年下彼氏の憂鬱
たったいま。ニアとナナは到着したエレベーターに乗り込むところだ。
今日も機嫌のいい彼女は、絶え間なくスピーディに動き続ける彼の脳に他愛のない話で華麗に滑り込んでゆく。
「そういえばね、この間話してた俳優さん調べてみたら、1991年生まれだって!頼りがいのあるエリート役だったから私てっきり年上かと思ってたけど、意外に若かった!」
さっき見た子猫の毛並みがニアに似ているとかいないとかひとしきり勝手に考察したナナが、エレベーター内へ足を踏み入れながら次に繰り出したのは、先日観たドラマの感想と主演俳優について。
ニアはその様子を冷ややかに観察しつつ、話に夢中でボタンを押そうとしないナナの代わりに操作部へ手を伸ばした。
「……私と同じ年ですね」
1991にエリート、頼り甲斐。いくつものワードを重ねながら何も勘付く様子のないナナにやや呆れ、ニアが差し込むように告げると弾けるように声が重なった。
「ああ!そっか!ニアって私より年下なんだっけ。すっかり忘れてた!」
てへへ、と首を竦めるナナに若干胸の高鳴りを感じたことは伏せておいて、ニアは冷静に続ける。思い通りに促すためには、心を揺らしている場合ではないのだ。
「忘れる…こんなに若々しいのに。あれですね、頼り甲斐が出てしまってましたか」
「……パジャマで何言ってるのよ」
「能力を最大限発揮する為の格好です」
「ふふ、それもそうね!超着心地いいもんねー」
ニアの心のうちに気が付かないナナは、パジャマの着心地を確かめることを口実に彼にぴたりと身を寄せる。
「このパジャマは高級ですから」
「わ、自慢!?」
「自慢ではありません、高給の私には当然のことなので」
「え…自慢しつつ、ダジャレ…?」
まったくナナは男心に疎い。
ニアがダジャレを言うはずがないのだ。
思わずして出てしまったと、ニアが認めるはずもないけれど。
ポーカーフェイスの内側で、自分の話す何の捻りもないつまらない言葉の羅列にさえ、くすくすと肩を揺らす彼女の笑みは格別で、その根源が「大好きな彼の言う言葉だから」であって欲しいとニアは切望する。
世界一の探偵の肩書を得てしても、1991年生まれの男が今密やかにあがいていることをナナは知らない。
「もっと、こう、世界一の探偵・ニアの頭脳を活かした複雑なダジャレ考えようよ!」
面白いことをひらめいたように表情を変え、ナナはまた知らぬうちにニアを惑わせる。
「意義を感じません」
「いや、もし私がダジャレの世界大会に出場することになってさ、ニアの彼女たる人物が
つまらないダジャレで敗退したら見てられないでしょう?」
ニアは僅かな脳内メモリの空きを使って空想に付き合うことにする。
大衆に囲まれたナナが輝いた笑顔で口を開く。「布団がふっ」まで想像すれば十分だった。
「見てられませんね」
「でしょう!?」
俳優の話はどこへ行ったのか。突然頭に割り込んできた挙句、ちりちりと不快感を残したもう一人の1991年生まれの男について、ニアは納得できていなかった。話を戻す必要がある。
「その場合はダジャレ大会を中止させます」
「ええっ!ニアにそんな権限あるの!?」
うふふっと思わず声を上げて笑うナナに目もくれず、ニアはさらりと言い放つ。
「実際ありますよ。裏の手を使ってあなたを優勝させることもできます」
「布団が吹っ飛んだレベルの実力で!?」
「ええ、高級パジャマを着た高給取りのコネクションで」
何気なく口にした言葉が真に迫ることもある。
ニアの勝気な一言に、「わお」と分かりやすくナナはニアに一目置いた。
くだらない空想の話においても、現役・Lの影響力は絶大だった。
二人を乗せたエレベーターは独特の重みをかけて止まる。
「現実に気が付きましたか」
「…エリートで頼りがいのある1991年生まれはもっと近くにいるってこと?」
ニアは開いたドアが急に閉まることのないようにエレベーターのボタンを押し続ける。
彼がこんな風に誰かを気遣うことなど、今まであっただろうか。
「世界一の探偵に世界一大切にされている安心感たるや」
なるほどニアの心の内を十分に把握したナナは、優しく彼の手を取って静かにリードする。
「ニアのやきもちやき」
放たれた声色の柔らかさに、どう言い返しても彼女には包み込まれてしまうと、名探偵は今日のところ口を噤んだのだった。
年下彼氏の憂鬱