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いざない
「いい香り」

少し涼しくなってきた小道を5人で歩く。
いつぶりかな。


*


夕刻。ハウスの門を閉めに行ったら外歩きしているLと一緒になった。脇の花壇で何かの種を集めていたニアに屋内へ戻るよう声をかけ、いざ門まで辿り着くとすべり込むようにメロとマットが外出から帰ったところだった。

ハウスまで戻る裏道を5人。
それぞれの歩幅で、ぞろぞろと。

「…私達、怪しくない?」
「子どもは出てこない時間だろ」
「…まぁ、それもそうか」

汗ばむくらいか肌寒いか、最近はいよいよ分からない。移ろいの季節。秋の始まり…夏の終わり。

「あ…ねぇ、いい香り…」

漂ってきたほの甘い芳香に思わずうっとりとする。この香りは…

「…金木犀か」

メロが何とは無しに相槌を打ってくれる。メロは相槌がうまい。必要なタイミングで想いを紡ぎ出すのに長けている。

「香りってさ、記憶が蘇ると思わない?」
「脳の構造上抗えませんから」

口を挟むようなニアの相槌も嫌いじゃないんだ。思ったことを言うだけで、会話にもなっていない気がするけれど。

「どんな記憶を?」
「ん、えっとね」

Lへ答えようと思ったら、残りの3人まで沈黙を作ってしまった。その雰囲気に乗せられて、言葉を落としてみることにした。

「…"こっちにおいで"」
「なにそれ」

興味なさそうな声色でありながら、マットが即座に突っ込む。

「"こっちにおいで"って言われてるみたいな気がするっていうか」

「…」

「ちょっと誰か何か言ってよ!」

訝しがるみんなの雰囲気に慌てて懇願した。
ニアは前髪を弄りだして無視を決め込んでいるし、Lは戯言を言う幼児を見守るかのようにわざとらしい視線を送ってくる。マットもますます不可解だと言わんばかりの表情だったけれど、冗談めかして笑んだメロがすぐに正しく相槌を打ってくれた。

「記憶のこちら側に?」
「そうそう、金木犀の香りって記憶を呼び覚ますでしょ?そこにあらゆる"こっちにおいで"が潜んでるって、そう感じるの。金木犀トラップ!」

なにそれと突っ込んでおいて理解の早いマットが、なめらかに具体例を出してくれる。

「遊びに行く道中の感じとか、昼下がりに過ごした気だるい時間とか、思い出して戻っておいで〜って?」
「そう!それそれ。懐かしい感じ。わくわくするのに切ないみたいな」
「思い出すのはいいことばかりとは限らなそうです」
「ああニア、…その通り」

なんだかんだよく理解してくれるニアを振り向きこくこくと頷く。蘇るのはいい記憶だけではないし、感じるのは高揚だけでもなくて。

「よくない記憶、ですか」
「…うーん」

Lの言葉に唸ってしまった。思い出されるそれは、よくない記憶というほどに悪いものではないけれど、決して明るい記憶でもない。

「この独特の香りが運ぶのは喜びばかりじゃないというか…。何だろう、秋の切なさのせいかな。

こっちにおいで、懐かしいでしょう?こっちにおいで…って誘われて、」

金木犀の香りはどこからともなくやってきて、包み込むように促すように心をどこかへ連れていってくれるけれど、実際にその香りがどこから漂っているのかは分からなかったりする。
何を思い出しているのかはっきりしなかったり、する。

甘く切ない恵みの香は、これから寒く孤独になりゆく季節へ誘うどこか得体の知れない吸引力を含んでいる。その力が、いかんせん強すぎるんだ。

「でね、近づきすぎると感情の渦に呑み込まれちゃうんだよ。印象的な出来事や楽しかった日々のこと…それから1人手持ち無沙汰に過ごした夕暮れ時の虚しい感じとか、」

私はもう一度、鼻でよく息を吸い込んだ。
夕食のスープの香りもほんの少しだけ混ざる。
かぼちゃのポタージュ。コーンスープじゃなきゃいやだと、何故あれほどまでに頑なだったのか…ほらこうやって、幼い頃の自分が蘇る。

自分自身のことすら理解できていなかった頃。
このハウス…生きている場所で、未熟な視界が把握できた分だけが全てだった頃。

触れれば吸い込むように馴染んでしまう従順で無知な身と心は、時を重ねながら色々な出来事と想いを纏いゆく。

今思えば危険と隣り合わせの遊びをしていたこと、深い闇に落ちて永遠の迷路に入り込む可能性だってあった些細な巡り合わせや経験の差。

それでも、こうやって。

「運良く…こうやって大人まで生き抜くことができた事実とか、思い知らされる気もするの。そういう時、金木犀はそこはかとなくいつぞや隣にあった死の匂いでもある

…なんちゃって」


おかしなことを言っているかとごまかし気味に終わらせたセンチメンタルな本音は、砂利を踏む音に混ざって、マットが「うん」と茶化すことなく頷いてくれたことで報われた。ほっと胸が落ち着くのを感じる。

そして私は私だけじゃなく、静かに耳を傾けてくれた4人の過去を想う。


*


もう少しで裏口に着くという頃、ドアが開いてワタリが顔を出した。

「あ!」

手を振ると、ワタリは困ったように小さく微笑み、それからドアを開け放して固定してくれる。

「お揃いで…外は冷えます、早くこちらにおいでなさい」

振り向いて少しだけ大きな声で放たれたワタリの言葉に、私たちはそれぞれハッとした。5人してきっと同じことを考えていた。
左にいるニアは顔をあげ、右にいるマットとは互いに顔を見合わせてしまい頬が緩んだ。


それは、あったかくて安心する方の"こっちにおいで"。


間違いないワタリの言葉こそ、身を寄せ合う暖かい季節の始まる合図。


「…行きましょうか」

Lの言葉に「うん」と返事をし、私はかつて未熟さの隣にあった死の淵、それに囚われる想いから手を離す。


金木犀の香りは、再びほの甘く心地よく、鼻をかすめて過ぎていった。


いざない
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