深夜、蒲公英を探して

――プルルルルル

 静寂の中、突如として響いた呼出音にビクリと肩が跳ねる。気付けば自分の頭上以外の電気は消えていて、薄暗いフロアの中に私のPC画面だけが薄ぼんやりと浮かんでいた。視線を右端に移すと19:57の表示が目に入る。そういえば、

『苗字、今日はノー残業デーだぞ』

 と、誰よりも早く会社を後にした課長に、去り際声をかけられたことを思い出した。今、会社を出れば、最近急に会社が力を入れ出した働き方改革とやらに貢献できるかもしれない。長時間パソコンに向き合ったおかげで凝り固まった肩や首をほぐすように天井に向かって両手を伸ばした。そんなことをしている間に鳴り止んだスマートフォンへ目を向ける。パッと光った画面には"悟"の文字が表示されていて、思わずゲッと顔を顰めることになった。

 五条悟は腐れ縁もいいところな幼なじみである。出会いは物心ついたばかりの頃まで遡り、何やかんやで離れたり離れなかったりして、二十代後半の今に至る。"呪術師"なんていう一般人には決してわかり得ない職に就いた幼なじみは、どこかこの世に存在していないような、そんな感覚にさえ陥る時がある。私の部屋の合鍵を勝手に作っては部屋に居座ったり、はたまた一ヶ月ほど所在がわからなくなったり。とにかく、彼は私の人生におけるトリックスターなのだ。

 そんな悟が私に電話をかけてくることはほとんどない。なぜなら彼は、わざわざ私の都合を聞いたりしないからだ。彼がこうして電話をしてくる時は、大抵ろくでもない用事のことが多い。

『預かってる子供が急に熱出した。やべぇ。助けて』
『オマエ今暇?暇だよな。出張で北海道来てるんだけど、ちょっと足りないものあるから、今から持ってきて。高専の僕の部屋の机の上。札が貼ってあるちっちゃい木箱。あぁ、そうそう。もし落としたりしたら、多分二ヶ月くらい再起不能になるから。もちろんオマエが。ヘマすんなよ』

 思い返してみても、こんなのばかりである。よし、無視して家に帰ろう。スマートフォンを鞄の奥底へ押し込もうと手に取ったその瞬間、握り込んだそれが再度震えて、今度は体ごと跳ね上がった。恐る恐る画面を見るとやっぱり"悟"の文字。

「えぇ〜……。うーん………………」

 数秒迷って、結局出ることにした。こうなってしまえば出ない方が後々面倒くさくなるのは分かっていたからだ。もしもし、と声をかける前に受話器の向こうから地を這うような声が聞こえてきた。

「オマエ舐めてんの?一回で出ろよ」
「……スミマセンデシタ」

 こんなセリフどこかで聞いたことあるなと思ったら、働き方改革のミーティングを行った時のデモムービーに出てきたパワハラ上司のセリフだ。一言一句ほぼ間違えずに言っているコイツが実はパワハラ上司だったのか。機嫌悪いなァ、などと他人事のように考えていると間髪入れずに悟がつっけんどんな態度で言葉を差し込む。

「今どこ」
「まだ会社だよ。今から出ようとしてたところ」
「……フーン。オマエさ、今日がなんの日だか知ってる?」
「え、何だっけ?」

 心臓が跳ね上がった。以前、悟の誕生日をすっかり忘れていた時にひどく拗ねられたことがある。その時と全く同じ問いかけ方だった。しかし、今日は12月ですらない。誕生日以外で悟が拗ねそうな行事って何かあっただろうか。場合によっては面倒なことになりかねない。

「ハロウィンだよ。ハロウィン」
「あ、そうだったんだ…」

 いよいよ痺れを切らしたのか悟は呆れたようにそう言った。だけどハロウィンだから一体何だと言うのだろう。なかなか要領を得ない会話に私は首を傾げた。彼が一体何を言いたいのか。悩みに悩んで、結局出た答えはこれだった。

「……お菓子部屋に用意しておこうか」
「ちげーよ、ボケ」
「えぇ……ちがった?」

 怒ったような、そうでないような、やっぱり呆れたような、そんな声で即座に否定される。当たりだと思ったんだけどなぁ、などとぶつくさ呟いていると受話器越しに悟が大きく息を吸い込む音が聞こえた。

「オマエ、今日は渋谷行くなよ」
「うん?」
「しぶハロ〜!とか言ってはしゃぐ歳でもねぇだろ」
「そうだけど…。帰りに渋谷の近く通るよ。それもダメ?」
「ダメ。遠回りしてでも渋谷通らずに帰れ。タクシーでもいいから。後でタクシー代は出してやるよ」
「ふぅん。変なの。まぁでもわかった」
「…何も聞かないの」
「悟がわざわざ私に電話してくるなんてよっぽどなんでしょ。ちゃんと守るよ」

 フーン。とナチュラルなテンションで呟いた悟はそれ以降しばらく黙ってしまった。電話が切れていないか、一度耳から携帯を離して確認したけれど、点った画面には相変わらず通話中の文字が表示されている。

「名前さ」

遠くなった受話器からそう呼びかけられて慌てて再度電話を耳へとくつつける。今日の悟は何だかずっと要領を得ない。

「うん」
「なんで僕とずっと一緒にいたの?」
「え、急だね」
「いいから答えて。じゅーう、きゅーう…」
「うーん……。うーーーーん…………。……か、」
「か?」
「……か、考えたことなかった………………」
「オイ」
「だ、だって…!悟と一緒にいるのなんてもう当たり前じゃんか。今更何でとかそんなのピンとこないって……」
「……あっそ」

 手を取り合って、だとか、背中合わせで、だとか、そんな美しい記憶は決してないのだけれど。声色から彼が今どんな顔をしているかわかる。その程度には一緒に生きてきた。一緒に過ごしてきた時間だけは、曖昧な彼との関係の中で唯一否定しようのない事実なのだ。

「…今日、呪霊祓ったらオマエんち行くからやっぱりお菓子買っといて。ほら、あの、スーパーで安くて、色々入ってるやつ」
「あ〜、あれ。洋菓子と和菓子どっちも買っておくね。…それにしても悟、随分庶民的になったね。あんなのでいいの?」
「いいんだよ、オマエと食うのはあれで」
「……そっか。じゃあまたあとで。あんまり遅くならないようにね」
「ハハッ、誰に言ってんの」

 じゃーな、と少し弾んだ声が聞こえたあと、ツーツーと無機質な音へと切り替わった電話をようやく耳から離す。時刻は20時13分。彼の言うとおりタクシーを拾って、遠回りをして、近くのスーパーに寄って帰ろう。お惣菜が安くなっているかも。一応、悟の分も買っておこうかな。なんて、急にウキウキと浮かれだした心を押し鎮めながら、私は今度こそ帰り支度を始めたのだった。

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