不可視でも瞬いて

人里離れた山の奥の奥。高専からさらに山側へと車を走らせて三十分程度の所にその神社は建っていた。と言っても神社らしき建物と言えば見る限り、石造りの鳥居と小さな木組みの本殿のみ。ふたつともところどころ苔に覆われていて、黒くくすんで見える。しかし、それぞれについている注連縄と、風にはためく紙垂だけは妙に鮮やかで、そこに眠るものへの信仰が衰えていないことを象徴しているようだった。


鳥居から本殿に続く参道はせいぜい数メートルであったが、その真ん中へ黒の漆と金の装飾が艶めく神輿が鎮座しており、それを中心として真っ白な着物を着用した人々が円を描くようにして地面に伏せっている。白で埋め尽くされた参道とその中心にある神輿に乗った呪霊を、私たちは神社の全体が見渡せる傾斜の上で、木陰に身を潜めながら観察していた。背後に同じようにしてしゃがみ込んだ五条くんが、私の肩越しに異様な光景を瞳に捉え、わかりやすく顔を歪めた。


「こんなの全然祭りじゃねーじゃん。よく今の今まで放っておいたな。一番最初の報告いつだっけ?」
「閉鎖的な地域で調査がかなり難しかったみたい。確かにこれじゃ……」


がしがしと頭の後ろをかきながら五条くんが呆れたようにため息をつく。確かに今見ている光景は立派な儀式であり、報告書にあったお祭りという文言は些かライトすぎる表現だ。言葉を紡ぎながら視線を中央の神輿へと走らせる。そこに鎮座する呪霊は、体の大半を胴が占めており、またその大半は大きく膨れた腹だった。気持ち程度に胴へついている足や腕は折れた小枝のようで体を支えるには値しないように思える。中央上付近に位置する頭にはしっかりと目口鼻らしき器官が見えるが、目や口と思しき箇所は幾重にも重ねられた糸のようなもので縫い付けられている。膨らんだり閉じたりを繰り返す鼻と、その動きに合わせて膨張収縮を繰り返す大きな腹が、現在唯一確認できる呪霊の動きだ。


「……それにあの呪霊、呪力がほとんど感じられない。呪詛師らしき人間も見当たらない」


頭のすぐ横でカチャリと軽い音が鳴る。五条くんがサングラスをずらした音だ。しばらく周囲を注視したあと、彼は眉間に皺を寄せ、ずらしたサングラスを元の位置へとかけ直した。


「あそこに集まってるのは非術師ばっか。呪詛師の術式であの呪霊を動かしてる可能性もあるけど、パッと見、周囲にその影はゼロ。つーかあの呪霊絶対寝てんだろ。何がトリガーになるのかサッパリだな」
「トリガーが引かれた瞬間に犠牲者が出て、呪霊が引っ込む可能性もあるよね…」


そろりと伺うように五条くんの顔を見上げる。五条くんも同じように一瞬こちらを向いたが、すぐに正面へと向き直った。


「センパイ」
「はい」
「多分同じ考えだよ、俺ら」
「…や、やっぱり?で、でももしかしたらそれで呪霊が引っ込む可能性も………………」
「そん時はそん時。呪詛師の捕縛に目的を切り替えればいい」


よっこらしょ、と年齢に見合わない掛け声と共に立ち上がった五条くんは、自身の膝についた手と反対側の手で同時に私の腕を掴み上げた。それを合図に私も立ち上がろうと足に力を入れたが、その前に五条くんの片腕が私のお腹に回る。


「あ、あれ?」


"五条くん"


そう声をかける間もなく私の体は地面から浮いていた。小脇で足を投げ出し、まるで天日干しされる布団のような間抜けな格好の私を、五条くんは見ようとすらしない。


「呪詛師が何らかの形で潜伏してたらそっちは任せるわ」
「え、」
「センパイなら上手く対処できるでしょ」


青い瞳がようやく私を覗き込む。


――五条くんは、弱い人間と関わるのは疲れると言う。気を遣うのはごめんだと。でも、そんな彼が私にこの任務で託してくれているものは多い。それが何を意味するのか。例え、強者ゆえの弱者への慈悲や情けだとしても。合理的な彼が時折見せる思考に反した感情的な非合理さだとしても。この瞬間だけでも信じていると、そう言ってくれるのならば。伝わってほしい。私の意思を、伝えたい。視線を逸らすことなく縦に首を振ると、五条くんの目尻が、少しだけ下を向く。


「口、閉じて」


今度こそしっかり神社の方を見据えた五条くんが、口角を左右に大きく引き上げる。その顔はひどく無邪気で、玩具を見つけた子供のように楽しそうだった。直後、体全体がふわっと浮遊感に包まれる。その後はあっという間だった。視界の端に映る景色がとんでもない速さで移り変わっていく。


落ちている。五条くんが私を抱えたまま、傾斜の上から飛び降りたのだ。


大きな悲鳴をあげそうになったところで、先程の五条くんの言葉を思い出し、私は口を両手で塞いだ。五条くんと私の落下地点は間違いなく神社、いいやその中心。あの神輿の上だ。体制が変わったことによって、私たちは真っ逆さまに、更に速度を上げていく。徐々に耳が拾い上げる信者たちの悲鳴が大きくなる。そして、いよいよ体が神輿に激突しそうになったその時、五条くんが強く拳を握った。


ボフンッ!とふかふかの布団を叩いた時のような音が周りの木々に木霊する。五条くんの術式を纏った拳が、神輿を頂点から突き破り、そのまま呪霊の腹へと炸裂したのだ。瞬間、ぶわりと呪霊の呪力が膨らみ、私たちを包み込む。


「センパイ!」


五条くんに強く呼びかけられ、私は大きく息を吸い、そして掌印を結んだ。


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