さよなら純白

 砂浜に座り込んだ私を冷たい風と波の音が包み込む。夜の海は不思議だ。海と、私と、世界にたったふたつだけしか存在していないように思えるから。それほどまでに周りは静寂に包まれている。きらきらと波に反射する月の光がいやに目について、私は波打ち際から目を離した。スマホも、財布も――大切な人も。何もかも家に置いてきた。もぬけの殻になった家に疲れて帰ってくる彼を想像すると自分の軽率さに胸が傷む。

「悟、心配するだろうな…」

 こんな、少し離れただけのところに来たって明日、相手方――かの有名な五条家に、結婚の挨拶に上がることは変わりないのに。私はバカだ。ただ、駄々を捏ねている子供だ。悟に一切不満はない。守るものが多い彼だけど、彼はその中で精一杯私を大切にしてくれている。つまりこれは私だけの問題なのだ。
 そう思った瞬間、ここ最近顕著に感じていたネガティブな感情が増幅して、私は自分で自分を抱きしめた。不安、恐怖、孤独――結婚の話が進んでいくたびに私が私でなくなっていくような、そんな感覚。追い討ちをかけたのが五条家に対するプレッシャーだった。勝手に追い込まれて、その不安を誰にも言い出せなかった私は子供のようにそこから逃げ出した。かっこわるいなぁ。情けないなぁ。一つ、また一つ涙が形を形成して砂浜に落ちてはその色を変えていく。


やっぱり私なんかじゃ――。


「見つけた」

 決定打ともなり得る言葉を自分に突きつけようとした瞬間、遮るように声が響いた。凛としたその声は海と、私のふたりぼっちだった世界をあっという間に打ち崩してしまう。悟は、私の横に同じように座り込んで私の顔を窺いながらそっと私の頭に手を置いた。

「良かった、僕が見つけられる場所にいてくれて」

 肩で息をする悟は、久しぶりだ。何せ最強の名を冠する男だ。ちょっとやそっとじゃこうはならないことを、長年連れ添ってきた私は知っている。相当急いできたのだろう。服は仕事着、目隠しは恐らく帰宅して外そうとしたまま、手にぎゅっと握られていた。疲れているだろう。私がいない真っ暗な家を見て思ったこともあるだろう。それでも悟は何も聞かなかい。私を責めない。声色も表情も纏う雰囲気も全てが穏やかで、優しい。ただこんなちっぽけな私の隣に寄り添って、肩を抱き寄せて頭を撫でてくれている。

「ごめんなさい」

 そんな悟を見たら謝らずにはいられなかった。どうしたって身勝手な自分に腹が立つ。今度は自分に対する悔しさが涙になってポロポロと流れ出した。私の頬を悟の親指がなぞる。

「僕こそごめん。気付いてあげられなかった」

 悟に非はない。そう伝えたいのに喉は情けなくひぐひぐと音を立てるだけで使い物にならない。私はせめてもの意思表示にふるふると首を横に振った。何度も、何度も。

「何となくわかるよ、名前の気持ち。でもごめん。オマエが僕から逃げても、僕はもう今更オマエを離してやれない」

 後頭部を撫でていた手に誘導されて悟の胸元に引き寄せられる。ぎゅう、と強く抱き締められて、私も同じように悟を抱き返した。悟の体温が凍りついていた心を溶かしていく。私はもう一度悟に謝った。

「私、悟と結婚できるの嬉しいはずなのに、実家のこととか、悟の立場とか色々考えてたら勝手に辛くなっちゃって……。ごめんね、不安にさせたよね、本当にごめんなさい。でも、弱くても、逃げ出したくなっても、私、悟のそばにいたいの」


貴方のことを手離せないのは、きっと私の方なの。


 頬を掬われて、宝石のような瞳と目が合う。ずっと、澄み切った青空のようだと思っていたけれど、夜に見ると先程まで眺めていた月の光を優しく含んだ海にも見えた。

「僕とオマエってどーしようもなく呪い合ってるんだねぇ」

 悟が困ったように眉を下げて笑う。目尻に少しだけ寄った皺に、隠し切れない彼の喜びを見たような気がする。愛おしさがじわじわと込み上げて、口元が緩んだ。 ――強くならなければならない。この笑顔と共に少しでも長く生きていきたいから。

 もう一度、悟の体に自分の身を沈める。砂浜に座り込んだ私を悟の温かな体温と鼓動が包み込む。悟と、私。今だけは世界にたったふたつだけしか存在していないように思えた。

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