心中未満

 寮の一室。物が少なく、よく片付いた部屋だ。触れただけでギシギシと軋むほど古いベッドだけれどその上にピンと貼られたボックスシーツにはシワがなく、清潔感ばかりが溢れている。そこに私が触れてシワを作ると、まるでこの部屋の主である彼の純潔を汚しているようなそんな気さえした。

 触れた唇が角度を変える度に、続かなくなった息を吐き出す。吸う。こればかりを繰り返していると、いよいよ我慢できなくなったように、彼は唇を私にくっつけたまま、まるで内緒話をするような掠れ声で私を諭した。

「名前、鼻で息をしてごらん。そうすれば苦しくないから」

 そう言われても難しい、と思ったけれど酸素を奪われた私の頭は正常に機能していない。彼の言うことがこの世の全てのように感じて、こくこくと首を縦に振る。

「ふふ、一生懸命で可愛い」

 相対している彼は余裕綽々といった様子でクスッとひとつ笑いを零し、そして再び私に唇をくっ付けた。口付ける前に、彼は決まって色っぽい吐息を漏らす。彼のそんな仕草が私にはとても堪らなくて、お腹の奥の方から体温がじわじわと上がっていくのを感じた。

「おいで」

 脇の下に手を差し入れられて、導かれた先は彼の膝の上だった。お尻からダイレクトに伝わってくる太ももの感触や体温がどうにもむず痒い。きっちり揃えた足にも、その上で握った手にも必要以上に力が入る。下を向いた顔を掬い上げるようにして彼が私を覗き込む。私の目をきっちり見て話してくれる彼が好き。でも最近はそれが私を大きく掻き乱す。

「夏油くん」
「うん。何だい?」
「お、重くない…?」
「全然。…私はしばらくこうしていたいけど、名前は嫌かな」

 そういうと、彼は切れ長で綺麗な形をした目を柔らかく細めた。よく見ると頬が淡いピンク色に染まっている。そんな精一杯私が愛おしいという顔でみつめられてしまえば、心臓は痛いほど縮こまって胸が苦しくなる。私は彼が好きなのに、大好きだからこそ、どうしてもままならない。彼がいつも私にしてくれるように、上手に言葉を返せない私は、目一杯首を横に振るのが精一杯だった。

「あのね、夏油くん」
「うん、なぁに、名前」
「私、その……、」
「……何も言わなくてもいい」
「どうして?」
「全部わかるから」

 私を抱え直した夏油くんが目尻をさらに下げた。大きな手が私の頬を包み込む。親指が慈しむように私の頬を擦った。

「私が名前に触れるとき、君は自分がどんな顔をしているかわかるかい?」

 私は緩く首を横に振った。いやというほどよくわかっているような気がしたけれど、彼から見える私が一体どんな風なのか知りたかったから。

「むず痒そうで、もどかしそうで、でもそれでいて幸せそうなんだ」

 違う?弧を描いた口元がそう紡ぐ。私はもう一度首を横に振った。その通りだ。彼に触れてもらえると、一瞬だけ羞恥心が駆け上がったあとすぐ、心臓がへにゃりとひしゃげて蕩けるようなそんな感覚がする。私が幸せだと、他でもない彼に伝わっているのなら、きっと私たちはもう既に幸せの一片をこの手に収めている。

「…夏油くんも、幸せ?」

 素直に聞いてみると、彼は緩めた目元を見張ったそのあと、よくよく煮詰めた砂糖水のような顔で笑ってみせた。

「名前には、私がどう見えてる?」

 擦り寄るように降りてきた頬に手を添えて、彼を改めてよく見てみる。その表情は私にとってもう随分と見慣れたものだった。

「きっと私たち、同じ顔をしていると思う」
「……あぁ。きっとそうなんだろうね」

 続いて彼から零れ落ちた愛の言葉は、彼の唇とくっついた唇から私の体の奥へと真っ逆さまに放り込まれた。それは体のどこか大切なところに吸収されて、いつまでも私を生かす養分となることだろう。

「名前が相手だと、上手く加減できないんだ。ごめんね」

 もっとゆっくり、大切にしたいのに。僅かに出来た隙間から彼がもどかしそうに呟く。顎に添えられた手に誘導されるまま、薄く口を開くと肉厚な舌が私の舌を絡め取った。唇同士にもう隙間はない。最初からそんなもの存在していなかったようにぴったりとくっついている。鼻から大きく息を吸ってみて気付いた。こうすると、まるでふたりで息をしているみたいだ。たとえば今後、ふたりで息を分け合って生きていかなければならないとしても、それはそれできっと幸福なのだろうと、そんなふうに思ってしまうほど、ひどく私は満ち足りていた。

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