蛇足と刹那
※死ネタ
ヒュー、ヒューと喉から息が漏れる音が静かな闇に沈んでいく。その音も、あたりの草木を濡らす血も間違いなく、私の体内から流れ出ているものだ。ここは人里離れた山奥で、帳も降りたまま。早急な助けは期待できない。予定外の一級呪霊三体、だなんて、ほんとどこまでもついてない。差し違えてでも祓えたのが奇跡のようだ。先程派手に呪霊の腕が貫通した脇腹を抑えて痛みで何とか意識をつなぐ。
「…死ぬかも。さすがに」
私の頭は数年前に道を違えて以来、顔を見ていない初恋相手のことでいっぱいだった。これが俗に言う走馬灯ならなんてひどい。離れている間に彼との思い出は苦々しいものばかりになってしまったというのに。最後に会ったとき、彼はどんな顔をしていたっけ。そんな大事なことすらぼやけてしまった自分の記憶に乾いた笑いが零れた。あんなにも大好きで、彼がもう戻ってこないのだと知った時、狂おしいほど悲しかったはずなのに、今となっては彼が本当に私の隣に存在したのかすら曖昧だ。気付けば涙が頬に伝っていた。
じわりじわりと這い寄る死を享受するために、私はゆっくりと目を閉じた。その瞬間だった。
「久しいね」
静寂を貫いていた木々にこだました声。ゆったりとしたその声が、続いて私の名前を呼ぶ。先ほどまでが嘘のように、空気の震える方を目を見開いて辿った。
「……はは、なにそのかっこ。似合わない」
「久しぶりに会ったのに随分な言われようだ」
どこまでも広がる草むらに腰掛けた袈裟の男は、私が会いたくて会いたくて仕方なかった存在だった。ちゃんと彼の姿を見たいのに、どうしたって目の前が霞んでしまって顔などはうまく見えなかった。
「……ゆめ?」
「違うよ」
「じゃあ死んだ?」
「まさか」
穴の空いたお腹に添えた手に温もりが重なったのを感じる。あったかい。血が抜けて冷えていく体に彼の体温がじんわりと広がるのが心地よかった。
「もっと早く会いたかったんだけど」
「すまない。これでも急いで来たんだ」
「アンタのひっどいツラ拝んでやりたいのに、もうほとんど目見えないよ」
「…」
「……ちょっと。聞いてんの?」
「あぁ、すまない。ちゃんと聞いてる」
「……なんであの時連れて行ってくれなかったの?」
「………すまない」
穏やかだった彼の声が少しだけこわばった気がした。謝ってばっかりじゃんか。謝るくらいなら最初からするな。私を置いていくな、馬鹿野郎。
「…置いていかれるのは私の方じゃないか」
「……ふふ、ふふふ。たしかに。ごめん」
数年の時を飛び越えて普通に押し問答しているこの状況が、なんだか急におかしくなって笑いが溢れた。と言っても、笑っているのは私だけ。時折聞こえる傑の吐息は震えていた。どこまでも人間的で可哀想な男だと思った。心の芯まで望んだ大義に溶かして仕舞えば、こんな女ひとり死ぬのに泣かなくても済んだのに。
「君には、私に巻き込まれることなく生きていってほしかった。でもこんなことになるなら、やっぱりあの時連れ去ってしまえば良かったのかな」
ほとんど感覚がなくなった手をこちらの世界に繋ぎ止めるように大きな手が強く握る。痛みも、視界も、血の匂いも、もう何もない。私を包むのは温かい貴方の手と愛おしい声だけ。呪術師はロクな死に方をしない。そう教わってきたけれど、私の死がこんなにも幸せだなんて、案外神様も見捨てたもんじゃない。
「あー、気分良すぎて最後の最後にアンタのこと呪いそう。最悪」
そう呟くと、しばらく間が空いた後、ふふ、と声が跳ねた。
「……いいよ。名前、" "」
「……バカ。ほんっと、……ばか」
アンタと一緒に地獄を彷徨うなんて御免だから、そう言いたかったのに急激な眠気に襲われて、私はいよいよ意識を手放した。最後に聞こえた傑の呪いを抱きしめて、私は再び暗闇でこの男を待つのだ。