憂き夜にいとしい子守唄

 柔らかく押し倒されたベッドの上で私はただ目を白黒させるしかなかった。状況を何とか飲み込もうと辺りをきょろきょろと挙動不審に見回していると、いつの間にか私の上に跨った男の綺麗な顔面が目前まで迫っていて、何とかそれを両手で覆い隠すようにして止めた。両手から零れたこれまた綺麗な形の眉はぎゅっと上に引き上がっていて、きっと怒っているのだろうと思った。でも、どうしたって気持ちがついていかない。ぐるぐるぐるぐる。頭と一緒に目も回りそうだ。どうしたらこの状況を脱することができるのだろう。どうしたら私たちは元の関係性に戻れるのだろう。だってさっきまで私たち普通に談笑していたじゃない。そんな私の浅い思考を読み取ったのだろうか。ぬるり、と手を這った感触に、ひえっと情けない声が口から漏れ出た。引っ込めようとした手を、今度はがっしりと掴まれて、男は離れかけた距離を詰めた。手のひらに可愛らしい音を立てて去っていった男の唇を見て私は思わず泣きそうに顔を歪めたくなった。

「……なんで」

 小さく呟いた言葉をしっかりと男の耳は拾っていたらしい。伏せられていた睫毛が徐々に上を向き、隠されていた空色の瞳が顔を出す。それはまるで蔑むような視線で私を射抜いた。

「名前さん」
「……」
「……なんで無視すんの。ちゃんと応えてよ」

 心憂さを含んだ声だった。私を蔑むような視線だと思っていたのだけれど、都合の良い勘違いだったのかもしれない。伏せられた瞼といつもより気持ち垂れ下がった目尻には悲壮感ばかりが溢れている。どうにもこうにも何も答えられずにいると、肘を折った男の白い頭が落ちてきて、私の頭のすぐ横へと埋まった。すうっと大きく息を吸って、たっぷりと時間を使い吐き出した彼が、私の耳の縁へ唇を寄せる。

「ついさっきまで俺が声掛けたら言ってくれてたじゃん。"なぁに、悟くん"って。笑ってくれたじゃん。ねぇ、また俺の名前呼んでよ」

 そうは言われても、息を吸い込むと喉の奥が痙攣するように震えてしまって上手く声が出せないのだ。目の前の憂いを帯びた男と、脳裏で笑う幼なじみの悟くんが同一人物だということを脳が否定している。悟くんは言葉や行動が少しだけ乱暴で、好奇心に実らしい、いつまでも無邪気でどこか憎めない、そんな可愛らしい年下の男の子で――。

「名前さんが言ったんでしょ。俺とずっと一緒にいてくれるって」

 濡れた唇の音が今度は耳に直接響いて思わず肩が震えた。太ももの辺りに押し付けられた硬い感触が一体何なのか、わからないほど私はもう純情ではない。

――あぁ、そうか。それは悟くんも同じことなのか。

「俺をずっと甘やかしてきたくせに。最後まで甘やかしてくれないとダメじゃん。なぁ、そうだろ?これだって"仕方ないなぁ"って笑って許してよ。そうやって俺の事ずっと受け入れて。離れていこうとすんな。お願いだから」

 添えられた手が導くまま、私は膝を割り開いた。強ばっていた全身がゆっくりと弛緩していく。近くにあった悟くんの耳元へ吹き込むようにして彼の名前を呼んだ。すると、彼の体がびくりと跳ねる。目の前にある耳の先っぽが徐々に淡く色付いていくのが見えた。その様子に先程まで私を包んでいた恐怖感のようなものは消えて、ふっと小さく笑いがこぼれた。ようやく上半身を起こした彼が口元に手の甲を添えて笑う。その笑顔は、他の誰でもない。私がよく知る悟くんのものだった。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -