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きみはドレスのいらないお姫様
「あぁ、最悪」

思わず声が漏れてしまった。


濃い紫のアイシャドウに太く引かれたアイライン、瞬きでばさりと上下する羽のようなつけまつげ。どこからどう見ても役そのもの、それにどこからどう見ても女優・ナナ。
ちらりと後方を見て鏡越しに目があったスタッフに薄く微笑むと、こぼれ落ちるようなため息と共に頬を赤らめられる。
こんな、なんてことない笑顔ひとつでそんなに喜んでもらえるなんて光栄。いや、恐縮かな。

メイクも衣装も整えて精神統一に集中する公演直前。初演を控えこの上なく緊張感が高まる大事な時だというのに、私は嫌なことに気がついてしまった。そして冒頭の台詞を吐くに至る。


…今日は「きらいの日」だ。

実力派としての地位も確立し順風満帆にキャリアを積む私の頭の中は、懲りずに子供じみた呪いの日に執着していた。

きらいの日というのは何の捻りもない。

生まれ育ったハウスで時を共にした大好きな人に、夢を否定された日のこと。

「将来は、大女優になって世界中の人に感動を届けたいの!」

小さい頃、ささやかに恋人同士だった私たちはよくハウス裏の原っぱで寝転んだり花を摘んだりしながらお喋りに興じたものだった。

心を開ききった私が誰にも秘密にしていた夢を語った時、悲しい事件は起きた。

「ナナが?向いてないからやめとけよ!」

輝く金色の髪を揺らしながら、愛する小さな恋人はそう即答した。
あなたみたいな髪に生まれていたら、この夢を叶えるのにどんなにか優位だったろうって何度も思ったものよ。

「どうして?」

柔らかな手の小さな恋人は、ずっと優しくて私に特別親切でいてくれたのに。

「どうしても何も、そんなのナナには似合わない!おっかしいの!そんなナナなんてきらいだ」

大好きな人の口から溢れる心ない言葉たち。私の胸の内にあった淡いピンク色の蕾を勝手に膨らませておいて、花開いた途端に摘み取ってしまうなんて。

「ひどい…」

せめて非難じみた言い方をしてやろうと思ったのに、強かったのはせいぜい息を吸ったところまで。
言うや否や情けない顔でポロポロと涙をこぼす私を見て、彼は慌ててその場を後にした。

私だってきらい!こんなこと言う人なんて、だいっきらい!

探せば四つ葉だってあったかもしれないクローバーを踏みしめ、怒っているのか悲しいのかよく分からない気持ちを抱えて、私はその場に立ち尽くした。

それがこの「きらいの日」の始まり。
幼かった私は忘れられない日付にくだらない名前をつけて、悪しき記念日として自分の中に強く遺してしまったのだ。

それ以来毎年、「きらいの日」には嫌なことが起きるようになった。次の年は身長の伸びがクラスで一番少なかったし、その次の年は勝手に拝借したヘアアイロンで前髪を焦がしてしまった。あの時はこっぴどく怒られた。
それもこれも「きらいの日」のせいなんだと、私はずっと思ってきた。悪い意味で注目を集める焦げた前髪を見上げて、忌々しく勝手に名付けたこの日に意味をもたせてしまっていた。


だってきっと、仲直りできると信じていたから。


いつかほとぼりが冷めた頃、笑い話にできると思っていた。

けれど実際にはあの日以来、私たちはすっかりぎこちなくなって互いに口を聞かなくなってしまったのだ。

聞けなくなってしまった、の方が近いかもしれない。

意地を張っている自覚はなくもない。
当時あんなに胸が痛んだのは、そして何年経ってもまだこんなに苦しくなるのは、あの人のことを今でも…。


…それでも私はこの胸の内を認める訳にはいかない。私を傷付け、立ち止まらせてしまうから。

夢を叶えるためには、うじうじと悩んでいる暇なんてない。


意を決した私は鏡の前で口を開く。今日の公演にぴったりの、コンディションの良い声が響いた。


*


幕が開く瞬間はアドレナリンが放出されるのを感じる。足が震えるほど緊張しているのに、何故か自然と笑みが浮かんでくる。芝居への熱情、失敗に対しての不安。成功した時臨めるであろう高みが表裏一体となって頭の中をチラつく。多方向からの注がれる視線。期待に応えたい、上回りたい。身体の色々な部分が相反する主張をしてまるで煮え立っているように熱い。

高ぶった気持ちを丸めて、飲み込んで、スポットライトの先を見つめて第一声を放てば、私の登場に観客席が大きく沸いた。


きらいの日のことは今日を限りに忘れよう。


妙なジンクスに引っ張られてせっかく立てたこの舞台を台無しにする訳にはいかない。

それにもう、とっくに終わった恋のこと。
いつまでも…

そう言い聞かせて自らの不安を飲み込もうとした時、目の前の客席に見慣れた顔を見つけた。

腕を組み不納得を浮かばせた批評家みたいな顔をして、センターのちょうど視線が合う高さに座っていたのは…


メロ。


プロローグパートを終え舞台袖にはけながらさりげなくもう一度確認すると、そこにいたのはやはり間違いなくかつての小さな恋人だった。


*


何でここに?

今さら改心してくれた?

それともバカにしにきたの?

ぬか喜びしないよう必死に抑えつける高揚の下で、隠しきれない感情が出たがって胸のドアを叩く。

集中して!

自分に強く言い聞かせ再び舞台に向かう。私を待っている人達が沢山いる。

私が今やるべきこと。届けたいこと。

メロに、あの日誓った夢はこれだと胸を張って伝えられるように。

渾身の力を込めて歌い、踊る。

緊張する間もないほど、客席が一切見えなかった。感じたことのない浮遊感の中、光に照らされた私はただ感情の塊になって右に左に揺れていただけ。

メロに、ここにいるすべての人に、届くように。


我に返り気が付くと、耳を割るようなけたたましい拍手と歓声、私は生まれて初めてのスタンディングオベーションを受けていた。

メロはすぐに見つかった。総立ちする客席の中で、一人座ったままの姿がとても目立っていたから。


*


あれは一体何だったんだろう。

幻でも見たような気持ちで帰り支度をし、マネージャーと車に向かう。
出待ちをしていたファンのサインに一通り応じ終わり、マネージャーと二人になった時、見慣れた金髪が目に飛び込んできた。数メートル先に止まっている黒光りした車の中。

目を離せないまま、私の口から自然に言葉が漏れた。

「…今日は…、迎えが来てるからここでいいや」
「え?自宅まで送るんじゃなかったの?」

マネージャーが驚きを隠さず振り向く。迎えなんて今まで一度も来たことなかったもんね。

「あ、うん、ごめんなさい、大丈夫なの」
「ちょ…ナナ、男じゃないでしょうね?今はダメよ!?」

背に心配の声を受けながら、逸る足を止めることができない。

「うん!大丈夫だから!」

申し訳なさに一声あげ、私は飛び込むようにメロの車に乗り込んだ。


*

私を乗せてすぐに走り出す車は、まるで本当に約束していたみたいだった。
だけど現実は約束どころか、顔を合わせることすらままならない私たち。

うっすらと香るムスクと甘さの混ざった匂い。チョコレート、今でも好きなのかな。


乗り込んだはいいものの、会話はどう切り出したらいいものか。何年ぶり…十何年ぶりの二人きり。

後部座席で様子を伺っていると、メロの方が口を開いた。

「夢、叶えたんだな」

「…あら。覚えてた?」

やっぱり私は意地っ張りだ。今日顔を見た瞬間、込み上げるほど嬉しかったのに、何てことないフリをしてしまう自分の口が恨めしい。

「…世界中を感動の渦に巻き込んでるようで、おめでとう」

「わざとらしい…からかいにきたの?」

何年も燻った気持ち。本当は何よりも大切で捨てきれなかった気持ちを抱えて、遠くから石をぶつけるみたいに伺うような言葉しか紡げない。

沈黙が3、4、5秒。馬鹿ね、このまま機会を逃したらきっと一生話せないのに。


「あの日…ナナを見知らぬ誰かに取られるような気がした」

前を見つめたままぽつりとこぼしたメロの言葉に一瞬、耳を疑った。

「それ…どういう…」
「ナナが他の奴に笑いかけるのが気に入らなかっただけだ。ナナの想いを否定する気なんてなかった」

思わぬ言葉に気持ちが逸り、鼻の奥がつんと痛くなる。ごまかして覗いた外の景色がみるみるうちにぼやけて歪む。

メロもあの日のことを、覚えているの?

「だ…だから?」

決定打を確認するまで優しくなんてなれないんだから。涙声を隠せなくとも、私はまだメロを試してしまう。

「は?それで分かるだろ」
「…分かんない」
「言わせる気かよ」
「私、こう見えても最近口説かれ続きなのよ?」

一度だって他の人を相手にしたことなんてないけれど。
調子に乗って挑発すると、チッと舌打ちしたメロが、止まった交差点、赤信号を見つめながら観念したように呟いた。


「…虚像のお前なんか世界にくれてやるから、素顔のナナは俺にくれ」

それは誰からも聞いたことのない、胸満たされる愛の告白。

小さな恋人はその面影をなくし、今は大人になった一人の男性として私を迎えに来てくれた。

柔らかな熱を含んだ涙がとめどなく溢れて落ち着きそうにない。子どもみたいに目元を両手で拭っていたら、メロがこちらを振り向いた。

「…返事は?」

私の様子を見て呆れたように言いながら、腕を後ろに伸ばしハンカチを差し出してくれる。
メロは優しくて、いつだって私に特別親切でいてくれた。時を経た今も、それは変わらないんだ。

「…うん」

やっとのことで一言答え、柔らかなガーゼのハンカチを受け取る。目頭に当てるとメロのぬくもりと甘いチョコレートの香りが広がって、素直になれなかった固い心も、嫌われてしまったと恐れた気持ちも溶けていった。


*


目的地に着くとメロは「そこで待ってろ」と先に車を降りた。
まさかドアでも開けてくれるのかな。そんなことされたらドキドキしちゃうよ。今はメロの側にいられるのが嬉しい一人の女に他ならないのだから、気なんて使わないで欲しい。

カタンとトランクを静かに閉める音がして、今度は私側のドアが開かれた。

「メロ、私ドアなら自分で……わぁ…!」

目の前に差し出されたのは大きなピンクのバラの花束。こんなの、どこで用意したんだろう。
事前に準備しなくちゃ用意できないボリュームだ。

「ナナさんのファンになりました」

にやついて話すメロは、今度こそ本当に私をからかっている。

「もう、やめてよ」

笑いながら一輪薔薇を取り、メロの胸ポケットに刺し込んだ。
革のジャケット、ピンクの似合わない立ち姿。

「それより私の恋人になってくれませんか?お願いします」

ちょっと真面目に言ったのに、メロは花束で私の頭を軽く叩きこう続けたから参ってしまった。

「とっくになってんだろ」


…外です。
思わず抱きつきたいのを我慢して、顔を隠すように受け取った花束を持つ。

いい匂いの薔薇の花たち。視界も胸の中も覆い尽くすようなピンク色だ。

(…そっか)

合点がいって私は心の中で呟いた。


メロはあの日摘み取ってしまった恋香る小さなお花を、ずっと大事に育ててくれていたんだね。

探り合うように触れた手を迷いなく握りしめて、私たちは空白の時を埋めるよう、再びの一歩を踏み出した。


きらいの日のことは今日を限りに忘れよう。


きみは
ドレスのいらない
お姫様
(一生忘れられないという可能性も、なきにしもあらず)

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