百色万華鏡


これの続き


 閉じたまぶたの裏にレースのカーテンの隙間を縫って入ってきた光がチカチカと反射する。寝ているようで、寝ていない。あたまの半分はいつだって現実を見ている。そんな寝方になったのはいつからだったっけ。だから、自室に人が侵入してきたことはその瞬間から既に気付いていた。ふ、とその人物が私に影を作ったところで、枕元にある手馴染みの良いナイフを手に取り、すぐそこにある胸ぐらを掴んだ。そのままくるりと体を反転させて刺客をベッドに押し付けたあと、首筋にナイフを突き立て、口を覆う。

「少しでも声を出せばこのまま殺す」

 耳元に口を寄せたところでようやく目を開く。その瞬間、目下でぶわっと広がった金色に私は目を瞬いた。大人しく私の下でベッドに寝転がった人物は、気まずそうに視線を逸らしている。ベッドに広がる癖のない綺麗な金色の髪の毛。そんな容姿のひと、私が知るのはたった一人だけだ。

「……神々廻くん?」
「…許したって。ほんの出来心やねん」
「……なんでここに?」
「せやから出来心で………………」

 彼がやけにくぐもった声で話すので、ようやく自分が彼の口を塞いでいたのを思い出した。慌てて口から手を離し、彼の上から体をどかす。……はずだったのだが、それは腰を掴んだ手によって阻まれてしまった。ナイフだけは危なすぎるので何とかそのあたりにほっぽり投げた。浮かせた腰が再び彼の腰元に下ろされる。薄いルームウェア越しにベルトが当たる感触が何とも居心地悪い。神々廻くんがむくりと上半身を起こしたことによって、またひとつ彼との距離が縮まったが、彼がずっと俯いているせいで、目の前にはつむじがあるばかりだった。

「…ナマエさん、珍しく今日の集まり来ぉへんかったやんか。ほんだら南雲が、何も聞いてへんのにここの住所教えてきてな〜……」

『苗字の部屋の鍵はいつも開いてるんだよ』

「って」
「そ、それでほんとに来ちゃったの?」
「…ついつい気になって」
「……」
「……ほんまに開いとるとは思わんくて」
「………………」
「…………スンマセン」

 カタコトの謝罪とともに彼はより深く首を垂らした。さらりと腕に触れた彼の髪に指を通す。そのまままん丸い後頭部に手を回して肩口に誘導すると、彼はコテンと私に頭を預けた。腰に回った腕がぎゅうと私を締め付ける。

「びっくりした」
「……そんなん俺もっスわ」
「え、」
「だってあっさり侵入できてまうし。家主は呑気にぐーすか寝とるし」
「…たまに来る刺客がどんどん鍵壊すから。その度に直すの面倒で開けるようにしてるの」
「南雲から教わりたなかったんやけど」
「……それで拗ねてるの?」
「別に。拗ねてへんわ」
「…そう」
「……ウソ。気に入らへん。この首のアザも。めっちゃ嫌や。なんでこんなんつけられとんねん」

 ところどころ無骨な長い指がするりと私の首を回って、軽く爪を立てられる。くすぐったくって体をよじっても、彼の腕がより強く私に絡むだけだった。相変わらず彼の頭は私の肩に埋まっている。

「南雲が何か言ったの?」
「…………今だけは他の男の名前出さんとって」
「ご、ごめんね…」
「たかが同期ってだけやのに何であんなマウントとられなあかんの」
「マウント…?私南雲とは本当に仲良くないよ。同期の中でたぶん唯一嫌われているし。神々廻くん、からかわれたんだよきっと」
「知っとるよ」
「え?」
「からかわれとんの、わかっとって来たんや。…それでも会いたかってん、ナマエさんに」
「ひ、ひえ……」

 私の肩に頬っぺたをくっつけてこちらを見上げる神々廻くんにあられもない悲鳴が漏れた。これ、わかっててやっている、たぶん。そうでなければただのタラシだ。神々廻くんがもともと垂れている眉毛をなお下げて楽しげに笑った。

「もうこんなんつけられたらあかんで」

 首筋に当てられた歯は、皮膚を突き破ることもなく可愛らしいリップノイズだけを残して去っていく。そんな軽い触れ合いだけでも鈍い痛みを発するそこに、茶色がかった瞳と深淵を描く瞳孔が脳を掠めたけれど目の前に広がるのは金色。今はただ、それだけだ。

「…もっと強くしても平気だよ?」
「嫌や。あの異常性癖と一緒にせんとって」

 広い背中にめいっぱい腕を回すと、彼がそれ以上の力で私を抱き込む。首筋に触れる彼の体温と、鼻腔いっぱいに広がった彼の香りが柔らかく私に染み込んでいくような気がして、寝て起きたばかりにしてはひどくいい気分だった。

「知ってる?神々廻。苗字の部屋の鍵はいっつも空いてるんだよ」
「……ハァ?」

 突拍子もなくそれだけ神々廻に伝えた南雲は満足そうに笑った。いつもの胡散臭い笑みでなく、目を細めて、何かを慈しむような笑い方で。対して神々廻の顔はみるみるうちに曇っていく。

「…お前何が目当てなん?」

 南雲は、横目で一度だけ神々廻を見てまた笑った。今度はいつも通りの胡散臭い笑顔だ。その視線の先に何を思い浮かべているのか、神々廻にはさっぱりわからなかった。

「……苗字がなるべく幸せになること」
「…意味わからんわ。日本語喋れや」
「神々廻が苗字を幸せにしてくれれば、苗字はもう"死んでもいい"なんて言わない」

 ただそれだけでいいんだー。そう言って目を閉じた南雲を、神々廻は彼女の胸の中で一瞬だけ思い浮かべ、首を振ってすぐに頭の中から消した。不思議そうに首を傾げて微笑んでみせる彼女は、今この時自分しか見ていない。それだけで満たされるものがある。だけど、それだけでは足りない。"ただそれだけで"だなんて言えるほど慎ましい性格に育たなかったことを、神々廻は温かな体温に包まれながら他でもない自分自身に感謝していた。

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