導き
「どうでしょう?特にハル=リドナー」つい先ほど見聞きした一連のやりとりが、もう数度目だ、頭の中で繰り返される。
スパイによりこちらの情報が漏れていた。それだけで危険な任務にきっと打ち勝てると鼓舞してきた自信が打ち砕かれそうなのに。
全てを引っ掻き回しているマフィアの手先…目的の為なら手段を選ばないテロリスト・メロ。
彼が私たちに接触してくるのを待つというニアの策についての会話に、またしても消化不良感を残してしまった。
即答したジェバンニ。
そしてニアの、ハルに接触する可能性が高いという推測。
(私も策に乗ると返事はしたけれど)
何か腑に落ちない感情が胸に巣くうのを感じる。
適材、適所。いつも皆がそれぞれの場所で責任と役割を果たしている。とても、重要な。
そこに、私は含まれているのだろうか。
「皆さん、凄い」
特に意識せず口にした言葉だった。だからこそ本心が乗ってしまった。
ハルがこちらの様子を覗き見て、強さを携えた瞳で私を捕まえる。
「ナナも策に乗るって言ってたじゃない」
美しい唇が、確信を持って弧を描いたのを見て、内心の焦りを見透かされてしまったと少し居心地が悪くなる。
「そうだけど、ここまで私は本部でのデータ収集が主だったし…」
「謙遜するところはしっかり日本人なのね。必要のない自己否定は時に気高さを損なうわよ。…それに」
目元のメイクを気にするような素振りで口元をさりげなく隠したハルが、小声で続きを重ねる。
「…ニアが見てる」
ぱっと振り向いて確かにニアの視線を確認した私は、慌てて士気を下げそうな自分の発言に口をつぐんだ。
**
私は、いつもこう。
CIAにスカウトされた時は驚き半分、同時に自分ならできるという誇りも実のところ持ち合わせていた。
実際に諜報員として結構な成果を残してきたし、故にこうやって信頼するハルから声をかけられSPKに属することにもなったのだ。
けれどいつも、いつもこう。
どこかで何かが足りない。
自信
充足感
足りないものをどうしたら埋められるのか、この胸を満たす答えがどこにあるのか。
もはやひけらかすことも叶わないほどの華々しい経歴を辿りながら、自分が此処に留まる意味を依然として見つけられずにいる。
キラを善だとは決して思わない。
断固として止めるべき。
経過を追う限り、キラ事件には知能と感情、どちらも持った「ヒト」が関与していると考えて間違いない。
"止める"ことは不可能ではないはず。
この怪奇じみた状況が、世界を狂わせていくのを阻止せねばならない。
それが私の、嘘偽りのない目的。
しかしどうしても、一歩出遅れる。
肝心なところでgoサインを出せない。
冷静と言えば聞こえがいいが、単に勇気がないだけだ。
答えは首尾一貫しているのに、初動の遅い自分にいつも後悔する。
(そう思ってハルのスカウトには即応じたのに…)
「ナナ、お先に」
書類をまとめながら気もそぞろになっていたところ、突然ハルに肩を叩かれ「はい!」と大きな声が出てしまった。
おかげで他の皆の視線を浴びながら、憧れる女性の後ろ姿を追うことになった。
**
「ニア、本日判明している心臓麻痺の死亡者リストです。死亡経緯に不明点の残る軽犯罪者と、一般検索では情報が手に入らない者にチェックが入っています」
「ありがとうございます」
今は私にできることを精一杯こなせばいい。必要以上に思考するのは止め、集中すること。
そうやっていつものように気を紛らわせてリストを仕上げ、ニアに届ける。
事が起こったのは、いよいよ一時帰宅しようと思ったその時だった。
「では…」
「ナナさん、」
「…はい」
「退屈そうなあなたに面白いものを見せられるかもしれません」
「たいく…そんな」
いつものように謙遜してしまうところだった私の声を、レスター指揮官の叫びが遮った。
「ニア…!」
振り向き目視したモニターの映像に、息が止まった。
「ハル…!!」
ハルがフードを被った男…恐らくメロに、銃を突きつけられこちらへ向かっているではないか。
「入れましょう」
ニアの声に私たちは銃を構える。
空気がぴたりと止まってほんの少しの揺らぎも許されない。
この…命が研ぎ澄まされる緊張感。久しぶりだ。
妙に昂る気持ちを抑えながら隙を許さぬよう開かれるドアを見つめる。
犯人と人質はすぐに入り込んできた。
メロ。
この男が。
蛇を思わせるような三白眼にブロンド。
身体特徴から、ニアが所持している写真の者と同一人物であることはかろうじて判断できる。
しかし顔半分に渡る傷と乱れた毛先が、どこか人懐っこさも滲ませていた写真の少年の印象を覆らせ、この男の冒してきた経緯を生々しく物語っていた。
この男に差し迫っているのは死なのか、生なのか。
分からない。
目が、離せない。
メロ。この男、一体。
三人の捜査官に囲まれていながら何故ニアに銃口を向けられる?
これは勇気?それとも無鉄砲と評するべき?
そうかと思えば不毛な争いを説得するハルの意見に頷き、受け入れもする柔軟性。
メロ…ただ勝負に固執した犯罪者だと思っていたけれど…思っていたのと、違う。
だってそうでなければ…。
どうして、ニアに死神のことを?
時が止まったかのようだ。一部始終を捉えながら、状況を噛み砕くのに頭が追いつかない。
メロ…プロファイリングミス。
もっと激昂して聞き訳が悪く、危険な人物だと思っていたのに。
貫くような実感が身体の真ん中を走り抜けていく。
"これこそ本物の「生」なのではないか"と。
自分の信じた道を迷いなく突き進み、起こったことは全て次の計画の踏み台にしていく。
ミスや想定外など、もはや間違いと認識される隙すらない。
後半、ニアと何を話していたのか、脳がうまく認識できなかった。
去り際の後ろ姿を呆然と見つめながら感じる、強烈な動揺に吐き気がした。
**
メロが立ち去ってまもなく、ハルが私を覗きこんだ。
「ナナ?今日は休んだ方がいいわ」
「いや、私よりハルの方がずっと休むべき…」
どうやら私の動揺は周囲へ伝わってしまったみたいだった。
十分に自覚しながらあきらかに無理をした私の肩を、ハルが力強く押さえる。
「心のダメージは、体のダメージを超越する。それくらい、理解しているわよね?」
切り込まれるように告げられ、私は頷かざるを得なくなる。
「リドナーの言う通りです」
こちらを振り向かないままのニアにも重ねて告げられ、相槌の声を出すこともできなかった。
**
逃げ去るように支度をして、SPK本部のあるビルを飛び出した。
厳しく冷たい風が頬を刺し、みじめな想いがひときわ増すようだ。
メロと実際に接触し、本部まで行動を共にしたハルを残して何故私の方が一時帰宅しているのか。
緊迫したあの瞬間、私は何をしていた?
ニアを、SPKを守ろうとしていただろうか。
メロに、見惚れていたのではないか。
認めたくない事実に抗う胸が苦しい。
こんな中途半端な私に、キラ等止められるはずが…
「……!」
訓練は物を言う。
これだけ狼狽している私にも気配を察知するだけの力は、かろうじて残っていたらしい。
背後にただならぬ空気を感じて振り返った私は、我が身を散々揺らした例の男を目視することになった。
「メロ…!?」
生垣の影に紛れビルの壁に背を預けているその体は、近くでよく見ると思った以上に細身だ。
しかし似つかわしくないギラギラした目つきで、こちらの様子を寸分逃さず観察しており、正面からぶつかった視線にあっと声が漏れそうになる。
美麗であったであろう顔貌を穢す生々しい傷跡。臆面もなく曝け出しているのは、この男にとってそんなことは取るに足らないことであると示している。
「ナナ、」
私の名前を把握済み…。
殺されてもおかしくなかったのに生き残ったのは、きっとたまたま。
ハルに接触できなかった時の保険程度の、私。
「俺と一緒に来い」
突拍子もない発言に耳を疑った。
「何を…!?どうして私があなたと」
誰がどこからどう見ても、精一杯の抵抗を示して見えるよう振る舞わねば。
…でもどうして、そんな演技じみたことを考える?
「お前は役に立つ。ニアにやるのは惜しい」
「やるって…私は元々こちら側のにんげっ」
黙れ、と腕を掴まれてからのことはひどい混乱でよく覚えていない。
触れられた肌が熱くなって、鼓膜に響く声に抗う力を失ってしまった。
バイクの後部座席などいくらでも逃げようがあるのに。
生まれて初めて、本能の赴くまま足を踏み出してしまったのだ。
一歩踏み出してしまえば、タガが外れたように溢れだす熱情を再び抑えることはできない。
形だけの弱い抵抗を握りつぶしていくメロの手に引っ張られるまま、座席に跨り一瞬の間に強く吹き出した夜風に溶けていく。
ナナはある夜の一時帰宅時、忽然と闇に消えたのだ。
コートについた埃の匂いだけが鼻をかすめる。異臭を放っているかと思われる風貌からは意外なほど淡白な匂い。
この状態でなお保たれている高潔さと荒れた髪…かつてはニアと同じ孤児院で、同じような立場でいたメロ。当時はきっと、写真のイメージ通りの人物だったのではないか。
彼だからこそ出来ることがある。彼でないと成し得ないこともあるだろう。
視界の端で揺れるネオンに紛れ、そんな考えが頭をよぎった。
一体私はどうなるのだろう。耳を抜けるびゅうびゅうと強い風の音の合間、混乱のピークを過ぎ、最初にSPKが思い出された。
裏切り者として追われるだろうか…ちらりと頭をかすめた時、ハルのことが思い出された。
彼女はメロと、既に接触していたのだ。
"私は誰の味方でもない、ただキラを捕まえたいだけよ"
そう、ハルはいつも言っていた。言葉通りの柔軟な行動だ。柔らかいものは折れない。しなやかさは武器。
この男…メロも、ニアと同じ。立場や手法が違うだけ。
そして私も、キラを捕まえたいだけ。…ならば。
メロだからこそ出来ることがある。メロでないと成し得ないこともあるだろう。
つい先ほどと同じ考えが、重さを増して胸に宿る。
「…いいか、決して言い訳をするな」
夜風と共に聞こえてきたメロの声に、私は真に覚悟を決め、こくりと深く頷いたのだった。
導き