あまくてやわらかくて
すぐにさよなら



※色々と不穏につき注意



 突然、体を襲った浮遊感に深く沈んだ意識が少しだけ浮き上がる。どうやら、仕事から帰ってそのままソファに埋もれていたらしい。もぞもぞと体勢を直すと、私の体を抱え上げている腕がぴくりと動いた。

「おかえり」
「起きたの?」

 腕を回して、首筋に顔を埋めると彼自身の香りがいっぱいに広がってひどく気持ちが落ち着いた。

「こら、今日は汗かいてるから」
「うん、悟くんの匂い」
「……………」

 彼が廊下を歩くのに合わせて揺れていた体が止まる。不思議に思ってようやく両目を開けると、真っ白な頭が目前に迫っていた。悟くんの顔は私の横をすり抜けて、私の首筋に埋まった。私がそうしたのをなぞるように。

「名前の匂い」

 直ぐに私の首元から離れていった彼が口角を引き上げた。

「悟くんって絶対にやり返さないと気が済まないタイプだよね…」
「今のは名前が悪いよね」

 再び彼が歩みを進める。廊下の突き当たりには、浴室がある。

「悟くん、もう今日お風呂面倒くさい。そのまま寝たい」
「今日暑かったからシャワーだけでも浴びた方が絶対にさっぱりするよ。一緒に入ろ」

 嫌だと言ったところで、どうせ拒否権はないのだ。脱衣室の床に優しく降ろされ、服を脱ぐように促される。でもどうしたって今日の私は濡れた髪を乾かすのが面倒な気分だっだ。ここまできてそんなわけはないのだけれどもしかしたら誤魔化せるかも、という淡い期待を胸に、思い切ってずいぶん上の方にある悟くんの首に腕を回して体を寄せてみる。

「今日はまた随分と甘えただねぇ。まだお眠?」

 ぎゅうぎゅうと抱きつかれていると言うのに、悟くんは器用に私のパンツスーツへ入れ込んだワイシャツの裾を抜き出してしまった。

「ほら、全部やってあげるから」

 大きな手が私の肩を掴んで体を引き離す。少しだけ開いた空間が寂しくて、むず痒くて顔が歪んだ。そんな私のことなど気にもとめず背を丸めた悟くんがボタンを上から順番に外していく。どうやら諦めるつもりはないようだ。ここまで甘やかされてしまっては致し方ない。私も覚悟を決めて、ひとまず彼が着けたままだったアイマスクを頭から引っこ抜いてやる。柔らかくて、猫っ毛な髪が顔に覆い被さる瞬間が、何故だかたまらなく好きだ。綺麗に生え揃ったまつ毛の隙間から青い瞳がこちらを覗いた。必然的に交差する視線に気持ちがだんだんと溶けていく。悟くんも同じ気持ちなら良いのに。とろりと垂れた彼の目尻が、はりぼての優しい笑顔を作り出していた。

「悟くんがいたら、私、とことんダメな人間になっちゃう」

 ぱちりと彼の目がひとつ瞬いて、ゆっくりと細められる。

「そう。それは好都合だね」

 ワイシャツが床に落ちたのを合図に、再び悟くんの顔が私の首筋に埋まった。甘くて鋭い痛みの後に、温かな舌がそこを這う感触がして肩が震える。

「いい子ちゃんの名前はどこまで落ちられるのかな」

 彼が喋る度に唇の隙間からのぞく真っ赤な舌を見ていると、お腹の奥底から熱が競り上がってくるような、そんなどうしようもない感覚に陥ってしまう。だらしのなくなった私の顔を見たのか、悟くんの瞳孔がきゅうっと縮まった。もう既に手遅れなのかもしれない。こんなにも彼は私の中に侵食して、私を支配している。少しずつ縮まる距離がもどかしくて、堪らなくて、私は早々に瞼を閉じた。

 何もかもに疲れてしまったこんな夜は、自分の体の至る所に浮かぶ青痣も、左手の薬指に巻きついた指輪も、ぜんぶ見て見ぬふりをして。もはや暴力のように振り下ろされる本物かどうかもわからない彼の愛情に、何も考えず身を委ねてしまいたかった。

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