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catch!catch!catch?
「ナナさん、至急こちらへお越しいただけますか?ニアが怪我をしました」

ハウス用PHSにリドナーからの着信を受けたのがつい5秒前のこと。

「えっ!怪我ですか?すぐに行きます」

下げようとしていたトレーをテーブルに置き直し、エプロンの紐に手をかけたのが3秒前のこと。

「あ…はい、分かりました。
ナナさん、ニアが人に気付かれぬよう来て欲しいと」

電話口の向こうで誰か(恐らくニアに)相槌を打ったリドナーが、私への用件を追加したのが1秒前のこと。

「…ぇ」

目の前のテーブルで茶菓子の取り合いをしていた3人と視線を交えたのがたった今のこと。


catch!
catch!
catch?



「何?ニアが怪我って珍しいじゃん」

マットが身を乗り出すと、その隙をついてマットが確保しておいたケーキをLが口に放り込んだ。

「ナナさんの気を引こうとひてひるだけかもひれまへんよ」
「ん?…あ!L!俺の食べた!?」

Lの妙な発音を怪訝に思って振り向いたマットが咀嚼されゆく自分のケーキに気がつき悲鳴をあげる。Lが悪びれない様子で返事をした。

「いえ。ここにあったものをいただいただけです」
「だからこれ俺の皿じゃん!」
「マット…もう少し静かに話せませんか」
「人のもんとっておいてそれかよ!」

二人の会話を呆れて見ていると、板チョコをかじり訝しむように呟いたメロの声が耳についた。

「リドナーがかけてきたってことはニアの自演ではないな。何やったんだ、あいつ」

確かに…発言を受けてより心配になった私はメロに目配せし、急いでニアの部屋へ向かった。


*


部屋の中へ入ると、場を包んでいたのは異様な緊張感。室内にはSPKの三人しか見当たらず、それぞれが持て余したように立っていた。

「ニアは…?」
「手首を軽く捻挫してしまったようです。テーピングをしたので数日で回復するとは思いますが…」

ジェバンニがすぐに状況を伝えてくれ、その口ぶりと内容に少し安心する。緊急の電話がかかってくるなんて一体どうしたのかと思ったけれど、大きな怪我ではなさそうで、ひとまず良かった。

「着替えが必要だったのでナナさんを呼んだのですが…すみません、私が最初に他言しないようお伝えしなかったので…」
「?」
「ニアが余計なことはしないようにと…。今はプライベートルームの方で休んでいます」

気まずそうにそう告げたリドナーに、第一報時「怪我ですか?」と大きな声を出してしまった自分の方こそ申し訳なくなる。

「ごめんなさい!私、うっかりしてしまって…ニアにはよく伝えておきます。ちょっと見てきますね」

今日は切り上げることになった三人にお礼を伝え、すぐにプライベートルームへ足を進めた。
不機嫌なニアが待ち構えているかと思うと、すこし気が重い。


*


「ニア、私。…入るよー?」

ノックしてドアを押し開ける。徐々に広がる視野が、ベッドに腰掛けてシャツのボタンを閉めているニアを捉えた。

「あれ、思ったより平気そうだね」

新しいシャツに着替え、片手で上の方まで順調にボタンを閉めることに成功しているニアに拍子抜けしてしまった。

「大げさなんです。特に手は必要ありませんからナナも戻ってください」
「まあ。せっかく来たのに」
「…三人が待っているでしょう」
「…あ」

ニアは直接通話していないものの私がつい言葉を漏らし、L、メロ、マットの三人に怪我を知らせてしまった状況を理解しているようだ。…これはまずい。

「はじめに口止めしなければ、話というものは誰に聞かれるか分かったものではありません」
「リドナーは悪くないのよ、私がうっかり声に出しちゃったの」
「分かっています。あなたの脇の甘さ、リドナーには想定外だったことでしょう」

嫌味ったらしくそうこぼすニアに、若干の苛立ちを覚えた。

「何よ、私の口が軽いみたいに」
「事実軽いです」
「い、いつも軽いわけじゃないよ!ただ、さっきは…心配で声が出ちゃっただけ」

そんなこと、滅多にないし、驚いたし、とにかく焦ったの。

でもニアは自分の弱った部分を三人には知られたくなかったよね。
悪気がなかったとはいえ結果好ましくない状況を作ってしまったことに、言い訳したものの申し訳なくなる。私が意識して電話に対応していれば今の状況が避けられたのは確かだ。

しゅんと落とした目線の向こうで、ボタンを止めるのを中断したニアが、立てた膝へ無造作に手を置いたのが分かった。

「…ごめんね」

落ち込みながら静かに謝ると、ニアの方も口を開いた。

「いえ。ナナの口を軽いと思っている訳ではありません。…すみません」

膝から上へ移した指先で髪の毛をくるくると捻って、ニアは棘のあった前言を撤回してくれる。
考えを巡らせる時のその癖から、言い過ぎてしまったと自覚したのが漏れ伝わるようで、ニアの分かりづらい優しさに自然と頬が緩んだ。

「…貸して!」

気を取り直してニアの元へ駆け寄る。ぐっと近付いてボタンの続きを引き取ると、首元のボタンを閉めるためニアが顔をそろりとあげた。思わぬタイミングと距離でぱちり目が合い、私は不自然に視線を横へ逸らしてしまう。

「ありがとうございます」

利き手でいつものように髪を弄れないニアは、反対の手で頬を軽く掻く。ボタンを閉め終えた私は穏やかな沈黙に心地よく身を任せながら、ニアの隣に腰掛けさせてもらった。

「手伝うことあったら何でもやるから言って?」
「…何でも」
「…いや、できる範囲でしかやらないけど」

天才相手に何気なく言葉を放つとどう悪用されるか分からない。予防線を張りつつ、"何でも"と言ったらニアが何を望みそうか考えて、身震いにも似た思いになる。なんて、それはそれできっと楽しいのだけど。


思えば二人きりでこんな風に過ごすのは久しぶりだ。最近ずっとSPKのみんなが来ているか、そうでなければニアはLと何か共同で調べてばかりで、ゆっくり時間を共にするタイミングがなかった。
こんな機会でもないとくっつけないので、ずいずいと体を横にずらしニアの側面に張り付いてみる。

圧迫に気がついたニアはちらりとこちらを確認し、それからふわりと私の頭に顎を寄せてくれた。動かせる方の腕を圧迫しているからきっと手持ち無沙汰だ。髪を弄りたいんじゃないかな、と思うと甲だけで触れる手が愛おしい。

あぁ、あったかい。寄り添ったニアのからだ。

日向ぼっこしている気分。


ところが静かに二人で寄り添っていると、こう、何だか、ムズムズしてくるような。
だってこんなに近くにいるんだもん。
せっかく、こんなに近くにいるんだもん。

伺うように上目に覗くと、ニアも同じことを思ってくれていたみたい。傾げた首が角度を変え、柔らかな体温がこちらに降りてきてくれた。

ニアの唇を迎えに顎を上げたその時。


「ニアーー!マット様が差し入れ持ってきてやったぞ!」


ドアを叩く音がして私達は慌てて顔を離した。

「…そこに置いておいてください。では」

限りなく抑揚のないトーンでニアが言い切ると、マットがドアを開け割り入ってくる。

「せっかく持ってきてやったのになんだその態度は」
「頼んだ覚えはありません」
「そんなこと言っていいのかな〜?…ほれ」

自信ありげに振る舞うマットがもったいぶって吊るしたのは、クッキーの入った透明な袋。中からアイシングで描かれたロボットがこちらを覗いている。

「あ!マット!!それ私がニアに渡そうと思ってたクッキー!」

「もう少しでLに食われるところだったぞ」

わざとらしく脅かすような顔を作ったマットは憤慨する私を通り越し、ニアに歩み寄ってテーピングの手元にぽとり袋を落とす。

「これでも食って元気出して♪」
「…だから私が作ったんだってば」
「持ってきたのは俺!」
「渡したかったのは私!」

「…ありがとうございます」

マットと小競り合いをしていると、静かなのによく通るニアの声が響いた。袋を摘み上げしげしげ眺める様子を見るに、ウケは上々のようだ。

「じゃ!あとはゆっくりちちくりあって楽しんでくれ」

さっさと部屋を出ようとするマットを慌てて追いかけた。一応、お礼はしないとね。

「マット!ありがとね」
「…どーいたしまして」

ニヒルな笑みで礼に応じたマットは、すぐにその顔を崩してため息をついた。

「あーあ俺も女の子とキスとかしてぇ」
「キ…!気付いてたんだったらタイミングくらい見計らってよっ」
「だから二人ばっかにいい思いさせるか、というタイミングをバッチリ読んだんだよ…うぁっ!イテッ!!」

余計なことを言うマットの背中を叩いて部屋から追い出す。
「悪趣味!」と悪態をついたところで小箱を持ったLが向こうからやって来ることに気付いた。

「クッキーが一枚行方不明になりました。知りませんか?特にマット」
「え…知らない」

まだ悪びれずにいるLと、その場を離れたそうなマット。私はその間に入り、甘党名探偵の説得を試みることする。

「…L、ニア用のクッキーなら部屋にあるけど」
「ああ、それですね」
「あれはニア用なの。もう沢山お菓子食べたんだから、諦めてください」

Lを簡単に説得できるわけがないとは思っていたけれど、あっさり。肩を掴まれ滑らかに横へ移動させられたと思ったら、言い終わらないうちにLは室内へと進んでしまった。

すぐ横でマットが「容赦ねえな…」と呟き、私はそれにしかめっ面で応える。

「まぁ、本当には取らないでしょ」
「俺のケーキは取られたぞ」

ゴーグル越しに嘆いた目と視線がぶつかり、先ほどの災難を思い出してつい笑ってしまった。


ニアの正面に椅子を引きずり、ひらりとそこに収まったLは早速ニアに交渉を持ちかけている。

「ニア、タダでとは言いません。そのクッキー、この中にあるケーキと交換しましょう」
「お断りします」

即座に言い切るニア。Lは指を口元に運ぶ。

「箱の中身を確認しないでの判断は早計だと思いませんか」

探偵としての先輩風を吹かせるLに挑発され、ニアが箱に視線を落とす。

「はい、こちらです」

Lが開けた小箱の中には至って普通のショートケーキが入っていた。至って、普通。

「L…お気遣いには感謝します。が、このクッキーは渡せません」
「まぁ、そんなところですかね。ではこちらのケーキはいただきます」

ニアの重ねての言葉に、思いの外あっさりとLは引き下がった。マットが横でずるい、という表情を浮かべている。
待ちきれないのかその場で箱の中身を手づかみで持ち上げたLは、ぺろりとショートケーキを平らげてしまった。

「今日のニアは遊び甲斐がないので」

Lはつまらなそうにそう言うとケーキの入っていた小箱をサイドテーブルに置き、「私はこれをここに忘れて失礼するとしましょう」と椅子から飛び降りた。

「あれは"忘れる"じゃなくて"捨てる"だろ」
「うん」

ドアの影から二人の様子を伺いマットと小声で会話を交わしていると、Lが突然振り向きこちらへ向かってきた。こわい!地獄耳!

「マット、意見があるなら聞きましょう。私の部屋へどうぞ」
「えっ!ないない!」
「遠慮しなくていいですよ」
「うわっメロ!助けて!」

Lの自室へ引きずられていくマットを見ていると、入れ替わりにメロがやってきた。

ニアの部屋に入るかと廊下に立ったままメロを待つと、やってきたメロは少しの間を置いて、突然ニアの部屋のドアを蹴り閉めてしまった。

何もドアを蹴らなくても…と思い見つめると、非難がましい視線を受けてメロが釈明した。

「あいつも俺に見られたくはないだろ」
「…あ、そっか」

ニアのことを考えての行動、遅ればせてメロの優しさに気がつく。

「使え」

差し出された袋にはテーピング用のテープとネットが入っていた。

「ありがと…あれ?何で捻挫のこと知ってるの?」
「医務室に行ってきたんだが」


メロの話を聞き、事の真相がハッキリした。

ニアが手首を捻挫したことは理解したけれど、何故捻挫したのかは分からないままだった。

医務室にメロがこっそり入った時、膝を擦りむいた女の子が一人、処置を受けて休んでいたそうだ。

教師に状況を聞かれた彼女がこう答えていたらしい。

「本当は全身怪我しそうな勢いで転んだけれど、近くにいたお兄さんが支えてくれたから膝をついただけで済んだ」と。


「花壇の近くだと」
「あのニアが?女の子助けようとしたの?」
「さぁどうだか。俺には知ったこっちゃないが」

メロは視線をドア下へ向けて続ける。

「衣服に土が付いていたなら可能性は高いだろうな」


ドアの外に避けておかれたシャツ。メロにつられて見てみると、ところどころに茶色い汚れがついている。

「…わ、惚れ直しそう」

きゅんと胸が締め付けられ思わずそう言うと、呆れた顔をしたメロは「…本人に言えよ」と捨て台詞を吐いて行ってしまった。


*


「ニア、メロがテープ持ってきてくれた!」
「…そうですか」

部屋に戻ってニアに告げると髪を弄ろうとしたのかいつものように右手が上がる。しかし、テーピングを思い出したのかそれはすぐに下げられてしまった。

ベッドへ向かう途中でサイドテーブルが目に入りため息をつく。

「もう!L、ゴミくらい持ち帰って欲し… …ぁ」

Lいわく"忘れ物"の箱を処分しようと持ち上げ、その重さに文句を言う口が固まった。

中を覗き引かれていたナプキンを避けると、その下から沢山の保冷剤が現れた。

「…わ。L、ごめんなさい」
「さすがにLが意味もなく忘れ物をする訳はないでしょう」
「そっか、そうだよね。後でお礼しなくちゃ…!」

最後の切り札のスマート(?)な差し入れに、全く気がつかなかった私は、午後にクッキーを作る時間があるか急いで算段する。

「ではありがたく使わせていただきます。はい、手首出して!」
「…ありがとうございます」

私はまたニアの左隣に腰を下ろし、添えられていたガーゼで保冷剤を包む。それを持ち上げたニアの右手首にそっと当てた。

大人しくされるがままにするニア。
手を押さえ続ける私。
無言が続くとつい先ほどメロから聞いたことが、うずうず、言いたくてたまらなくなる。

「ニア、あのさ…女の子、助けたの?」
「…あぁ、」

平静を装ったニアは何かを思い出したみたいにそう呟く。平静を装った、と感じるのは私の隣にある左腕がかすかに持ち上がりそうになったから。

「花を庇っただけです」
「またまたぁ!」

倒れる女の子に手を差し出すニアを想像すると、こんなにも胸が熱くなる。優しい、紳士なニア。直接見てみたかったなぁ。

「ナナに花を持ち帰ろうとしたばかりにとんだ災難に遭いました」
「えっ!花!?私に…?」

ニアがそんなことを考えてくれていたなんて、信じられない。
女の子を助けた以上に思いもしなかった展開。
嬉しくて、照れ臭くて、口元が緩んでにやにやしてしまう。

「ニア〜ありがとう。気持ちだけで嬉しいよ〜」
「その上邪魔も入りますし。最悪です」

だから彼らには知られないようするべきだった、と不機嫌を隠さないニアがぶつぶつと不満を漏らすのを、何とも言えない気持ちで見つめる。
そんなこと言っても嬉しいくせに。
そんなこと言っても、みんなのことが好きなくせに。

そしてみんなもそんなこと言うニアのことが結局なんだかんだ…

「好きなのよ、みんなニアのことが。お見舞い来てくれて良かったじゃない!」

肩でニアを押すと、天才が含むように復唱する。

「みんな、私のことが」

ニアは言葉を使って誘導するのが上手。

「そう、みんな!」

自信を持ってそう返す私に、横に座ったニアが突然間合いを詰めてきた。


「みんな、ということは」


天才相手では何気ない言葉だってどう使われるか分からない。

…敵わないな!言葉を求められたら、惜しまずに出してしまえ。

「もちろん私も!ニアが大好き」

頷くと、私の後ろについたニアの左手がベッドを軋ませた。
右側に軽く傾く力に身を任せ、今度こそ重ねられた唇にやっと二人の距離が0になる。

顔も胸も暖かくなる。保冷剤を持つ指先だけが、ほんのりと冷たかった。


ニアの手首、早く治るといいな。

でも少しの間だったら、こういうのもいいかも。とよこしまな考えがちょっぴり。

だっていつもよりずっと、近い距離にいられるんだもん。


「早く治るといいね」
「それ、本心ですか?」
「うーん、8割くらいは!」


catch!
catch!
「ところで何の花を取ろうとしてたの?」

catch?
「ハエトリグサです」
「食虫植物…!」

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