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どうして空は青いの
どうやら私は、宿題を出したことになったらしい。


時季を彩るオレンジや紫の装飾も、今日の日を迎える頃には大抵胸焼けしている。こちらの意思に関係なく飛び込んでくる原色の刺激には辟易し、魔除けとして確かに一定の効果はあるのかもしれない、と古い習わしにうっかりと思いを馳せてしまうところだ。…それでは私は魔物ということになるが。

朝から機嫌のいいナナが、横で嬉々として祝福の準備を進めている。私の誕生日という全く持って彼女自身に関係のないものを喜び勇んで迎え入れている様子が、毎年のこととはいえ腑に落ちずにいた。

「誕生日の何がそんなにめでたいんですか」

他人事を喜ぶ彼女とは逆に、私は自分のことでありながら水を差すような言葉を選んでつっかかる。

「私には喜ぶような親もいませんし、あなたが私を生んだ訳でもない。

では私自身のたっての希望が叶って生まれてきたのかというと…真相は定かではありませんがそのような記憶や意識もありません。

誕生日を祝うことで、あなたにメリットがあるとも思えません。

ましてや私の場合、正確な出生日かも定かではないのに、誕生日を境に年齢をひとつ繰り上げることになるんですよ。老いていくんです。

死に近付き行くことを実感してなお祝うんですか?」

色気も素っ気もない、無粋な発言をした自覚は多分にある。これはいわゆる、屁理屈に他ならない。

少しばかり理詰めにしてみれば、一人勝手に鼻息を荒くした彼女が「あなたが生まれてくれたのがめでたいのだからそれでいい!」といったことを口走ると確信していたのだ。

いそいそと部屋に誕生日用の装飾を重ねゆくナナは私の挑発を耳にするなりこちらを見やり、大げさにため息をつく。そしてすぐに眉をしかめ斜向かいの老人に嘆かわしく相談を持ちかけた。

「ワタリ、こんなこと言ってるわよ」
「困った方ですね」

ワタリまで私を見て冗談めかし眉を下げるのだから、堪らない。

揃いのしかめ面を作ることに成功したナナは満足した様子だが、ワタリの醸し出す雰囲気がいささか柔らかいのを感じ取った私は居心地の悪さに爪を噛みたくなる衝動に駆られた。

ワタリにロボットのよう働くことを望んでいる訳では決してないが、どう振る舞うべきか警戒に足元が揺らぐ感覚に陥るこの雰囲気は昔から好めずにいる。

これだから私を中心にして盛り上がられても戸惑いこそすれ喜びとまではいかないのが本音だ。さきほどの八つ当たりに近い問いかけは、理詰めにしてナナを困らせることでいつも通りの立場を保つ目的がひとつ。あわよくば私への思いの丈でも口にすればいい、との狙いがない訳でもなかった。

ところがナナはワタリとのアイコンタクトののち、作業を進めながら思いの外私の言葉を真剣に噛み砕き始めた。

「…まぁ確かに、Lの言ってることも一理あるかもしれないけどさぁ…」

みるみる目付きを険しくさせ、「というか、それが真理なのか…」と言い出す始末だ。

こういう時に限って感情論を仕舞い込んでしまうのだから、全く恋愛対象者となるとどこでどう思考が転ぶのか予測がうまく働かない。
ナナと共にする時間、しばしば自分はただ翻弄される無力な男に過ぎないのではと思わされる。それはつい今しがたワタリに抱いたのと同じ居心地の悪さだ。

一言チクリと刺す程度にしておけばこんなにもナナを哲学の淵まで落とし込みはしなかったのだろう。
少しの後悔を伴って経験値は増やされていく。

「…ちょっと今日の宿題にさせて!」

まっすぐ真剣にこちらを見つめるナナに、余裕ぶって出題者を気取るのがせいぜいいいところだ。

かくして私はナナに意図せず宿題を出したことになったのだった。


*


窓の外、遠い空でオレンジに紫が重なり、濃紺を背景にした窓が室内を反射するようになった頃、答え合わせの時間がやってきた。

「で、どうなりました?宿題」

祝われることへの抵抗を感じながら指摘するのもなんだが、こっそりと支度するつもりは毛頭ないらしい。

私がここを離れないから仕方がないといえばそうなのかもしれないが、ナナは私の横で私を祝う準備を進めていく。

「それがいまいち芳しくないね」

クロスを広げ、テーブルにかけながらナナは苦々しく呻くように言った。

「降参ですか」
「いや!それは癪!」
「癪…」

癪かどうかは議題には関係がない。答えは出るか、出ないかの二択に尽きる。
となると彼女の中では答えが出なかったのだ。

早く感情論に走れば良いのに、と何処かで期待しながら勝負に勝った気になる。胸をくすぐるこの高揚、ゲームの勝利や事件の解決時に感じるものと同種であるよう願いたい。ちらりと頭をよぎる「恋人の言葉を聞きたがる翻弄された無力な男説」には鳴りを潜めてもらいたいのだから。

ダリア、ガーベラ、薔薇にかすみ草を散らしたフラワーアレンジメントを持ち出したナナは目を瞑って鼻を近づけ、香りを確かめる。

「本当はLをもハッとさせるような、抜群の答えが欲しかったんだけどね、」

華やかなそれをテーブル上に丁寧に配置し、愛しげに花弁を撫で整えながらナナは神妙にそう切り出した。

「それはまた挑戦的な」
「うん、さすがに無理だった。だから私なりの答えで許してね」
「はあ」

諸手を上げて諦めるという選択肢はないらしい。
しかしナナが私の問いに半日悪あがきし続けた成果を聞くのは、宝箱の蓋を開けるような、待ちわびた幸福そのもののような、つまりは好ましいことのように思えた。


「まず、誕生日はめでたい!」


息を吸ったナナはシルバーを並べている最中突然こちらに向き直り、手にしていたスプーンを振り上げずばりそう宣言した。

「そこは折れないんですね」
「もちろん!」

持ち上げたスプーンを置き、ワイングラスを並べる作業に取り掛かりながらナナは続けていく。

「私がLを生んだ訳じゃないから、直接的にめでたいかって言われると、確かにそうなんだけど。でも、Lが生まれてくれたおかげで出会えたんだもん。これを逃す手はない!」

結論なのか作戦なのかよく分からない筋道を辿るナナの持論を、とりあえず最後まで聞くことにする。真剣に話そうと熱心に上下するまつ毛の先までも逃さず捕らえたいと考えているのは悟られぬよう、興味なさそうに振る舞うのも忘れずに。

「この世にLがいてくれること、それは、私にとって最大級のメリットだよ!感謝して祝うに決まってる!」

嬉しそうに一度言い切った彼女は、パタパタと足音を立てテーブルから遠ざかっていく。
そして姿を消したと思う間も無く今度はケーキを乗せたワゴンを押し戻ってきた。

高く重ねたスポンジをクリームとフルーツがしっかり覆った立派なデコレーションケーキ、甘いものを好む主役を前にしながら特に見せびらかす様子もない。彼女は今、持論の展開と祝福の準備に余念がないのだ。

「それに、親がどうしたって?」

慎重にケーキを移動させながら、息を殺したままの発声でナナはそう紡ぎ出す。

「ワタリがいるじゃない。それに私も。

…それじゃあ、不服?」

この時ばかりは少し自信がなかったのか、急に振り向いた彼女の瞳は捉えるように私に向けられた。

不服な訳がない。私は屁理屈をこねただけなのだから。

「いえ」

何を真に受けているんですか、と以前の私だったら茶化して逃げたのかもしれない。頭を出そうとする無力の無の字を抑えつけながら、一瞬どきりとした胸中をなかったことにしたいと思う。

私の声に安堵のため息をこぼしたナナは、テーブルをひと眺めし、「うん!」と満足そうに頷いた。

「それに何より、一年に一回くらいあなたを笑わせたいのよ、エル」
「ご所望なら笑いますよ」

椅子の位置を整えながら話す後ろ姿にそう返してみると、「いい、いい」と断って急ぎ彼女はワゴンを片付けにいく。大急ぎで戻ってきた足が止まることなくこちらへ近付き、瞬く間に花とスイーツとナナの匂いに包まれた。

「大丈夫!私が笑わせてあげるから」

そうしてにやりと悪巧みした顔でナナは私の頬をつまみ上げ、横に引き伸ばした。

「随分直接的な方法ですね」

吸い付くようなナナの指先を感じながら揚げ足を取ると、語尾に重なるように突然ナナが声を荒げた。

「ああ、でも!!」
「?」
「悔しいけどズバリ説得できるような答えはなかったの!!」

頬から手を離さないまま、彼女は頭突きよろしく私に額を突き当てる。私を説得し打ち負かす為の言葉を得なかったナナの唇が、目の前で固く閉じ僅かにむずむずと動いている。誘っているのかと半ば本気で思ったがこれからワタリが戻る予定だ、彼女は本当に無念なのだろう。

「…誕生日には年を取る。そして死に近付き行く。それは確かにLの言った通りだよ」

観念した彼女は悔しさをにじませ、その上緊張した様子でこう呟いた。

「いいじゃない、受けて立つよ。一緒に老いてやりますとも」

まさに真に受けたナナの、近づきすぎた頬に堪えきれず口付けた。半日の間に壮大な覚悟を決めるに至った彼女の頬にあるのは柔らかな"生"の温もりそのものだった。

しかしここで満足してしまうのもつまらない。


「いくらなんでも…誕生のめでたい日に、そんなこと言います?」
「え…!あ、だって…」

突然の手の平返しに対応しきれずナナは大慌てで後ずさる。ナナに覆われていた視界が開け、彼女の全身を捉えることができる。これもまた良し。

焦ってしまった彼女が言うであろうはお約束の決め台詞だ。

「とにかく、Lが生まれた…とされてる日はめでたいってこと!Lが生まれて、生きて、今ここにいる事実が大切なんだから、もう、それでいいじゃない!」


こうやって私はしばしば愛というものに毒され、侵されていく。

待ってましたと言わんばかりのその言葉を、期待してしまったのだから仕方がない。

子どものように考えを押し付けたナナがまた何かを取りに走る背中を見つめながら、強烈な居心地の悪さと共に案外、愛されるのも悪くないと思う。

彼女の前では無力になってしまう自分が、認めたくはないがここにいるのは確かだ。
悔しい事実にせめて視線だけで抗うと、はるか遠い闇の中で輝きはじめる星が見えた。

じき夜も深まる。今年も何かと手を回したワタリがそろそろ戻る頃だろう。あの老体を、私はもっと労らねばなるまい。
こんな風に思っていることは、生涯隠し通す所存だけれども。

ふと勿体ぶった足音が聞こえ先ほど消えた方向に視線をやると、ナナがタイミングを見計らいに見計らって、落としそうに山盛りのプレゼントを抱えながら再び現れた。
よろよろと動く足元に転ばぬよう気を揉むし、一歩近づくごとに期待が膨らむようにも感じる。
こんな風に思っていることもやはり、決して表に出すまいとしてしまうのだが。

私を戸惑わせる二人を交互に捉えているとナナが突然立ち止まった。そしてプレゼントの脇から彼女はひょこりと顔を出す。

不自然に伸びた足と傾いた身体、あれが限界で一歩でも動けば色とりどりの箱や袋は崩れて落ちるに違いない。今すぐ飛んで行って支えてやりたいが、解答は最後まで見守る必要がある。


いや、聞きたいのだ。正答を。


私の問いは、答えを知っている出題者のそれではない。どちらかといえば、何故空は青いの?と問う子どものそれだ。
どうして僕は生まれたの、何であなたはこんなに優しくしてくれるの。

別段特別な興味はないけれど教えて欲しい。

構って欲しい。

振り向いて欲しい。ただ、それだけ。


そしてあそこにいる満面の笑みをたたえた彼女は、「私なり」などと謙遜しながらまた届けてくれるのだ。


彼女に宿る、愛情のままの言葉を。


「お誕生日おめでとう、L!大好きだよ!」


わっと声をあげバラバラと包みを落としていくナナを見て、私は今度こそ地面に足をつける。


あなたが好きだから好き。

そして好きな人の誕生日というのは、何はともあれおめでたい。


結局、それこそが何にも勝る答えなのだろう。

悟られぬよう隠しながら、腑に落ちる自分を少しばかり愛しく思う。


真っ直ぐぶつかる彼女の捻りのない言葉にこそ、今この瞬間、正しく説得されているのだ。


どうして空は青いの
Happy birthday L !!!
2016.10.31**
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