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 俺のせいなのだろうか。

 集中を失った脳の鈍さよ。手元の画面には大きなGAME OVERの文字。ピントがずれて見つけてしまったモニターに映った自分が、想像以上に腑抜けた顔をしていてぎょっとする。惰性で動かした親指により、気の進まないままNEW GAMEが始まる。

 ナナが出てこない。
 作業する俺たちといつも一緒にいるナナが、今日は少し休むと部屋にこもったままだ。昨夜(というより、今朝)、寝るのが遅かったからだと思ってるけれど。

 ……俺のせいではないよな?
 あれから何度も思い返している冷えた明け方の空気が、再々再度脳裏に蘇る。

 ナナと二回、キスをした。

 一度目は何を隠そう自分から勝手に奪ってしまったのだが、二度目は彼女の方から導いてくれた、ような気がしている。が、それが自身の願望から来る都合のいい解釈ではないと、言い切れないのがもどかしい。世の中の奴らは一体どうしているのか。今まで解いたどんな問題より難しい。解釈に時間を要する。慎重に精査せねばならない。
 しかし慎重に考えれば考えるほど気が重くなる。何故なら一度目は、訴えられたら勝ち目がないレベルに自分が悪いから。


 部屋の温度を高めた早朝の出来事。近付く時に見た、瞼を閉じたナナ。ほのかに染まる頬と、近くに感じる肌のぬくもり。触れた柔らかさは、本当に彼女のものだったか。

 何度でも確かめたい。
 でももう、二度と許されないのかもしれない。

 画面に再び現れたGAME OVERの文字。舌打ちをしてゲーム機をベッドに投げ出すと、寝床の持ち主が据えた目でこちらを覗いた。

「負けまくってんな」
「うるせえ」

 俺より忙しかったのに、さっさとシャワーを済ませ必要な睡眠を確保したらしいメロは、何の不足もなく十分に頭が動いているようで憎たらしい。
 寝不足を装って(事実でもあるが)寄りかかったベッドに、頭だけ乗せる。そのすぐ横に、メロが何かを投げてきた。見れば銀色の長方形が目に入る。錠剤だ。


「ニアから預かった。解熱剤」
「は?」

 全くの言葉足らずを、推察する気にもならない。呆けた返事をすると、メロは表情を変えないまま続けた。

「ナナにって」

 その名を耳にしてどきりと鳴った胸を、悟られないよう努力する。

「疲れただけって話だろ」
「熱出てんだろ」
「……えぇ?」

 平静を装ったまま動揺を隠すのに失敗した俺を見て、メロが頬杖をつく。口元を隠すように深く寄せた手の平。指の隙間から、緩んだ頬が覗いているような気がした。


*



 ナナが発熱しているとして。

 知ったならばニアが渡せばいい。
 受け取ったならばメロが渡せばいい。
 わざとらしい二人の策にまんまとのせられながら、廊下を進む。

 どんな視線を受けるか恐ろしくはあるものの、ナナが苦しい思いをしているなら楽にしてやりたいから。これは、ただの親愛だ。そう言い聞かせねば、やっていられない。

 空間を隔てる彼女の部屋のドア。小さく息を吐き、精神統一してノックした。

「はい」

 ドアの向こうにいる見知らぬ誰かに対しても分け隔てない、ナナの優しい声がする。

 やっぱり来て良かった。二人に任せなくて良かった。と、愚かにもそう思う。
 あの甘やかな声に鼓膜を揺らすのは、俺がいい。俺だけであって欲しい。


 さて、ドアの向こうにいたのが自分だと知ったら彼女の声はどうなるのだろうか。
 一抹の不安を抱きつつノブに手をかける。勝負に負けるな、勝機を逃すな。

「よっ、具合どう?」

 平静を保って声を掛けたものの、悲しいかな、俺を見るなりナナはひどく狼狽したようだった。

「マッ……!! げほっ! けほっこほ……」
「ちょっ、えっ大丈夫か。み、水持ってこようか……」

 焦って戻した俺の足を見て、ナナが慌てて両手を振る。

「ちがっ、違うの、むせただけ!」

 そう?と出した声が、あまりに小さくて情けない。けれど、こちらを見るナナが微笑んで肯定してみせたので、俺は救われてほっと胸を撫でおろす。ほら、こんな風に、ナナはいつも尊い。

「ごめんね心配かけて。ほんと、単純に寝不足なだけで他には何もないよ」

 ベッド上で半身起き上がった姿勢のナナが、普段通りの朗らかさで体調を語り、二重の意味で安堵した。後ろ手で静かにドアを閉める。

「ニアが、熱出てるって」
「私が? 出てないよ?」
「……あいつ騙したのか」

 むしろ、訪問の口実をつくってくれたアシストと捉えるべき?
 思い悩んでいたことの多くは自分の妄想であった予感にほっとしつつ、次の話題を急いで探す。
 言葉のないままでは目を合わせていることができず、俺たちは互いに視線を逸らせた。

 ひとたび意識すれば、瞬く間に会話を失って、場が静まり返る。静寂がいやに際立って、耳の奥で鼓動だけが響いている。
 しかしこのまま、黙って立ち尽くしていてはここに来た意味がない。

「……近く、行っていい?」

 勇気を振り絞って問いかけると、ナナは視線を泳がせたまま、こくりと頷いてみせた。
 拒絶されていないことを確かめて進む一歩が重い。今すぐ近づきたい気持ちを抑えて、着実に距離を縮めていく。
 ベッドまでたどり着き、普段よくやるように彼女の足元あたりに腰かける。スプリングに軽く揺らされ、視界にお馴染みの景色が広がったところで、急に緊張が解けた。

「大丈夫?」

 主語をはっきりさせないまま問いかける。
 体調か、明け方のことか、自分がこうやって近づくことか。全部、全部だ。

「大丈夫だよ」

 ほどなくして温和な返事が返ってくる。顔は見えなくても、声の調子で分かる。今朝の出来事は、俺の見た幻ではなかったのだ。
 さっきと同じ沈黙を、今度は味わうように楽しめる。話すことがない時間でも愛おしい。少し余裕の出た指先で不要になった錠剤の角を抑え、反対の手指でくるくると回した。

「それ、」

 ふと俺の指先に目を止めたのか、ナナが問いかける。

「何持ってるの?」

「ああ……ニアが、」

 そう言いかけると、身体が上下に揺れた。もぞもぞと布団から這い出たナナが、膝立ちで近づいて俺の斜め後ろに正座したのだ。急に縮まった距離に、またしても緊張の度合いが増していく。

 ナナは気にする様子もなく手を伸ばして、俺の指先から錠剤をつまみとる。かすかに触れた肌が、過剰な余韻を感じ取って勝手に熱を帯びていく。

「……ニアの意地悪」
「ほんとだよな」

 錠剤を見るなりナナが呟き、俺はそれに同調する。我々は今、仲間だ。

 からかわれた不満を共有しているつもりになっていると、ナナが俺の手を取り錠剤を手のひらに押し付けた。それから握りこぶしを作らせるように、ぎゅっと包み込む。余韻どころではない接触に、感じ入る間もなかった。

「返しといてね!」

 唇を小さくとがらせ、悪戯な目つきでこちらを見上げるナナは、拗ねたようなばつが悪いような顔をする。

「え……あ、ああ」

 一体何が起こったのか把握しきれず曖昧な返事を紡ぐ。その僅かな間、俺の右肩へナナがこてんと頭を寄せた。
今日一日どこかに行っていたはずの集中力が調子よく舞い戻り、全神経が彼女との接点に注がれる。
 こんなナナを未だかつて見たことがない。本当は熱があるのに、無理しているのではないか。

「ナナ、やっぱり」
「熱、」

 語尾を、ナナのはっきりした口調に奪われる。
 察しの良さも、頭の回転も通常通りのようだ。
 寄せられた身体の温度、甘やかな彼女の匂いを実感して、我慢ならなくなる。やはり何度でも、知りたい、確かめたい。

 触れることを許されていると、そう自信を持ってもいいだろうか。

「下げる必要ないから」

 頭をゆっくり傾け捉えた視線の先に、ナナの真っ赤な顔を見つける。そこでようやく理解した。


 ……解熱剤。
 確かにニアらしい、皮肉の効いた差し入れだ。

 それとも茶々に憤慨したナナがこんな風に素直になるのを見越して?
 そう考えると、より「余計なお世話」に感じるものだから俺もどうかしている。
 ニアにそこまで読まれてたまるもんか。今この瞬間のことは、どこまでいっても2人だけの秘密でありたい。

「うん」

 彼女の宣言を静かに受け取り、覗き込んで、自ら確かめにいく。

 じわじわと増していくこの熱は、覚ます必要のないものか。ナナが俺を迎えるように顎を上げる。

 答えは、すぐそこだ。


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