みる見る、募る
欲求不満。いや、
…ヤキモチ?
空になったティーカップを下げながら、ここのところずっと胸に宿り続けるモヤモヤの正体が分からず、私はひとり悶々としていた。
ちらりと視線を送った先には"竜崎"の姿。
竜崎、りゅうざき、りゅーざき。最近ずーっと竜崎としか呼んでいない。Lって、早く呼びたい。
たまには二人きりになって話したいのに。
"欲求不満"なんて不埒な四文字が浮かんだのは、あの憎っくき邪魔者が目に入ったから。
横に立つ月くん
ではなく、彼と竜崎の間にある
"手錠"。
あの手錠で二人が繋がってから、私とLは全く接触できなくなってしまった。
それはそうだ、事件の解決が最優先。そして互いの身の安全を守ることだって欠かせない。
よく納得して覚悟していたはずなのに。
「撮影終わったよ〜たっだいまぁ〜!!」
元気よくミサさんの声が響いて、欲求不満ののち、ヤキモチかと思い至った。
「ライトぉー!会いたかった!」
悶々とする私を背に、大好きな人に抱きつけるミサさんが羨ましい。
…それに。
「竜崎さん、もう少しあっち行ってくれます?」
「既に最大限離れています」
「ああ!この手錠!じゃーまー!」
「痛いですよ押さないでください」
月くんとの間に割り入ってLとミサさんが押し問答している。気軽にLと話せて触れ合うことのできるミサさん、羨ましい。それに…Lが至近距離で"ミサミサ"の魅力にやられてしまわないか、少し心配でもある。
いかんいかん!思いついて反射的にブンブンと頭を振った。Lは好きでああしている訳ではないのに、私がこんなことを思ったらダメだ!
しゃんと気持ちを入れ替えた視線の先で"L"と目が合った。思うように触れ合えない今はそれだけでも胸がときめく。
見つめ合うことができなくたって、微笑みかけることが許されなくたって。監視対象ではない私を見る行為は、"竜崎"には必要のない作業。そこに存在するのは"L"の意思だけなのだから。
*
「ねぇナナちゃん、王様ゲーム付き合ってくれない?」
「えっ!?」
午後のスイーツを出す準備をしていたら、突然背後からミサさんに話しかけられ思わず大きな声が出てしまった。
「しーっ!だってね、ライトがここに来てから全然キスしてくれないの。おかしいんだよ」
「で、でも王様ゲームって…?月くんとキスする流れを作るってこと?」
「そう!ふふふ」
「難しくないかな…?」
もし王様になれたとしても月くんの番号が分からなければ命令が出せないし、王様がキスの命令を出したとしても違う人とすることになる場合だって…
「いいの!その時はほっぺにちゅーとかで誤魔化せばいいんだから!何度かやってれば当たるかもしれないでしょ?
そうしたら…ライトも空気読んでキス、してくれるかもしれないから…」
揺らいだ瞳を横に流してもじもじするミサさんを見て何だかとてもいじらしく感じる。そっか、ミサさんもこの状況に悶々としている一人なんだ。
うう、協力したい。でも、もしLとミサさんがキスすることになったら?…とか。考えると心配だし…。
「えぇ〜っと…どうしようかな」
「決まりね!」
「えっ?」
「皆さーん!今から王様ゲームするから、集まってくださーい!」
私を待たずニカッと笑ったミサさんはおもむろに大きな声をあげ、みんなに集合をかけてしまった。逃さぬよう掴まれた手をミサさんに引かれるようにして、私も捜査員の休憩場所までたどり着く。
「王様ゲーム?」
「そんなことをして遊んでいる暇は…」
夜神局長が渋い顔をする。渋い顔をされることは想像した通りだけど、王様ゲームを知っているんだ、と変なところで感心してしまった。
ピリリとしたムードにいたたまれずにいると、そこに聞き覚えのある声が響いた。
「…いいんじゃないですか」
がやつく場を静まらせた一言に心底驚いた。L。Lがまさかゴーサインを出すなんて!
「私も煮えきっていてつまらないので、気分転換でもしましょう。全員参加です」
Lがふわりと椅子から降り、近付いてくる。
「わーっ竜崎さんいいの!?」
「しかしあくまで気分転換です。くじ引きは面倒なので一回のみ。数回命令が済んだら終了しますが」
「いい!いい!じゅーぶん!」
細かくつけられた条件をもろともせず飛び跳ねるように喜ぶミサさん。
ポジティブな彼女にポケットへ手を突っ込んだままのLが忠告する。
「人数が多いのでミサさんが月くんとキスできる確率はかなり下がりますよ」
「な!何よ!愛の力で引き当ててみせるもーん」
「私とすることにならないようせいぜい頑張ってください」
「ゲッ!!」
開けた口を歪め堂々と嫌そうな顔をするミサさんに苦笑いしてしまった。私はミサさんが嫌がるその人と、こんなにキスしたいのになぁ。
*
「では始めましょう。ワタリがくじを用意したので端から一人ずつ引いていってください」
「はーい!」
「何だかドキドキするなぁこういうの!」
嬉しそうなミサさんと、わくわくした様子の松田さんがワタリの差し出す数字の書かれたスティックを引いていく。
「竜崎…何か企んでる訳じゃないだろうな」
「いえ、企んでいるのは私ではなくミサさんの方です」
怪しむ月くん、それからLもくじを手にする。
士気を上げる為だと自らを納得させていた夜神局長、模木さんも引き、最後に私も…。
「あれ?一本多い…?」
「おや、数を間違えてしまったようです」
ワタリが困ったように呟くと、早くゲームを始めたいミサさんが声を上げた。
「じゃーワタリさんも一緒にやりましょ!ねっ!」
みんなの前で強引に誘い込まれ、「そ、それでは私も失礼いたします」とワタリが最後の一本を手に取った。
「王様だ〜れだ!」
ノリノリのミサさんと松田さんの声が上がり、場内に妙な緊張が走った。私の取ったスティックに書かれているのは数字の4。うう、どうか変な展開になりませんように…。祈りを込めて息を止め、静かにその時を待つ。
「…はい」
驚いたことに王様のくじを見せ名乗り出たのはワタリだった。ワタリが王様!何だかちょっと面白い。これなら無茶な要求をされることはなさそうだ。そう思うと一気に気持ちが楽になる。
ところが安泰、とはいかなかった。
ちょっと安心したところで、ミサさんの方がワタリに無茶な要求を始めてしまったのだ。
「ワタリさん!命令は全部、"キス"でお願いします!!」
「ええっ!?」
松田さんや月くん、そして夜神局長までもが大きなリアクションをした。模木さんは時が過ぎるのをただ待っているように固く口を閉じている。
「いえ、しかし…」
「だってこのゲーム、ワタリさんが数回命令したら終わりなんでしょ?全部キスで!」
「いいんじゃないですか?面白そうです」
ワタリがせっかく遠慮しているというのに、またしてもLが意外な乗り気を見せ、心の中でひっそり疑わしく思えてきてしまった。何よ何よ、もしかしてミサさんにキスしてもらいたいとか思ってる訳じゃ…?
それ以外にこの展開を喜ぶ理由が見出せない。ミサさんの隣に座る松田さんなんて、可能性に期待して既にデレデレしている。
むっとしながらLと目が合うと、すぐに逸らされてしまった。
「で、ではそういうことに致しましょうか」
Lの声にワタリが折れると、ミサさんが両手を上げて喜んだ。
「わーいっ!竜崎さんナイスー!」
「アイドルからキスしてもらえるチャンスですから。私、頑張ります」
「ゲッ!!竜崎さん、キモいよ…」
*
「さてそれでは…2番と3番のお二人、お願いします」
いよいよ始まってしまった王様ゲーム。
お願いしますという命令も不思議なもんだなと思いつつ、4番の私はほっと胸を撫で下ろす。
いや、待って。
Lとミサさんが該当していたら…。逸る心で名乗りを待つと、ニヤけた松田さんが「はーい!僕、2番です!」と大きく手を挙げた。
「3番は…?」
緊迫感に場が静まり返る。緊張を破ったのは青ざめた夜神局長だった。
「ええっ局長が3番ですか!?」
「だから私はやりたくないと…」
「僕…てっきりミサミサかと…」
夜神局長を前に渋る松田さんに、非情にもLが追い討ちをかけた。
「早くしてください。さっさと次にいきたいんです」
「そーだそーだぁ!」
今や協力関係のようなLとミサさんの声に、松田さんは渋々夜神局長の頬にキスをした。
「きゃーーっ!」
「局長…失礼しました」
「…」
げっそりする二人を前にミサさんが声を上げる。私も口元を押さえ、笑ってしまいそうなのを頑張って堪えた。Lも指をくわえ、「なかなかいいものが見れました」と満足げに呟いていた。
「えーと…では次は、5番と7番の方…」
「ごばん…だれ!?」
鋭い視線でミサさんがキョロキョロし始める。
少しの間の後、「僕だ」とこのゲームにおける本命の月くんが5番のスティックをみんなに見せた。
瞬間「いやったあああーー!!」と叫び声が響き渡り、ミサさんが勢いよく月くんに抱きついた。
どうやらミサさんは7番だったらしい。
なんて引きが強い…。執念で引き当てたミサさんをこっそりと祝福しつつ、二人の動向を見守る。付き合っているはずなのにあまり乗り気ではなさそうな月くん。人前だからなのか、意外とシャイなんだなぁ。
唇を突き出すミサさんの肩を持った月くんの姿を、残りのメンバーで穴が開くほど見つめる。私は夜神局長の反応も気になってついついそちらにも目がいってしまうけれど(夜神局長は顔を抑え、頑なに見まいとしていた。覗かないところがさすが)。
「ちょ、ちょっと…やりづらいな」
「いいからー!んー!」
指先を胸の前で組み目を瞑って待つミサさん。ちらりとギャラリーを確認した月くんは覚悟したように目を瞑ると、そっとミサさんの鼻の頭に口づけてみせた。
「きゃあ」
一人、思わず私が声を出してしまった。美男美女カップルのキス、唇同士ではなくてもドキッとしてしまう!
当の本人であるミサさんは「えへへ」と嬉しそうにはにかんでいる。口じゃなきゃ嫌だとワガママを言うかと思ったのに、本当に月くんが好きなんだ。ほんの少し鼻の頭に触れられただけでも、嬉しくて赤くなってしまうくらいに。
…いいなぁ。見ているだけで少し欲求不満が解消される気分。
だけど、まだ緊張は続く。命令はあと一回、残っているのだ。
「さぁ松田さんと夜神さんの団結力も上がり、ミサさんが月くんと接触するという目的も無事果たしたので次で終了にしましょう」
「はい。えー、では…」
Lの掛け声に、目的を果たしたならここで終わりにすればいいじゃないと思ったその時、心臓をぎゅっと鷲掴みにされるような一言が聞こえた。
「4番と」
4番。
私…。
「6番の方」
急激に心拍が上がる。6番、模木さんかLのどちらか。模木さんと挨拶程度のキスくらいだったら…い、いやいや、ここは日本よ、そんな、Lの前でできない。Lとだってみんなの前でする訳には。あああ…。
「だーれー?4番!」
こちらの気も知らないで、満足ご機嫌なミサさんが早く名乗るよう急かしてまだ名乗っていない三者をぐるりと見回す。
「わ、私です…」
白状するとミサさんが歓声をあげた。
「わあ!ナナちゃん!?きゃ〜!6番は!?誰?誰?」
震える手でスティックをテーブルに置くと、同時に6番のスティックが飛んできた。
「私ですね」
「きゃーー!りゅーざきさん!?」
「えっ竜崎ですか!」
興奮して声を上げたのはミサさんと松田さん、だけど他のみんなもちょっと興味をひかれているようだ。とりわけ巻き込まれるのを免れた模木さんの表情が明るい。
あの竜崎がキスする姿、そりゃ気になるだろうけど…。
しかし相手は私。どんな風に構えればいいか、どう反応すればいいか、皆目見当がつかない。私たちの関係がバレてもいけないし、かといって場が白けてしまうのも気まずい。
必死に考えを巡らせていると、Lがゲームのルールを根底から覆す一言を堂々と言い放った。
「人前でキスなんてできませんよ」
「えー!りゅーざきずるーい!しなさいよ〜」
ミサさんが不満げな表情でLを強く非難し始め、月くんと松田さんもそれに続く。
「そうだぞ竜崎、僕だってしたんだから」
「それを言うなら…僕なんて局長と…」
苦々しい顔をする松田さんを前にしても、Lは悪びれず断固として姿勢を崩さない。
「絶対に嫌です。しません」
なんか…。
そりゃ人前でなんてしたくないけれど、そうまで言われると私もちょっと切なくなってきてしまう。何、ミサさんじゃなくてがっかりした?久しぶりに近くにいけるチャンスでもあったのにな。
けどまぁ、確かにみんなの前ではできないか…。
少しの安堵感、そして妙ながっかり感を隠し黙って様子を見ていると、ミサさんが食い下がった。
「じゃあほっぺでもいいからー!ねぇ?ナナちゃんもほっぺならいいでしょ?」
「い、いえ私も…恥ずかしいですし」
「そんなのずるーい!絶対して!」
ブーイングが盛り上がる場の中で、Lが渋々近くのテーブル上に置いてあった畳み途中のクロスを一枚手に取った。そしてそれを広げながらこう提案した。
「分かりました。これを被っていいならします」
「え〜、それ食卓用のテーブルクロスじゃないですか。そんなに大きいの被ったら見えないですよ〜」
つまらなさそうに言う松田さんの声と、それを掻き消す「それでもいいよ!ナナちゃん、ちゃんと報告ね!!」と放ったミサさんの声が重なる。
「え!?えーっと」
返事に戸惑っているうちにLがひょっこり、私の掛けるソファの空いているスペースに飛び乗ってきた。反動で沈む体の中で、揺らされるように心臓も跳ねる。手錠につられるようにして月くんがソファ横に立った。
正面から向かい合ったLが、他人行儀に話しかけてくるのを他人行儀に聞く。
「面倒なことになりましたがこれも自分で蒔いた種です。ナナさん、こうなったらさっさと終わらせましょう」
「は、はい…!」
みんなの視線を浴びながら頷くと、Lが厚地のテーブルクロスをばさりと広げ、ひらりと舞わせて二人の身を包むように被せた。
あっという間に視界が白に覆われる。
横にも、背景にも邪魔なものは何もない。久しぶりの、目の前にLだけを捉えられる視界。
ゆっくりと目を合わせる間も、意思を疎通させる間もないまま、すぐにLの熱が近付いてきてあっという間に唇を塞がれた。
思わず手が上がると、クロスの中で強く手首を握りしめられる。
甘く、熱いキス。久しぶりのLの熱が、唇を通して伝わってくる。鼻をくすぐる綿あめみたいな甘い匂い。
Lは掴んだ私の手首を親指で優しくなぞると、すぐに唇を離した。それから重ねるように口の横にもう一度ちゅっと小さくキスを残し、さっとクロスを取り払った。
「ナナちゃん!真っ赤!!」
視界が開けてすぐ、松田さんとミサさんが声を合わせてそう叫んだ。
「竜崎…まさか口に…?」
月くんまですかさず質問を重ねる始末。
「する訳ないでしょう、手の甲に軽くしただけです」
呆れたような視線で月くんを一瞥したLがこぼすと、ミサさんが身を乗り出して聞いてきた。
「ナナちゃんホントッ!?手の甲だけ!?」
「え、えぇ…まぁ…。そんな感じです…」
ぼんやりした頭で何とか答えながら、私は顔の周りに残ったように感じるLの匂いに酔いしれ、最後に落としてくれたじんじんと熱い唇の横にそっと手を添えてしまった。
「さぁ、気分転換も済んだことです。各自持ち場に戻ってください」
何事もなかったかのように振る舞うLに、捜査員の皆さんは苦笑いから徐々に表情を引き締め仕事に戻る準備を始める。
ミサさんも満足そうに微笑み、私にだけ見せるよう胸の前で小さくピースしてくれた。
初めは乗り気じゃなかったゲームの思わぬ副産物に、さっきから胸がドキドキ鳴りっぱなしだ。
これもミサさんのおかげ、とこちらも小さくピースを返した。
火照る顔を見られないように下げ、私も急いで持ち場に戻る。
(参加して、良かったかも…)
突然訪れた小さくて大きな接触に、不埒な胸の内は正直に喜んだ。
(久しぶりのLの肌。もっと触りたかったな)
しかしそんな風にときめいていられたのも短い間だけだった。
キッチンに戻ってそっとLの後ろ姿を捉えた私は、こんな風に思ってしまったのだから。
"あぁ!欲求不満が、募った気がする!"
みる見る、募る