その先にある喪失

 悟とのキスが好きだ。永遠にその中へと沈んで、もう二度と戻れなくてもいいと、そう思えるくらいに。

 柔く、蕩けるような唇が私の唇を覆ってしまうように重ねられる。何度も何度も啄むようにして重なり合ったあと、悟は決まってその肉厚な舌で私の唇を舐める。ぎゅっと瞑っていた目を少し開くと、悟も時を同じくして目を開いたらしい。近い距離でキラキラと煌めく青色と視線が交わった。悟がふっと眼を緩めて目を細める。トントン、と再び舌先で唇を叩かれて私は小さく口を開いた。熱い舌が私の歯列をねぶったその時。

 ――プルルルルルル

 二人の間に携帯の着信音が鳴り響いた。その音は私の頭の奥深くまで浸透して、悟との口付けですっかり溶けていた脳髄を早急に冷やしていく。

「……悟、んむ」

 肩を軽く叩いて、電話に出るよう促すけれど、悟は開いた口の奥へ冷めやらない舌を捩じ込んできた。そんな反抗的な行動に思わず心臓が高鳴る。

「やだ。出たくない」

 角度を変える度、唇同士に隙間ができる。その合間に落とされた言葉に私は目を見開いた。ググッと体重を寄せられて私の体はあっという間に触り心地の良いシーツに沈んでしまう。肩に置いていた手を指先から絡め取られ、強く縫い付けられる。

「……っ、悟」

 名前を呼ぶと太ももの辺りにぐりぐりと主張したそれを押し付けられて私はまたひとつ目を瞬く。いつの間にか粘っこく鳴っていた呼出音は聞こえなくなっていた。見計らったように重なり合っていた唇が離れていく。間を繋ぐ銀の糸がぷつりと切れたとき、ようやくはっきりとした悟の顔を見て、これが最後というわけでもないのにひどくせつない気持ちに襲われた。

「……行きたくない」
「うん、」

 行かないでほしい、と本当は伝えたかったけれどそんなこと言えるわけがない。どうしようもない気持ちを隠すように頬に手を伸ばして親指で淡く色付いた目尻をなぞった。

「名前とずっと一緒にいたい」
「……いるよ。どこにも行かない」
「約束?」
「うん。約束」

 悟は時折こうして縋るような言葉を重ねる。しかし、その言葉には何の力も、意味も、込められていない。その気になれば私を雁字搦めに縛ることもできるのに、悟は決して自分の言葉に呪いを乗せようとしない。まるで世界の泥水に薄めたような愛の言葉を聞く度に、愛おしさと苦しさがごちゃ混ぜになって上手く息が出来なくなってしまう。

 私はずっとこの世界に身を捧げた男を自分のものだけにする方法を探している。今度は私が彼の唇を奪ってしまおうと体を起こしたところで、再び悟の携帯が震えた。あぁ、やはりそれは許してもらえないのだ。まるで責められているような劈く音に私は顔を歪めた。――突如、ぐんっと強く腕を引っ張られ、温かな体に包まれる。そのまま顔のあたりを腕で覆われて、彼の心音だけが私の耳を打つ。波立った自分の心臓が、彼の心臓のリズムに合わせて落ち着いていく。少しだけ緩んだ腕に顔を上げると、既に通話は終わったあとだった。スマホを操作した悟が腕に収まった私を見下ろす。

「行かないと」
「……うん」

 温もりが離れていく。追いかけるように伸びた手は何も掴まずに自分の胸元へとしまい込んだ。仕事着を羽織って、アイマスクをつけてしまえば、呪術界最強五条悟の出来上がりだ。悟が果たして今どんな顔をしているのか、もう私にはわからない。

「悟、」
「ん?」

 引き止めるように名前を呼んでしまって、はくりと空気を噛んだ。どうしてこんなにもままならないのだろう。彼との関係を深めていくと、自分が自分でなくなっていく。

"私と世界、どっちが大切?"

 だなんて。いっそくだらない問いかけをして、彼との関係を終わらせてしまえたならば。彼を見送る度何度もそう思っては彼と紡いできたものを捨てられずに、思いとどまる。私は汚い人間だ。彼のそばにいるべきではないのに。もう一度私の唇が空気を噛んだのを見て、悟が私の腕を思いっきり引っ張った。私が発しようとした言葉は重なった悟の唇へと吸い込まれていく。

「五分で戻るからお風呂沸かしといて。一緒に入ろ」
「うん、気を付けてね」
「……ん。行ってきます」

 親指が耳朶を掠めた感覚だけを残して、悟は目の前から姿を消した。両腕を抱えるように抱きしめても、もうそこに貴方の温もりはない。ゆっくりと瞳を閉じて暗闇へと閉じ篭もる。いつか永遠に見失ってしまうかもしれないその温もりをいつまでも大切にしていたかった。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -