調子のいい恋人
近年は大変便利な言葉があります。「友チョコ」ですって。素晴らしい、調子に乗るタイプの彼に渡すにはとてもいい言葉。最近全然構ってくれない愛しくて悔しいマット君には今日、そう言って渡してやろうと思う。ノックして部屋に入ると、例の彼は挨拶の一つもしないで相変わらずゲームに夢中になっている。こんな人に想いを込めたチョコレートを渡すなんて癪だから。少しくらい不安を煽っても許されると思いませんか?
「マット!」
「んー?」
「チョコ持ってきたよ。どーぞ」
気合いなんて入ってない風を精一杯装ってそう言うと、初めて顔をあげるマット。足を組み直して、素直に嬉しそうな顔をする。
「サンキュー!」
「ここに置いとくからー。じゃ!」
「ちょ!待った!」
はい?と気だるそうに振り向いてやった。新作ゲームを手に入れたとか言って最近は話しかけても全然相手してくれなかったくせに。それなのに、いそいそとチョコレートを用意してしまう乙女心を思い知れっていうの。
「ナナにしちゃそっけない渡し方だね」
「そうよ。何せこれ、友チョ…「ねえ」
決め台詞を言い切る前に主導権をマットに握られてしまった。後から思えばここが私の敗因だった。
「ナナさぁ、これいつ用意した?」
「一昨日に仕込んだよ」
「他の奴にも?」
「作ったよ、簡単なやつだけど。もうみんなに配りましたから」
「そう。でもそれ、全員に配るボリュームじゃないと見えるね」
「…まぁ」
それからマットは追い詰めるように言いながら、一歩ずつこちらに近付いてくる。
つまりナナはバレンタインの当日に
他の奴らに簡単なものを配り終えて
いよいよ最後に俺の元にやってきて
そしてこのボリュームのチョコレートをくれる訳だ。
最近じゃあ友チョコなんてのもあるらしいけど
嬉しいなぁこれはそういうのとは違う雰囲気だ
さて、
「ナナちゃんが持ってきてくれたこれは、何チョコ?」
その時私が思ったことといえば、
調子のいい恋人なんて持つものじゃないってこと。
私の目の前にいながら、まだ片手にゲーム機をぶら下げているくせに。
「ゲームの電源消したら教えてあげる」
「げっセーブしてないんですけど」
「マットならまたできる」
「あら嬉しい」
ニッと微笑んで愛しくて悔しい彼はゲーム機の電源ボタンを押す。メーカーの人に怒られる消し方。
「さてと、これで聞けるかなぁ。このチョコレートが何チョコか」
「友チョ…」
「何だか特別げなこちらは?」
「だから…」
「他の奴に配ってきたのもこれと同じなのかな?」
「ちがうよ」
「はいではもう一度。このチョコは?」
「本命?かも、多分」
「素直じゃねぇなぁ、ありがと」
悔しながら認めてしまった私の頭を、マットが包み込むように抱き締める。結局ここに収まってしまったら素直になるしか道はないのだ。
グイッと背中を指で押すと「いでっ!」とマットが声をあげ仰け反る。
「随分凝ってますこと」
「反省しました!今日はもうやらないから許して?」
マットが私の肩に顎を乗せて懇願する。その刺激に私もつい「いてっ」と声を上げてしまった。
「おや、君も凝ってるね」
「頑張って準備したものですから」
「へへーありがとナナ。好き」
愛しくて悔しい大好きな彼の言葉が、ああすごく悔しいけれどやっぱり愛しい。
ぎゅうっと抱き締める腕に力を入れて、今日のところは許してあげることにした。
今日のところは、ですけどね。
調子のいい恋人