愛によく似た言葉
耳の近くで聞こえる心臓の音。いつもより多い呼吸の数。大きく吸い込んだ空気がひどく冷たくて、赤くなった鼻がツンと痛んだ。ポケットに手を突っ込んで、スマートフォンを引っ掴む。パッと点灯した画面に表示された時刻は23時37分。
"お前の部屋にいる"
時刻と同時に表示されたシンプルなメッセージにキュッと気持ちが引き締まる。任務が長引いて待たせた上に、こんな遅い時間にも関わらず、自宅近くまで特急で送り届けてくれた後輩には本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。閑静な住宅街を走り抜け、ようやく見えたマンションに私はやっとの思いで滑り込んだ。
◇
暴れる呼吸を整えながら握りしめた鍵で不器用に解錠した後、廊下に漏れ出た光に向かって一心不乱に足を動かした。急いた気持ちをそのままに勢いよくドアノブを握ったけれど、何となく気まずさが勝ってしまって、結局そうっと扉を開く。
「……ただいま。悟〜…?」
扉を半分ほど開けて顔だけ覗かせ、こっそり中を見渡したけれど目当ての人物はどこにも見当たらないし、返事もない。そのことに何だか気持ちを落ち着けることができて、ようやく私はリビングへと足を踏み入れた。そして気が付いた。左手にあるソファから持て余した脚と腕がダラリと落ちている。なるべく音を立てずにソファの前に回ると、案の定彼は静かに寝息を立てて眠っていた。ふと、近くのローテーブルに視線を奪われる。普段あまり飾り気のないそこがひどく賑やかだったからだ。本日の主役と書かれた襷、ケーキの形をした帽子、"Happy Birthday"の文字にふちが彩られたサングラス、色とりどりの花束、様々なお菓子が詰め込まれた袋の数々。ひとつひとつに視線を移す間、みるみる顔中の筋肉が弛緩していくのが自分でもよくわかった。
『しっかりお祝いしてあげてください』
思えば私を送り届けてくれた後輩も、そう言って一段と優しく笑っていた気がする。
「愛されてるなぁ」
破顔した表情をそのままにようやくラグへ腰を落ち着けた私は、肘かけを枕にしてすやすやと眠る"本日の主役"の顔を覗き込んだ。起きている時の軽薄すぎる雰囲気はすっかりなりを潜めており、純朴な、まるで少年のような寝顔だった。時計を見ると23時55分。何とか間に合ったようだ。
「お誕生日おめでとう」
お腹に添えるように置かれた大きな手を握って、無防備に曝け出された額に一つ口付けを落とす。その瞬間だった。息を着く間もなく、自分が握っていたはずの手はいつの間にか大きな手に握り込められ、そのまま強く引き寄せられた。気付けば私を引っ張った勢いと共に起き上がった悟が、肩口に頭を埋めていた。繋がっていない方の手が背中に回って、隙間なく抱き寄せられる。
「おっせーよ……。てか、そういうの起きてる時にやって」
低く唸るような声は不機嫌なのか、はたまたまだ眠いだけなのか。いや、両方だろうか。あやすように頭を撫でてやるとぐりぐりと頭を強く擦り寄せられた。
「本当にごめん。遅くなって」
「今何時…?」
ほとんど開いてない目で時計を見やった悟は、大きくため息をついて再び私の肩に顔を埋めた。
「今日中に帰って来れるっていうから健気に待ってたのにさぁ。たしかに今日は今日だけど、ギリギリすぎんだろ。待ちくたびれたっつーの…」
背を起こした悟がこちらを見つめる。綺麗に上を向いて生え揃った睫毛と、濁りのない空のような瞳が、落ちて行くばかりの小さな光を集めて煌めいていた。時刻は23時59分。12月7日が終わるまでわずか一分。
「お誕生日おめでとう、悟」
「……ドーモ。アリガトネ」
わざとらしく突き出た悟の唇に自分のそれを重ねる。額を触れ合わせて彼を見ると、思ったよりずっと穏やかに彼は笑っていた。じんわりと温まった心を分け合うように、私たちはまた強くお互いを抱きしめ合った。