奏でるは、プレリュード

 安っぽい蛍光灯に照らされて真っ白に輝く君を見たとき、望んでいた終焉がようやく訪れたのだと、そう思った。



「どうか……!どうかお願いします!教祖様!この悪鬼をどうか!」

 お付の信者の手を通して渡された写真には純新無垢に笑う女性が写っていた。この人が一体、何をしたというのだろう。例えこの人が何をしていたとて、それを裁く権利が私にあるというのだろうか。いや、そんなものあるはずがない。あるはずが、ないのだ。

「今日もお疲れ様。人が多くて大変だったでしょう。でもおかげで、ホラ。お布施がこぉんなに」

 母が口と目を三日月に歪めて笑う。昔はこんな風に笑う人じゃなかったと思う。そもそも目の前にいるのは、本当に私の母なのだろうか?

 小さな頃から、私の周りには異形が溢れていた。身体中に目がある四足歩行の異形、口が縦に大きく裂け体にまで達している異形。小さな黒いホコリのようなものから、建物に巻きついている大きなものまで様々。私にとってはそれが存在しているのが当たり前で日常だった。

 父は暴力を振るう人で、母は常にそれに脅えていた。その日も父は仕事から帰ってきてお酒を呑み、暴れた。母は引き倒され、殴られ、家のものが次々に壊されていく。やめて!という母の金切り声とうるせぇ!という父の怒鳴り声。

いい加減、限界だった。

『――食べて』

 小さく零した私の声に呼応した異形が、父の足元からぱっくりと口を開け、そのまま音もなく父を飲み込んだ。力を使ったのはこの時が初めてだったけれど、産まれた時からそうであったように、当たり前にそれができると瞬間的に確信していた。この時ばかりは母にも異形が見えていたらしい。目をギョロリと見開いてこちらを見る。私を伺う視線は異形を見るそれと同じだった。

 以降、私は薄布で出来た暖簾の奥、狭苦しく、薄暗いここに隔離されている。もうしばらくまともに他人の顔を見ていない。母は私を呪い屋として使うことにしたようだった。今のように写真を見るだけでそこに異形を送れるようになるには試行錯誤があったのだが、そんなこと理解されるはずもない。私が人を傷付ける小技を完成させる合間に、母はすっかりお金の愉悦に浸ってしまったようだった。お金にまみれながら、私に殺されないようにと、私の機嫌を取っている。父の機嫌を取ろうと躍起になっていたあの頃のように。

 何も変わらない。起承転結の"承"から先が訪れない、ただひたすらに続いていくつまらない物語。そんな人生。毎日異形を遣って壊して、毀す。その人が悪人なのか善人なのか、私が振りかざしているそれに果たして意味があるのか、そんなことは既に考えていなかった。代わり映えのしない毎日に、"転"などすっ飛ばしていよいよ死という"結"を望むようになった。そんな折だった。――君が私を殺しに来たのは。

 暖簾の向こうで、ぎゃぁだのうわぁだの信者の悲鳴が聞こえる。ドタバタとしばらく騒がしい時間が続いたあと、外は恐ろしく静かになった。私は何もせず、そこにいた。暖簾が乱雑に上げられ、外の光が差し込む。直接的に光が目に入るのは久しぶりで、私は思わず目を細めた。

「ハ?ガキじゃん」

 生気溌剌な声、それが第一印象だった。ゆっくりと目を開いた先には、宝石屑のように散らばる光。それが彼の真白い髪に反射した、ただの蛍光灯の光だと分かるのに時間がかかった。だって、ありふれたはずのそれが、彼を通すだけであまりにも綺麗に見えたのだから。

「綺麗……」
「ハァ!?キッモ!」

 思わず口にしていたそれを彼は直ぐに蹴散らした。何も構わずただ一直線にズカズカ私の前へと土足で歩みを進めた彼は、座布団に座る私に目線を合わせるように屈んだ。数年、誰も踏み込んで来なかった一線を初対面の彼が数秒で飛び越えてきた。思えば、外界と私を隔てていたのはたかが薄っぺらな暖簾ひとつだったのだ。おかしい話である。何だか何もかもが可笑しくなって、私は思わず笑ってしまった。

「ふふ、ふふふふふ」
「え〜……。なんなの、コイツ…。全然ついてけねぇんだけど…」

 わしわしと髪を乱しながらサングラスをズラして、彼はこちらを凝視する。その奥にあった瞳がまた綺麗で私は目を瞬いた。すごいなぁ、世の中にはこんなにも綺麗な人がいるんだ。まるで与えられた玩具に導かれる子供のように手を伸ばすと、彼の目前で私の手は止まってしまった。何か見えない壁のようなものに阻まれているような感覚だ。彼は驚くでも、私を避けるでもなく、微動だにしないまま、相変わらず間抜けな動作をしている私を見ていた。

「殺意もなけりゃ、呪力も動かねぇ。何、殺り合う気ゼロってこと?」

 やり合うなんてとんでもない。だって私はこの時をずっと待っていたのだから。彼に触れるのは諦めて、今度は彼を迎え入れるように両手を開いた。

「私の事、殺してくれるんでしょう」

 サングラスからこぼれそうなほど青い両目が見開かれた。隙がなかった構えを解いて、彼はぐったりと肩を落とし、そうしてまた大きく息を吐いた。

「ハァ〜!?オマエマジでなんなの!?もっと……こう…!なんか色々あんだろ!!!」

 ようやく訪れたと思っていた"結"がまさか私の人生にとっての"転"だったなんて。どうりで君のかき鳴らす音楽は鳴り止まないはずだ。だってそれは終わり行くフィナーレではなく始まりのプレリュードだったのだから。

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