出来損ないの感傷

 深夜、見張り台の上。交代のタイミングで入れてきたばかりの温かい飲み物は、夜半の秋の空気に触れてもうすっかり冷たくなりかけていた。体温を奪われるばかりになってしまったマグカップを早々に手から離して、大きく息を吸い込む。鼻を通る匂いから、早くも冬の訪れを感じ、時の儚さを感じた。息を吸いこむ時に閉じた目を再び開くと、透き通った空気の先に満点の星空が見えて、自身の目が星の瞬きのように輝くのを感じた。

「……綺麗だなぁ」

 星ばかり見ていると、まるで世界が平和であると錯覚しそうになる。こんなことをしている間にも壁外の巨人が、再び壁を蹴破ろうとしているかもしれない、だなんて信じ難い。もういっそ、現実になんて戻らなければいいのになぁ。今この瞬間、ここで死ぬことができたら、どれほど――。

「異常はねぇか」

 思考はあっさりと現実に戻された。いつもよりずっと柔らかさを含んだように聞こえる声に、後ろを振り返る。

「リヴァイ」

 呼びかけても、彼は表情ひとつ変えず、返事もしないまま私が座り込んだ横へとゆっくりとした動作で腰を下ろした。先程の柔和な声が嘘のように、相変わらず険しい顔をしている。眉間に刻まれる谷底より深そうな皺へと手を伸ばしたが、目当てのそこに到達する前に、あまり変わらない大きさの手に握られて阻まれてしまった。心底鬱陶しそうな彼の顔を見て私はひとつ笑いを零す。するとそれが気に食わなかったのか、彼はより一層眉間の皺を深めた。

「何がおかしい」
「ううん。偉大なる兵士長様がわざわざこんな場末に何の用かなって」

 軽くからかったつもりだったけれど、リヴァイは気まずそうに何も無い見張り台の床の一片へと視線を落とした。

「…そんなに意地が悪かったか、テメェは」

 少しだけ突き出た唇からそんな拗ねたような言葉が出てくるのだ。だからこそ、私は彼を愛さずにいられない。愛おしさに心臓がきゅうと締め付けられる。私を殺すのが、彼であってもそれはそれできっと気持ち良く死ねるだろう。

「ごめんごめん。せっかく大好きな星を見て現実逃避してたのに邪魔されちゃったからさぁ。ついつい意地悪したくなっちゃった」
「どうせまた"死にてぇ"だとかくだらねぇこと考えてたんだろうが」
「うん、大正解。今も思ったよ。リヴァイが私の心臓を止めてくれてもいいな〜って」
「……くだらねぇ」
「そんなこと言わないでよ。死に方も死に場所も自分で選ぶのが私の夢なんだ」

 花に囲まれて死にたい。星が瞬く夜に死にたい。貴方に殺されてしまいたい。理想の死に方はもうすでに決まっている。私が愛したものの傍で。ただそれだけだ。

「リヴァイ」
「何だ」
「……もしあんたが死にそうになったらさ、私のことを思い出して」
「……」
「私のことを殺してから死んでよ。お願い」

 彼の深い色合いをした瞳が私を射抜く。夜闇によく馴染んだそれにどこから入り込んだのか鈍い光が射すのがはっきりと見えた。

「…確かに、この環境に身を置く以上、俺も、お前もいつ野垂れ死んでもおかしくねぇ」
「うん」
「だが、生憎俺はお前のように死ぬことばかり考えちゃいない。お前を殺す云々なんざ、その場面を想像するだけで反吐が出る」

 音を失った深夜の空気に私の息を吸う音が溶けていく。心臓がどくどくと、音を立てた。体がどんどんと体温を失っていくような感覚に襲われ、私は硬直した。

「斯くもこの世は、とことん腐っていて救いようがないかもしれん。生きる希望を失うのも理解できる。でもお前のそれは、本当にそうか?」
「……え、」
「俺は……。こんな状況で花を愛でるお前を、星が綺麗だと言えるお前を、俺の手が届くかぎり守ってやりたいと、そう思ってる」

 頬に添えられた手にびくりと体が震える。慈しむように私の肌を撫でる親指は、歪な形をしていて、ひどく硬かったけれど私はそれを決して不快だなんて思わなかった。

「馬鹿みてぇだと、出来るわけねぇと笑うか?……好きなヤツと、お互いがシワクチャになろうが、お互いがお互いをわからなくなろうが、添い遂げたい。そう思うのはお前にとってそんなに難しいことか」

 無意識に目から溢れ出した雫をリヴァイが拭う。両頬を包み込まれて、力強い光を宿した瞳がより一層近付いてくる。

「"死にそうになったら、思い出して"?"私を殺してから死んで"?…よく考えてみろ。お前が本当は俺に何を言いたいのか」

 額が重なる。彼の長く細い吐息が私に触れた。耐えきれず私が目を閉じたのが気に食わなかったのか、すぐそこでチッと舌打ちが聞こえた。

「……逃げるな、ナマエ。生きることを怖がるな。俺と生きたいと、そう言え。そうすれば俺はこの世界をお前と生き延びると誓おう。腕が飛ぼうが、両脚を食われようが、生きることを決して諦めずお前の元に帰ってくると約束する。だから――」
「……本当に私と一緒にいてくれるの」

 震える声で祈るように呟くと鼻先に当たるリヴァイの吐息が跳ねた。開いた目の先に上がっていく彼の口角を見た。

「約束しよう」

 指先まで絡んだその手を離さないと、誰よりも死に近い彼がそう約束してくれるというの?

「好き。...好きなの、リヴァイ」

 だから、怖い。

 そう呟いてすぐリヴァイの唇が私の唇にぴったりと重なった。隙間なく埋め尽くされたそれは、私の抱えきれずに溢れ出した感情と、盛れ出した言葉を次々に吸い込んでいく。間近で彼の瞳を見てハッとした。大好きな星の瞬きは、意外とすぐそこに存在していたのだ。

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