home's_16 | ナノ
ひみつのはなし
窓ガラスに反射する頬杖。視線が手の甲を過ぎたら、緩んだ口元がそこにあった。隣に座った友達は、持参したアイマスクをつけて早々に眠りこけている。せっかくの修学旅行なのに相変わらずのマイペース。おかげで話し相手を失った私は、こうして窓の外を眺めている。澄み渡った青空の下、バスは高速道路を快適に進む。

後ろの席で男子達が盛り上がっている。重なる声色の中に、私の耳には特別に響く声がある。みんなより少しだけ高めの甘い声。今朝、早起きに自信がないとぼやいていた私を自転車で起こしに来てくれたメロの声。

早朝。案の定寝坊しかけた私は、あの声に起こされた。私だけに話しかけてくれる、特別な声。しつこく鳴らされる携帯電話の着信音、アラームと勘違いしてボタンを触ると突如として電波越しの罵声が響いた。

「バカ!!置いてくぞ!!」



えーっと、私だけに話しかけてくれた特別な声…だよね、これも。

メロの呆れと焦りが混ざったその声に、飛び起きて準備を始めたのは言うまでもなく。

「起きた!ありがとっ!!」

大急ぎで布団を剥いで電話を切ると、外で自転車の動き出す音が聞こえた。学校では付き合っていることを内緒にしているから、私達は一緒に登校しない。

ほどなくして"三度寝防止"とメールが届いた。"二度寝もしてない!"と返せば、"それは珍しいことで"と嫌味たらしい返事が来る。

着替えて髪を整えている間にまた一つメールが届く。ダメだ、ちょっと暇がない。携帯を放置して準備を進め、出発に向かう廊下でやっとメールを開けた。

"気をつけて来いよ"

慌てて息の上がった状態で辿り着いた玄関で、上がった心拍数の理由をうっかり誤解してしまいそう。
メロは憎まれ口を叩きながらもこんな私にとびきり優しい。ありがと、とひとり呟いて靴に爪先を差し込んだ。



……


そんな今朝のときめきを思い出しながら、斜め後ろに振り向く。私の挙動不審を友達の目から遮ってくれるアイマスクに感謝したい。座席の背もたれを少し傾けた隙間から、メロの目立つブロンドが目に入る。青地にモザイクがかった妙な柄の背もたれに頭を押し付けると、メロの顔まで確認できた。ちょうどこちら側を向いていたメロは座席の異変にすぐに気がつき、ぱちりと目が合う。

手を振りたいけど、誰かに見られたらまずいから我慢。"朝はありがと"の気持ちを込め肩をすくめてにこっと笑うだけにする。
メロはそれ受けて呆れたような視線を返す。据えた目の下で、旅への高揚が混ざった上機嫌の口元が柔らかく弧を描いていた。


*


楽しみにしていた散策の時間がやってきた!
男女三人ずつ、計六人で作ったグループで行動を共にする。残念ながらメロとは違うグループだけど、仲良しの女友達と組めたので気分は上々だった。…はずなのに。

重大な事実を見落としていたことに気が付き、内心ではとても動揺していた。クラスでも有名な彼氏をとっかえひっかえするモテ子ちゃんが、メロと同じグループだったのだ。自分のグループのことで頭がいっぱいで、メロのグループにいる女子のことなんて考えてもいなかった…!探るように視線を向けると、モテ子ちゃんが機嫌良くメロに話しかけている。

「メロ君、今日はよろしくねーっ!」
「おう」

メロは気にしていない様子だけど、やたらとメロを触るモテ子ちゃん。あれは絶対ロックオンされている…。心配の火種を胸に燻らせながら、グループ行動が開始になってしまった。


*


「いえーい!うちのグループが一番乗りっ!」

雲行きが怪しいかと思われた散策時間だったけど、わいわいと観光名所を回っているうち徐々に気も晴れ、メロなら大丈夫!と案外楽観的に過ごせた。
グループ行動最後の集合場所である宿泊施設に辿り着くと、余っている時間は施設内のお土産屋さんを見てきてもいいと先生が許可をくれた。

友達と一目散にお土産屋さんまで走る。地名とキャラクターがプリントされたTシャツやタオル、名前入りの判子、どこで見ても同じような見本が置いてあるクッキーやお煎餅の缶菓子。普段だったら欲しくもないアレコレが、旅先ではとても魅力的に映る。
壁際にびっしりとぶら下げて陳列されている小物コーナーに差し掛かった時、カラフルなキーホルダーが横一列に並んでいるのが目に入った。あまり可愛くないのに何だかクセになる妙なご当地キャラクターが、色違いの服を着て並んでいる。

こういう可愛くて可愛くないものがお土産には最適だ。そう思った私はメロ用にひとつ、黄色の服を着たキーホルダーを手に取りレジに進んだ。

会計を済ませ集合場所に戻ろうとした時メロの名を呼ぶ声が聞こえ、反射的に振り向いてしまった。入れ違いで店に入ってきたのはメロ達のグループ、視線の先ではモテ子ちゃんがメロと並んで小物コーナーを物色している。

「メロ、それ、趣味わるっ!」
「そうか?」

けたけたと愉快そうな声を上げたモテ子ちゃんは、上目遣いでメロを覗き込む。

…いつの間にか呼び捨てになってる。

嫌な気持ちを振り払うよう思わず頭を振ってしまった。いいのいいの、メロのことを呼び捨てにする子は多いもん。

「メロ、こっちの缶バッチの方が可愛いって!」
「ふーん」
「こっち見てよー!」
「缶バッチか…」
「これメロからのプレゼントってことで買ってよ!お揃いでつけよっ?」

物色するふりをしながら聞き耳を立てていた私は、止めることのできない嫌な展開の一部始終を見届ける羽目になってしまった。
メロはノリのいいことに缶バッチのセットを持ってレジに進んでしまったのだ。レジから振り向くメロに気付かれないよう、私は急いで集合場所に戻った。


なによなによ、デレデレしちゃってさ。ちょっと浮かれすぎてるんじゃないの?

「ナナさん、何かあった?」

口数の減った私に気がついた、同じグループの男子が声をかけてくれる。

「ううん、疲れてぼんやりしてた!ありがとう」

笑ってごまかし、学年全員が揃うのを待った。

他のグループが続々と集合する中、お揃いの缶バッチを持ち物や制服の一部につけたメロのグループが戻ってきた。呑気な先生が「お前ら仲いいな!」と旅の写真にその姿を収めている。
なんだ…みんなで使ったんだ。モテ子ちゃんと二人のお揃いではなかったことに安堵して、拗ねた気持ちは何とか飲み込むことにする。
メロと一瞬目が合ったけれど、つい逸らしてしまった。


*


各自宿泊する部屋に荷物を運び、食事や入浴も済ませた。女子達といえば…夜は恋バナ。消灯まではひとつの部屋に集まって、消灯後は各部屋で、尽きることのない話に盛り上がる。
誰と誰が付き合っているとか、モテ子ちゃんの次のターゲットは実はマット君だとか、知らなかった話が飛び出してはキャーキャー騒いで枕や布団に顔をうずめた。

一人、二人と寝落ちていく友達を見守りながら、こそこそと話す非日常な夜の醍醐味を存分に味わっていると、ポケットの中の振動が太ももに伝わった。

着信したらしい携帯をそうっと確認すると、届いていたのはメロからのメール。

"非常口近くの手洗い場にいる"

…いるって。
来いってこと?

非常口近くの手洗い場というのは、みんなが使うのとは逆の方向にある手洗い場…先輩達から代々あそこにはお化けが出るよと脅かされるところだ。確かに人目は避けられそうだけど…ちょっと怖い。

けどメロと一緒なら…平気かなぁ。

思いつくと会いたい気持ちが止まらなくなって、不安な気持ちを打ち負かしてしまう。

「お腹痛くなっちゃったから、ちょっとトイレ行ってくるね」

朝と同じく布団を剥いで、私は意を決して静かに部屋を出た。


廊下は薄暗く、静まり返って少しだけ不気味。各部屋の前に差し掛かると枕を投げて暴れる男子の声や、テレビをつけて見ているような音が小さく漏れ聞こえてくるけれど、視界に人の気配はない。

スリッパを滑らせ気味にして音を立てずに進む。生徒用の部屋が遠くなり薄闇の廊下の先に見えてきたのは、ひときわ暗い手洗い場。反対側の壁に非常口があり、突き当たりには観葉食物と小さなベンチ…

「遅い」
「きゃあ!!」
「バカ…!声がでかい」

ごめん、口を押さえた私は声の元に慌てて足を進める。てっきり手洗い場の中で会うのかと思っていたら観葉食物の陰からメロが現れ、思わず声を上げてしまった。手洗い場の影…すなわちトイレの中で顔を合わせるなんてメロらしくないと感じていたけど、すぐ隣にこんなスペースがあったのね。
観葉食物に紛れるようにして外向きに配置されたベンチに腰掛けると、窓から夜景が見えた。夜景と言っても、深い藍色にちらちらと街灯が映えているだけのものだけど。

「こんなとこあったんだね」
「葉がカムフラージュになって目立たない」
「いい仕事するねぇ」
「疲れてないか?」
「少しね。でも大丈夫!メロは疲れてない?一日楽しかった?」
「それなりに…キョーミ深いもんが色々見られたな」
「…そう」

自分で聞いておきながら、充実した顔のメロを見てモテ子ちゃんと過ごした一日がどんなものだったのかつい想像してしまった。

「それよりおまえ、夕方俺のこと無視しただろ」

こんな時もメロは持ち前の勘の良さであっさりと鋭い質問を投げかけてくるから参ってしまう。

「眠かったんだよ」
「へー」
「何よ」
「眠い割には俊敏な目の動きだったなと」
「そうだったかなー」
「思ってることは言えって」
「べつに…。モテ子ちゃんと楽しそうにしてたから…良かったねーとは思ったけど」
「良いのかよ」
「良くはない」

嫌だったけど飲み込んだこと。なのについつい吐き出してしまった。不覚。

「まさか妬いてたのか?」
「ちょっとだけ…」
「ちょっと?」
「うーん…結構?」

メロはプッと小さく噴き出して、モテ子ちゃんがしていたみたいに私のことを覗き込む。射抜くようにこちらを見つめる目の下で、珍しく口元が緩んでいる。バツの悪い私は逸らした視線で夜景と名をつけた夜の街灯に注目する。

「ナナ、可愛い」

たった一言、そう言われただけなのに。頬がぼぉっと熱くなり、顔を動かすことができなくなってしまう。
メロは構わず片手を私の目の前まで持ち上げると、「これ」と何かをぶら下げた。

「あ!」

メロの指先で揺れているのは、あの妙な愛嬌のあるご当地キャラクターのキーホルダーだった。ピンクの服を着ている。

「可愛い…!」
「だろ。ナナは喜ぶと思った」
「うん」
「お前が変な趣味してるせいで五月蝿い連中黙らせるのに余計な出費したんだからな」
「…缶バッチ?」
「…チェック済みかよ」

メロは恐ろしいものを見るような目つきでこちらを見る。

「そ、そりゃあ気になったんだからしょうが…」
「悪い」

弁明している間に近付いたメロの顔が、唇が、遮るようにして私に重ねられた。驚いて上げた手首を掴まれ、言葉を塞ぐ熱に瞼を閉じる。

数十時間ぶりのキスは、いつもの家とは違う遠く離れた見知らぬ場所で。置き去りにされたら戸惑ってしまうような心細いこの夜、唇に伝わる熱だけがいつもと変わらない。ああそれから掴まれた手の温度も、ほのかに香るメロの匂いも。

数秒。長く感じたけれどきっとほんの少しだけ経った後、メロは押し当てた唇をそっと離した。

「…ちょ、誰か来たらどうすんのよ」
「来ないだろ。側にいるのに触れられなかった俺の身にもなれ」
「おっお互い様でしょ!」
「一緒にすんな。男というのはだな…
「ん?誰かいるのかー?」

その時突然、第三者の声が響いて背筋が凍りついた。

「(おっお化け…!)」
「(担任だろ!)」

二人で慌ててベンチにしゃがみ込み、頭を隠すようにしてこそこそと話す。
そのまま身動きできないでいると、廊下の向こうからメロの言った通り担任の先生がこちらに向かって進んできた。

ピンチ…!!

メロの手を握り、身を寄せ縮こまっていると、先生は「またここか…毎年毎年勘弁してくれよ〜」と一人呟きながら手洗い場の電気をつけ中へ進んでいく。

「(…今!)」

二人で視線を合わせた後、私達は忍者のように素早く静かに立ち上がり、大慌てでその場を後にした。


*


部屋に戻るともうみんな寝付いてしまった後だった。忍び足で布団に潜り込むと太ももあたりに違和感があり、受け取ったキーホルダーのことを思い出した。
ごそごそとポケットを探り、取り出してぶら下げる。薄闇のなかで淡いピンクが揺れている。

ああそうだ、私も色違いをメロに買ったんだった。相思相愛だね。
眠気を感じながら携帯を出し、メールの画面を開く。

"メロ、さっきはありがとう。実は私からもお土産があるの。帰ったら渡すね"

文字を打ちながらさっきまでの出来事を振り返り、私はあることに気がついた。

手洗い場のお化けの噂。


そっか…毎年、きっと誰かが。


緊張と驚きで先ほど心から恐怖したあの手洗い場に、今となっては想いを馳せ何だかほっこりしてしまう。
毎年、あのチープな夜景を楽しむカップルが存在するんだ。

みんな寝ているとはいえ念には念を入れ、私は布団を被ってからにやけた頬に手を添える。
ドキドキもソワソワもしたけれど、うんと楽しい一日になった。うんと楽しい、思い出深い夜になった。

明日の朝がちょっとだけ楽しみ。
オーバーな先生が私達を盛り上げようと、また面白おかしく話するに違いない。


そうしたらきっと、今年もお化けの噂が立つのだろう。


ひみつのはなし
PREVTOPNEXT

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -