果てでぼくは

 これまで、キスを気持ちいいと思ったことなど一度もなかった。自分の口の中に他人の舌が入ってきて、私の口の中を好き勝手蠢く。そんな異物感がひどく苦手だった。

 ぞろりと上顎の窪んだ部分を舌がなぞる感覚に、私の背がピンと伸びた。そのままゆったりと顎を形取るように動いた舌が、器用に私の舌を絡めとって今度は奥へ奥へと触れる。ぞくぞくと寒気にも似た快感が背中を駆け上がり、思わず目の前にある洋服をぎゅっと握りしめてしまった。薄く目を開けると、ゆらゆら揺れる視界の先に宝石のように煌めく青色があった。それが何だかとてもいたたまれなくて、私は再び目を閉じた。

 この男と付き合ってから、これまで付き合った人たちとは単に相性が悪いだけだったのだと知った。と、いうかこれまで私が付き合った人は、ただひたすら私の体を使って自分の快楽を探究していただけにすぎなかったのだ。自分の気持ち良いが相手の気持ち良いでないことなど、小学生の頃習った道徳の応用だというのに、そんな簡単なことすら察することのできない人たちだった。でも、今目の前で私を蹂躙する男は違う。私の反応をきめ細やかに観察して、私が体を震わせたり、声を漏らす一瞬を逃さない。そして、忘れない。私がめいっぱい目を閉じて次々襲い来るそれに耐えるところをいつだってその何でも見える瞳で見つめている。

 いよいよ、息が続かなくなった私は深く重なった唇を少し離して、彼の名前を呼んだ。

「っ……、悟」
「……ん、ごめん。あともうちょい」

 離れかけた私の腰を引き寄せて、首裏を手のひらで柔く掴んだ彼に誘われるまま、私はまた彼にくっつく。瞼から溢れた涙は座ったソファに落ちる前に彼が親指で拭い去っていった。息が苦しくなっても、背筋が震えても、意識が飛びそうになっても、私は何度でも彼とのキスを求めてしまう。嫌だと言ってしまうのは、私が私でなくなるような気がするからだ。もし快楽に飲まれて自分を見失ってしまったら、一体どうなってしまうのか、怖くて怖くて堪らない。でも、どこかそれでもいい、と。どこかで彼ともっと深く繋がりたいと思っている。だから、彼がもう少し、と言うのはもしかしたらそんなはしたない私を見透かして、私の隠れた欲の塊を慮ってくれているのではないかとすら思ってしまう。仕上げと言わんばっかりに下唇を食んだ唇が今度こそ離れていく。しっとりと汗ばんだ額同士が擦れ合った次の瞬間には、体の力ががくんと抜けてしまった。崩れ行く私の体を彼は鍛えた片腕であっさりと支え上げる。

「おっと」
「……」
「やりすぎた?ごめんね」
「ううん。あのね、悟」
「なぁに?」
「…私ね、悟とのキス好きなの」
「……ははっ」

 知ってるよ、とそう笑った悟の笑顔は、まるで凪いだ海のように穏やかだった。愛おしくて、たまらなくなって、きゅんと心臓が音を立てて鳴く。私が彼に乗り上げているおかげで少し下にある頭を、その感情のまま胸に抱え込んだ。

「悟も気持ちいい…?」
「そうじゃなきゃこんなにしねーって」
「そっか…。……そっか。よかった」
「うん。…良すぎてさ、いつか溶け合っちゃうかも〜とかたまに思うんだよね」

 彼が非現実的なことを言うのは珍しかったけれど、その感覚は嫌というほど味わっている。彼も同じだというのなら、いつか本当にそうなる日が来るかもしれない。

「私もそう思う」

 そうであればいい。体内に侵入する彼を異物として判断しなくなったのだ。その先は溶け合ってひとつになる。きっとそうに違いないといつまでも信じていたかった。

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