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わるい人
 ちょうど私が図書室に入り浸りになっていた頃だったから、きっと単純に、運が良かったのだと思う。そういうことを運命と呼んでもいいのだろうか。

 ひとつ年上で、近寄りがたいLの後継者候補。
 メロと出会ったのは、夕暮れが切ない色をし始めた夏の終わりの頃だった。

 当時の私にとって、メロは本当に”近寄りがたい”人物だった。
 それは彼がハウスの中でも特別な存在である「後継者候補」だから、という理由に留まらない。彼が後継者候補になるずっと前から、私の中ではそういう印象だったのだ。

 メロは明るくて、リーダーシップのある人だと思う。
 彼に憧れている子も多いし、取り巻きだって多かった。いつも誰かに囲まれて、いつも誰かの視線を浴びているメロ。
 けれど、釣り上がったように見える鋭い目が何を捉えているのか分からなくて、楽しそうに振る舞っているのに、その実まったく現状に満足していないことが伝わってくる彼の得体の知れなさが、私には不可解だった。

 メロはサッカーをする時、本当に悪い人のように見えることがある。悪戯で勝ち気で、偉そうにすら見えた。
 だけど、勉強の時は違う。
 正確には、「部屋で勉強する時は」。

 彼を誤解している人もいるかもしれない。なにせ、私がそうだった。
 目の前のメロを見ていると、私には彼が普段とは違う表情をしているように見えるのだ。


*



 雑音を嫌って図書室で多くの時間を過ごしていたある日。メロが分厚い辞典を借りたいとやってきた。それも数冊。

 手伝うよう司書に声をかけられ、メロの部屋へ行ったことがきっかけになった。

「ありがとう」
「返す本があれば預かります」
「ああ、じゃあこれ」

 メロとまともに会話したのはそれが初めてだった。


 メロは何度も図書室に来た。と、いうより元々図書室の主はメロの方だった。その時は私の方が図書室で長い時間を過ごしていたけれど、”通う”という視点では、私はずっと出遅れていて、メロは既に多くの学びを本から得ているようだった。

「ナナは外が嫌い?」

 メロが借りた沢山の本を部屋まで送り届ける。それはいつしか日課のようになっていた。
 何度か同じような時を過ごしたある日、机の上へ今日借りた本を乗せたメロからそう聞かれた。

「そんなことはないけれど、外よりも図書室の方がもっと好きなだけ」

 嘘。咄嗟のことでうまく繕えなかった。
 活発なメロがこれを聞いて、どう受け取るだろうかと怖かった。
 しかし、メロが紡いだ言葉は私の不安を綺麗に消し去ってみせた。

「分かる」

 メロはサッカーも屋外での活動も大好きな人に見える。それは、きっと事実だ。
 けれどまるで一番の味方のように、理解者のようにメロはそう言って頷いてくれた。

 あの時、私はメロを好きになった。

 メロが調べ物をする時、一緒に目的のものを探すようになった。
 メロが書き物をする時は、それを隣で眺めた。とても綺麗な、美しい字を書くので見ていて飽きなかった。
 そして、メロがメロの頭脳を持ってしてもスムーズに解けない問題に鉢合わせた時は、私は彼の顔を見ていないふりをして、そしてこの上なく見つめていた。

 懸命に書物を辿る視線、いつもより雑に書かれる字、吐息のようなひとりごとが漏れる様子。
 歪む眉を初めて見た時、メロを誤解していたと思った。彼は運動神経のいい、天才だと。才能に恵まれ、苦労を知らず、周囲をどこか見下している辛辣な人だと思っていたけれど。

 メロが言う「図書室が好き」は、きっと決して嘘ではなかった。

*


 季節がひとつ過ぎようとした頃、メロが悲しいことを言った。

「ナナはもう、この部屋へ来ない方がいい」

 聞いた瞬間衝撃を受けると共に、やはりメロは優しい人なのだと思った。
 いつも相手がどう思うかなんて気にしないような言葉で語るのに、今日のメロは精一杯慎重な言葉の選び方をしているようだったから。

 壊れ物を優しく扱うようなその言い方は私を想ってくれているかのように感じるのに、一方で、どう抗っても私の主張を受け入れない準備を進めているようでもあって、沸き上がる不安に足がすくんだ。

「どうして?」
「ナニーが、嫌がるんだ」

 ナニーは、私たちの生活上の世話をしてくれる人達だ。彼女たちはこのハウスの中で、包み込むような優しさを見せてくれるし、いつも優しい。それが、何故。

「一日中、僕の部屋にこもりきりで、二人で何をやっているのかって」
「勉強と読書しかしてないわ」
「僕もそう言った。けど、信じてはもらえなかった」
「どうして。何も悪いことなんてしていないのに……」

 ナニーの言いつけは絶対だ。それを破って許された子を見たことがない。
 ハウスの中で生きるということは、そういうことなのだ。けれど、何故。私にはメロの部屋へ入り浸ることの問題がさっぱり理解できない。

 戸惑う私とは違って、メロはすっかりナニーの言いつけを理解しているようだった。
 悪いこと、が何なのかを知っている顔だった。

 “さっぱり理解できない”なんてわざとらしく慎ましやかなポーズを取りながら、私も薄々気がついてはいる。
 クラスの子が言っていたの。誘われたデートを楽しんだ帰り道、夕闇に紛れてキスをしたって。頬に夕陽の名残を色付けていた彼女は、戻り時間の遅さをナニーに厳しく注意されていた。

「メロと簡単に会えなくなるの?」
「……そんなこと、ないけど」

 歯切れ悪いメロの返事は、充分に否定を肯定している。

「ナナ、泣かないで」

 目に涙をいっぱいためた私を、苦しそうな表情のメロが宥める。
 どうしてあなたがそんなにつらそうな顔をするの? ナニーの言いつけに背かず、私を追い出そうとしているのに。

 そんな顔をするってことは、メロ。私はあなたの気持ちを確かめたい。
 もう親密に二人だけになることが許されないのなら、この部屋から足を踏み出す前に、今知りたい。
 疑われているのなら、たった今悪いことをしてもいい。

 メロ。

 メロ。

 キスしてほしい。


「メロ、わたし……」
「ナナ、何も言わないで……!」

 核心に触れようとした私を、メロが強く抱きしめる。メロの胸に押しつけられて、私の想いは出口を塞がれてしまった。メロの鼓動が聞こえる。どくんどくんと、大きく脈打っている。
 体を包み込む熱に浮かされるようだ。何もかも捨てて、ずっとこのままでいたい。

 手を滑らせて、優しく、優しく私の肩を持ち、メロが身を離す。それから彼は陶器のような肌に悲しみの色を乗せて、私にひとつ、キスを落とした。
 メロの唇は薄くなめらかで、思いのほか熱かった。
 チョコレートの匂いがしたけれど、それは揺れた髪から香ったものだと思う。近くでみるメロのまつ毛は、透き通っていて綺麗だった。

 生まれて初めて、キスをした。
 それも、大好きなメロと。

 身体の中がかああと熱くなって、これからはどんな顔をして人の前へ出ればいいのか分からなくなる。望んでいたのに、すっかり違う自分になってしまったような、もう二度と前の私には戻れなくなったような罪悪感と妙な衝動に襲われ、頭の中が混乱している。

「悪いのは全部、僕だからね」

 メロは私の髪を優しく、丁寧にひと撫でして、言い聞かせるように言った。
 私の胸を内側から強く叩く、興奮と焦りの入り混じった感情を落ち着けるように。
 ナニーに言えないようなことをけしかけたのは、私ではなくメロの方であるというように。

「Lになったら」
「……」
「大切な人の存在はリスクになる」

 「分かるね?」と付け加えて、メロは名残惜しそうに私の頬からあごまでをそうっとなぞって、手をおろした。

 ああ、私は何も分かっていなかったのだ。
 ほんの一瞬のうちに、メロはそれを教えてくれた。
 強く、そう思った。

 ナニーの言うとおりだ。それに従うメロは正しい。
 私はたった今、何もかもかなぐり捨てて、もう一度メロの唇を味わいたいと思った。
 彼の温度を確かめたい。近付いた時に感じた息遣いも、肌の匂いも、もっと深いところまで、全部知りたい。知りたくなってしまった。

 けれど彼のためにそれは敵わない。
 Lを目指す彼を想う私は、メロの“特別”に、決して名乗り出ることはできない。

「……意地悪な人」

 精一杯の強がりを言って、ドアノブを捻った。

 狡い私は、メロの瞳が揺れるのを無視して部屋を抜け、メロに一切の責任を負わせて廊下を進んだ。


*



 こうして、果実を豊かに膨らませた実りの秋は唐突に終わりを告げた。

 メロは最初の印象通り悪い人だった。
 “そう見える”のではなく、まさしく“そう”だった。

 あの日の秘密は薄れることなく私の心に巣食ってしまった。
 何度振り返っても苦しい。いっそ憎むことができたなら楽だったのかもしれない。
 けれど月日を経ても、私のこの想いが変わることはないだろう。

 彼はまさしく悪い人で、そして正しく優しい人だったと。

わるい人
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