いたわれない手も取り合って

 時計が深夜1時を指す頃私はようやく高専の寮の玄関を跨いだ。この日の任務は過酷だった。複数の呪霊の祓除、多数の被害者の救出。中には犠牲者もいた。更に同伴した先輩術師が怪我をした。決して私のせいでない、と先輩は声をかけてくれたけれど、疲れた脳ではそれが先輩の本音なのか判断がつかなかった。事実すべてが、まるで私を責める棘のように思えた。こんな時は、自他共に認める優秀な呪術師である同級の言葉が脳裏に浮かぶ。

『よっわ』

 疲れた体を談話室のソファに埋めて、一際大きな棘になっている同級、五条悟が私に対して何度も言う言葉を、頭に思い浮かべては、繰り返し咀嚼して飲み込んだ。

 私は彼が苦手だ。きっと大した実力もない私がこの高専に来て、同じ教室に顔を並べ、同じ呪術師を名乗るのが気に入らないのだと思う。顔を合わせれば何かと突っかかってきて「弱いんだから出張んなよ」だの「弱っちいオマエがそんなに張り切ったところで何も変わらねーよ」だのと私を彼の正論で挫く。呪術師に選ばれるべくして産まれたような彼の言の葉は、まるで呪術界での常識のように思える。いや、言われていることはきっと間違っていないのだろう。負の感情にかまけていると、眠気が体を覆い、ウトウトとそのまま瞼が閉じそうになる。ご飯…はいいか。お風呂、入ってない。自分の部屋行かなきゃ。やるべき事は沢山あるのに、どうしたって体が言うことを聞かない。少しだけ仮眠しよう、と勝手に閉じてくる瞼に逆らわずに目を閉じたその時。談話室の入口の扉が開いた音がして私は沈みこんでいたソファから勢いよく、体を起こした。

「……こんなトコで寝んなよ」

 唸るような声を辿ると、闇の中でも不思議と光を集める真っ青な瞳と視線が交差した。あぁ、今日ばかりは会いたくなかったのに。ラフな格好で談話室に足を踏み入れた彼は、電気くらい付けろ、とスイッチを操作する。ずっと暗いところにいたせいか電気がやけに眩しく感じて、私は目を細めて眉間に皺を寄せる。光に視界を奪われている間に談話室に響く冷蔵庫を開ける音、そしてガスコンロの火をつける音。夜食かな。五条くんと夏油くんがご飯時にとんでもない量のご飯をかきこんでいるのを、私は知っている。成長期ってすごいなぁ、だなんてそんなことを思いながらそんな彼の食事に立ち会う理由もなく、私は重い腰をソファから起こした。

「飯は?」

 彼は相変わらず私に背を向けてキッチンに向き合っているから、彼が私にかけている言葉だとは思えず、反応が遅れた。呆けていると彼が手を止めて、訝しげに私を振り返るものだから慌てて返事を返した。

「え、私?」

 我ながらなんとも間抜けだと思った。彼も同じことを思ったのだと思う。眉間に寄った皺が濃くなった。

「オマエ以外ここに誰かここにいるように見えるんですかぁ?」

 全くその通りである。飯は、ともう一度語尾を強めて聞かれて私はようやくまだです、と返事をした。彼はその返事に満足したのか再び、キッチンに向き合う。大きな背中の隙間から、調理台に置かれた残り物らしきカット野菜とコンソメが目に入った。火にかけた鍋にそれらをまとめて突っ込んだ彼は、私の隣に腰を下ろしてふぅ、と一息をついた。彼の行動一つ一つにびくびくと体が強ばる。また新たな棘が心に刺さる前に早くここからいなくなりたい。そんな私の心情を見通したらしい。

「スープ、別にそんな時間かかんねぇから待ってろよ」

 と、言った。なぜ、彼のスープができるまで私がご一緒しなくてはならないのか、果たしてさっぱりだが彼に従わない方が後々面倒かもしれない、と思って大人しく彼の隣に収まった。人が二人いるとは思えない静まり返った談話室にぐつぐつと野菜が煮える音だけが広がる。徐々に美味しそうな香りを放つ鍋にキュウッと小さくお腹が鳴いた。頃合いを見て立ち上がった五条くんが、鍋から野菜たちを掬いあげる。そして、ん、とぶっきらぼうに私の前に器が差し出された。

「……え、」
「食えよ、せっかく作ったんだから」
「…………これ、私が食べていいの」
「ついでだ、ついで」

 言葉の通り私の倍くらい盛られた器を片手に持った彼がもう一度私の隣に腰掛けた。じんわりと器から手のひらに伝わる熱が、冷えた心をゆっくりと溶かしてくれるような気がした。先程よりずっと胃が切なさを訴えている。そそられる香りに導かれて、いただきますと一言小さく声をかけてから私は器に口をつけた。

 あまり濃くない味付け。いつもハッキリとしている五条くんからは想像がつかないほど優しいスープがそこにはあった。美味しい。そう思った瞬間、ポタリとスープに波紋が広がった。ひとつ、またひとつ。波紋が広がっては消えていく。そんな様子を見た五条くんがギョッと目を見開いた。

「ハァ!?なんで泣いてんだよ」
「ご、ごめん。その、美味しくて、つい」
「美味かったくらいで泣くなよ…。ビビんだろ」

 調子を崩されたらしい五条くんがワシワシと自分の髪を乱す。

「……ムリしすぎ」
「へ、」
「弱いくせに、抱え込みすぎだって言ってんの」

 "弱いくせに"彼の常套句にあからさまに肩を落とす私を見た彼はさらに強く頭を掻き乱していじったらしく続けた。

「あーくそ…。めんどくせぇ。なんて言ったら伝わるんだよ。つまり!何かあったら俺らに言えばいーだろって!俺はずっとそう言ってんだけど」

"なんかあったら言え"?

つまりそれは――。

「あ、あの間違ってたらごめん。五条くんもしかしてずっと前から私のこと心配してくれたの…?」
「……」
「……」

 沈黙である。やっぱり思い上がりだっただろうか。そっ、と彼の顔を伺うように視線をあげるけれど、彼の顔はソファの向こう側へと向かっていて表情が見えなかった。

「ご、ごめん。やっぱりちが……」
「なんでここまで丁寧に言わねーと伝わんねぇの…」

 わしわしと綺麗な銀糸を再び乱す彼の耳は少しだけ色付いていて、私は彼を誤解していたのかもしれないという考えにようやく至った。

 手元にある優しい味付けのスープだけが、私と彼の真実を知っている。

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