死にたがりの幸福

 手に握ったマグカップに口を付けると温かさにほっとする。わざわざ窓際に置いたこだわりの椅子に腰かけてうっすら開いたカーテン越しにまんまるい月を見た。時計を見るとデジタル表示の数字がちょうど三時に変わるところだった。

 ――ここ最近、よく眠れない。どれだけ体やこころが疲れていても数時間置きに目が覚めてしまう。そのままベッドで寝転んでいると、焦ってしまったり、イライラしてしまったりする。そんな自分がまたストレスで最近はこうして目が覚めたら温かい飲み物を飲みながら外をぼんやり眺めることにしている。見るものは深夜も爛々と輝く街灯だったり、小さく瞬く星だったりと様々だが、今日は一際丸く大きい月に目を奪われた。人は死ぬと"上"に行くと言うけれど、私も死んだら"上"に行けるだろうか。これまで看取った仲間には逢えるだろうか。椅子の上で立てた膝にほっぺたを預けてそんなことばかり考えてしまう。例えば、私が次の任務で死んでしまったら、今私の寝室で眠っている君にまた逢うことはできるのだろうか。

 ガチャ、と扉が開く音がしてそちらを見ると目を擦りながらドアノブを握っている五条がいた。惜しげも無く鍛えられた上半身を晒した彼は、一直線にこちらに歩いてきて私のマグカップを奪い取った。迷わず中の液体を一口、口に含んだ後、舌を出して顔を歪ませた。そういえば五条はコーヒーに狂った量の角砂糖をぶち込む超甘党だ。

「オマエ、夜にこんなの飲むなよ」
「ノンカフェインだよ」
「そういう問題じゃねーし」

 マグカップに手を伸ばそうとすると大きな厚い手が私の手を止めた。彼はマグカップを窓際に置くと、そのまま私の手を引っ張りあげて軽々と私の体を抱えてしまう。

「どうせまだ眠れないから先に寝てな」
「……僕がいるから?」

 廊下をずんずんと歩き迷わずベッドルームに向かう彼にそう言うとそんな予想もしない答えが帰ってきて、私は数秒呆けてしまった。

「違うよ」
「そうだよな。別に僕との関係は今始まった話じゃないし」

 一つ前のしおらしい態度はどこへやら。食い気味に肯定されて、じゃあなぜ聞いたのだと眉を顰める。たった1LDKの部屋だ。ベッドルームまでの道のりは短い。開きかけていたドアを足でこじ開けて、五条は私をベッドに放り投げた。

「そんな乱暴な…」

 文句を垂れている間に上から五条が覆いかぶさってくる。ぎゅうぎゅうと全身を包まれて、痛いくらいだ。

「五条、」
「寝ろ」
「……眠れないんだってば」
「なんで」

 何も覆っていない青い目がふたつこちらを見上げる。眉間にいくつか皺が寄っていて、私はそこを無意味にぎゅうぎゅうと押した。五条はふるふると頭を振ってそれを妨害してくる。こういった些細な、とてつもなくくだらないやり取りは変わらないのに、色々なことが変わってしまった。周りにいる人間も。私たちの関係性も。そして、私の感情も。

「何かついつい余計なこと考えちゃって」

 五条の腕の中で無理やり仰向けに寝転がり、天井に向けて片手を伸ばす。体格差のおかげで、縦にも横にも袖が余っている五条のシャツがずるりと腕を這ってシーツの上に落ちた。

「五条」

 顔を五条の方に向けると大層恨めしそうな顔がこちらを睨んでいた。下唇がツンと出ているのが何とも可愛らしい。

「明日からの長期任務、もし私が成功させて無事に帰ってきたら結婚してくれる?」

 私の突拍子もない申し出に今度は五条があんぐりと口を開けて呆ける番だった。本音を隠すことも多いけれど、元来こんな風に素直に感情を表現するタイプだと思う。同期だからか、それなりに心を許してくれているからなのか。後者だったらいい。ほんの少しの希望がほしい。

「縛られるような関係性はいらないってずっと言ってたじゃん」
「…生きる理由を作っちゃったら、潔く死ねなくなっちゃう気がして嫌だったの。でもね、もう我慢できないみたい。私ずっと前から五条が好き。何があっても五条のところに帰ってきて、ずっとアンタの近くにいたい」

 改めて口に出してストン、とつっかえが落ちたような、正しい答えを得たようなそんなスッキリとした気持ちになった。私は死が怖いのではなく、ましてや死にたいわけでもなく、きっと君に会えなくなることが怖かったのだ。

「冗談とかナシだけど」
「うん。私が無事に帰るのを祈ってくれる?」

 五条が私の腕を引っ張って私たちはまた抱き合った。耳元で着いていっていい?と聞く五条に私は声を出して笑った。それじゃあ願掛けでも何でもなくなってしまう。

 私を抱き寄せる前の五条の表情。あれこそが恐らく"幸福"なのだろう。きっと何度も見てきたはずのそれを、私はこれまで色んな感情を盾に気付かないふりをしてきた。今度こそは腕いっぱいに抱えて大切にしようと、温かな微睡みに意識を沈めながら心に誓った。

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