっては準一級も有り得ない話じゃないぞ」
「……先生。呪術師は生まれての才能が八割。常識じゃないですか」


そう自嘲すると、夜蛾先生は目を細めて、顎のあたりで組んだ指を組み替えた。


「……わかった。だが、名前はもう四年生だろう。他の四年は任務中心で動いている。オマエも最後の一年でやることを決めないとな」
「……そうですね」


自販機から落ちてきた飲み物を手に取って、向かいのベンチにゆっくりと腰掛ける。


『役立たずの穀潰し』
『我が家の紋が腐る前に去れ』


そんな声がどこからともなく聞こえたような気がして、冷たいペットボトルを目に当てた。ゆっくりと肩の力が抜けて、同時に大きなため息が出る。


「……"最後"、かぁ」
「でけぇ独り言」


顔のすぐ真横で響いた声に、一気に現実に戻された。驚きのあまり手から離れたペットボトルが床に落ちて行く。チカチカと光がチラつく視界に見えたのは、丸いレンズからはみ出したきらきらと輝く青の宝石だった。


「………………ご、じょう、くん」


煙るような長い睫毛が青色にを影を作る。彼が曲げていた背をゆっくりと戻し、距離が離れたことでようやく喉につっかえていた息が外に出た。自販機へ向かう後ろ姿を見送っても未だに心臓が大きく音を立てている。明快な雰囲気によく似合う爽やかな炭酸飲料を持った彼が再びこちらに来るのを見て、私は気まずさから反射的に立ち上がってしまった。こうなればままよ、とここから脱出すべく出口へ体を向けたけれど、目の前に大きな影が立ちはだかってすっかり蛇に睨まれたように固まってしまった。俯いたままどうしようも出来ないでいると、頭上からカチャリとサングラスの鳴る音がした。


「なぁ、苗字、ってやっぱあの"苗字"なの?アンタ術式ねぇからイマイチピンとこねーっつーか…」



『役立たず』



今度こそ脳内にはっきりと響いた声に思わず肩が震えた。恐る恐る顔を上げるとサングラスのブリッジに手をかけ、顕にした六眼でこちらを凝視している五条くんと目が合う。――あくまで彼はその眼で見た事実を話しただけ。悪意など毛頭ない。……そう考えてもじわじわと眉間は熱を持っていく。泣くな、みっともない。顔の真ん中にぎゅっと力を入れて渾身の力で感情を押え付ける。私の表情か、行動か、いずれにしろおかしな態度に動揺しているのだろう。先程の鋭さはどこへやら。少しだけ丸まった目に、言い知れぬ羞恥の情に駆られた。


「……ごめんなさい」


その一言だけ告げて、彼の横を通り過ぎ、女子寮へ向かう。早足だった速度が小走りになり、やがて駆け足になる。一秒でも早く彼から逃げ出したかった。彼の青い瞳は、体内の呪力だけでなく、私の奥底に沈めた全てを見透かしてしまうような気がして、恐ろしかった。自室までようやくあと一直線、というところで手前の扉が開き、不意に歌姫が顔を出した。一心不乱に走る私を視界に入れた歌姫は、ひどく驚いた顔をした。


「名前っ!」


正面から止められるように腕を掴まれて、ようやく私は走るのをやめた。途端、全身が倦怠感に包まれ、がっくりと膝に手を付いてしまう。


「…歌姫、」
「アンタ酷い顔色してるわよ。どうしたの。一体何があったの?」
「…なんでも、ない…」


ふらふらと姿勢を正しながらそう告げると、歌姫はキュッと目尻を引き上げ、口をへの字にひん曲げてしまった。彼女が怒る時のわかりやすい癖だ。


「なんでもないわけねぇだろ。…大体アンタねぇ…!」
「歌姫センパーイ、置いてけぼりはやめてくださいよぉ」


歌姫の後ろからひょっこりと覗いた茶色い頭に驚く。一年生の…確か、家入さんだ。こちらを見つめる瞳に吸い込まれていると、歌姫にがっしりと腕を掴まれて、部屋の中に引っ張られた。入口をくぐってもなお、グイグイと部屋の奥へ押し込もうとする歌姫に私は顔を顰めた。


「歌姫、」
「……」
「…歌姫ってば」
「座んなさい」
「本当に大丈夫だよ。どこか行くところだったんでしょう」


有無を言わさぬ雰囲気の歌姫から目を離して、既にベッドへ腰掛けていた家入さんに視線を送ると、無邪気で人懐っこい笑顔が返ってきた。


「センパイとも話してみたかったんですよね。一緒に話しましょうよ〜」


制服の袖を摘まれて、誘われるようについつい隣に腰掛けてしまった。それに満足したらしい歌姫は冷蔵庫へと向かっていく。


「一年の家入硝子です」
「あ…四年の苗字名前、です」


どうして歯車はこうも真っ直ぐ回らないのだろう。そんな途方もないことを考えながら強引な家主が早く会話に加わってくれることを祈った。


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